空師
空師(そらし)という名称の仕事がある。
木よりも高い物がなかった昔、空に一番近い場所で仕事をすることから、
空師と呼ばれたのである。
「空師」とは伐採職人の事である。この名称から伐採職人として誇りが感じられる。
「売れるのは真ん丸でまっすぐの丸太ですが、
伐ってみて腐りが入っていたら、タダになってしまいます。
だから立ち木の状態でその中身を読み、どこでどう切れば価値が上がるかを
見極めなきゃならない。
全体の枝ぶりから樹齢、傷の有無、土地の日当たりや水はけまで調べて、
判断するんです。
それでも、いい木だと思って伐ってみたら、
中が空洞だったなんてことはよくあるし、その逆も珍しくない。
根元が完全に枯れていて、これは薪にしかならないと思いながら伐った木が、
思いがけず元気で儲かったこともありました。
とにかく木は奥が深い。20年近く接していても、
まだまだわからないことだらけですよ」
空師熊倉純一「伐っていかす巨木のいのち」より
森の中でも一番樹齢があり高い木が空師によって伐採されるのです。
空師(ソラシ)は木のてっぺんまで登り作業をする危険な仕事です。
しかし、その空師によって一本の木が見極められて選ばれるのです。
軽快なソラシがあるから次は到達点のドに辿りつくのです。
私が空師に魅かれるのはこの音階のソラシが好きだからです。
ドは努力のドであり、喜怒哀楽のドであり、感度のドなのです。
アーティストを育てる上で必要なものばかりです。
大きな木を育てるにも土(ド)が必要ですね。
土(ド)があるからこそ立派に大地に根を張れるのです。
苗木から巨木になるまでには数百年を要します。
根気よく一本の木をずっと見守る事が大切ですね。
職人は仕事に対して気(木)移りをしないというのも、
何か大切な言葉のように感じてしまいます。
空師の同業異種に宮大工と言う職業がある。
伐採職人が剪定し伐り取った巨木を使い、
お宮や塔を建立したり修復したりする大工である。
その中に鬼と言われた最後の宮大工西岡常一がいる。
彼は「木のいのち木のこころ」の中で
「職人はひとつに止まるこれ正なり」と書いている。
衆生の雑念を振り払い一心不乱に修行に励む事が一を止めることです。
一を止めるから「正」しいという文字になるのです。
その結果彼等は1000年前の巨木と会話が出来るようになる。
そして材木として使う時には感謝の気持ちを決して忘れません。
北向きの斜面で育った木も、南向きの斜面で育った木も、
全部無駄なく使わせて頂きますと念じるそうです。
正しい行いは根気がいります。
そして時間が掛ります。
お金のもんだいではなく心意気のもんだいなのです。
だから職人はかっこが良いのです。
プロデューサーの仕事もある意味
空師と同じように伐採の仕事です。
アーティストの無駄な部分を切り落とし
常に最高の状態を作り出さなければなりません。
しかし、元気で才能が有ると思っていたアーティストでも、
プロの環境に合わずにすぐリタイヤする人も少なからずいます。
その反面おっとりとしていて仕事も遅いアーティストが
逆に粘り強くプロとして長く留まる事もあります。
木の選び出しとよく似ています。
アーティストが開花する為には、
木と同じように生育に適した環境と時代と云う土壌がなければなりません。
才能が素晴しくても環境が悪いと十分に栄養が得られず、
本来の実力を発揮できないことが多々あります。
良き作品を数多く作っても土壌が悪いと、
開花前に根腐れを起こしてしまうのです。
そのような時にはプロデューサーの判断で、
植え替え(移籍)が必要に成ります。
今の世の中全般に言える事ですが、
このように人材の育成の為に無駄な枝を切る職人が少なくなったと思います。
自分達の都合ばかりで木を育て、可愛いからといって
苗木のままで人前に出してしまいます。
弱い状態を可愛いと判断してしまうからです。
そうかと思えばまったく手入れをせずに好き放題に
枝が伸びた状態で放置しています。
無軌道と自由の区別がつかなくて元気だからと喜んでしまうのです。
そのような子はすこしの風にでも揺れ動く情緒不安定な子になるのです。
子供達に問題はありません。すべては育てる側の責任です。
大人物を求めるのなら苗木から
そのように育てなければなりません。
手入れと称して幹を意味も無く「なぐり」、
木全体を台無しにしてしまう馬鹿な行為は許せません。
私は音師としての誇りを持って今も仕事をしています。