空言葉

 

「からことば」は普段何気なく使っている言葉です。

「お元気ですか」「大丈夫」「相談に乗るよ」「今度食事でもしましょう」
感情を込めずに口先だけの軽い言葉です。

送る方も空言葉に感情入れず、受ける方も空返事で感情を込めずに使っています。

日常の中の大切な場面でも、沢山の空言葉があります。
それは、同情の言葉、お悔やみの言葉、別れの言葉に感じられます。

言葉上では体面をつくろっているのですが、心の表現が成されていません。
残念なことです。最近、この空言葉をよく耳にします。

世の中が殺伐としているからでしょうか。
それとも不景気で明るい話題がないせいでしょうか。
国の将来に夢を持てないせいでしょうか。
政治家が何も問題を解決しないからでしょうか。

言葉に気持ちを込める場面を失ってしまったようです。

街では溌剌(はつらつ)とした若者の声を聞く事が少なくなりました。
勿論、奇声を発している若者(馬鹿者)達は大勢いるのですが。

「よし分かった」「頑張ろう」「絶対勝ち抜こうぜ」「元気に行くぜ」等の、
ポジティブでエネルギッシュな声を聞く事が、本当に少なくなりました。

若者達に声を掛けても、生返事の頼りない言葉しか返って来なくなっています。

その責任は彼らでは無く、そのような環境を作ってしまった、
我々大人なのだと反省をしなければなりません。

経済成長のみを考えて来た、団塊の世代の大人達(両親世代)が、
若者達の意見を無視して過ごして来たからだと思います。

何を言ってもどうせ反対されるなら、何も言わない方が良いと思いこませてしまったのです。

堅い鉄も一方的に叩けば曲がってしまいます。
ましてや柔らかい若者を叩けばつぶれてしまうのです。

大人達の都合だけで若者達を追い込んでしまったのです。
本当に申し訳なく思っています。

筑紫哲也さんのラストメッセージ「若き友人たちへ」の中に、この様な内容の文章がありました。

「若者たちが良く使う、婉曲話法の「ていねい語」です。「~してもらってよいですか」
「~でよろしかったでしょうか」等の言葉です。

それは若者たちの心優しさを表しているひとつの例だと言ったら、
当の若者たち、そして大人たちはどう反応するでしょうか。

“大人主導”の若者論がこれに賛同しないことは目に見えています。

言葉遣いでさえ他者を傷つけることを恐れて、丁寧な話し方をする若者がふえている一方で、
見も知らぬ他者を殺傷する若者がいる。

厄介なのは、もしかしたら彼らも日常では
「~していただいてよろしいでしょうか」としゃべっていたかもしれないことです。

やさしい若者たちが他者を傷つけることを恐れ、
自分がそういう役になることで傷つくことを恐れていると思うのです。
そこから反転して無差別殺人者がでるのは別の説明が必要ですが・・・・」(集英社新書)

若者達の「ていねい語」は、
あきらかにこころのガードをするための言葉として使っているのが分かります。

大人達の「空言葉」も、おなじようにこころのガードをしながら、
その場を丸く収めたいという気落ちで使っているのでしょう。

若者も大人もこころが傷つく事を一番恐れているのです。

本音を言わないで我慢していると、こころの置き場所が無くなってしまいます。
人間関係は一定の距離を保つのは礼儀ですが、あまりに距離がひらき過ぎると、
逆に失礼になることも覚えていて欲しいと思います。

先日、突然、私の友人から小荷物が届きました。

中には、ギッシリとコーヒー豆、ミネラルウォーター、
温めるご飯、韓国海苔、化粧水まで入っていたのです。

前日に電話の雑談の中で、
少しだけ経済的に辛い状況と最近肌荒れがすると会話をしたのです。

一言「大変ですね」と言葉を掛けてくれました。
そして、その次の日に、これ等の品物を送ってくれたのです。

何故か、笑えるやら、恥ずかしいやら、有り難いやら、泣けるやらでした。

少ない言葉と、その言葉を裏付ける行為が伴っていたから、
涙がでるほど嬉しかったのです。

親切はやり過ぎたら嫌味になるし、高価な物だと相手に負担を強いる事になります。

やさしい言葉と送り主の人柄がにじみでた贈り物に、こころのシャツターが押されました。
忘れない思い出となるでしょう。

とても大切な事です。「空言葉」に気付いている人は、
試しに両親や友達や身近な人に、さりげない贈り物をしてみて下さい。

どれほど大きな効果があるか分かると思います。

勿論、「空言葉」ではなく、真剣にお話を聞いた後に送る事が大切です。