声は変わらない
全般的に他の人と比べてさほど人生に優劣の違いはない。
大きな偉業を成し遂げた人も、名もなく頑張って生きてきた人も、
少しの高低差があったとしても、
皆、同じ人生の距離を歩んできたはずである。
昔の仲間と話をすると顔は忘れてもみんな声でわかると言います。
不思議なことにその懐かしい声は、一瞬にして記憶を鮮やかに蘇らせる。
かなりの時が経ち姿形や経歴が変わっても、
その人の持つ声は変わらないのです。
本来、声は年齢と共に変わるのだが話し方の癖が変わっていないので
そう思うだけかもしれない。
若い時には他人より少し聴覚が優れていたのだが
年と共に高音域が聞こえなくなっている。老人性難聴である。
音の輪郭は高域の音で作られるので
中域の音ばかりだと何度も聞き返してしまう。
昨夜35年ぶりに仕事仲間と会った。
彼は一瞬私の顔を思い出せずに戸惑った。
他の友人が一緒に仕事した稲葉さんだと言ってもキョトンとしていた。
きっと彼は彼なりに私が会社を辞めた後に、
沢山の出会いと沢山の仕事をして、
どこのだれか分からなくなってしまっていたのである。
それも仕方のないことだと諦めていたら、
私の話し声で当時の仕事を克明に思い出し始めた。
そんな彼からそうだ稲葉さんは妖怪の一種だと言われた。
どこのレコード会社にもいないパワーと企画力を持っていた。
他社の大物アーティストまで平気でひっぱり込んでくる。
その為、現場は恐る恐る大物アーティストと作業を進めてきた。
でも稲葉さんの「売るぞ」と決めたら必ずヒットにした実績は凄かった。
稲葉さんの場合は曲のよしわるしよりも気合で売ってしまう。
雑誌社の特集も放送局のヘビーローテーションも代理店のCMも
必要であれば必ず取って来る。
彼は完全に私を思い出して私の独特の話ぶりと理屈を懐かしがってくれた。
その夜後輩は喉頭がんを患いドクターストップがかかっているにも
関わらず酒を飲み続けた。
何度も何度も私の年齢でこの元気さと体調に目を丸くしていた。
やっぱり妖怪だと言い続ける。
私が2000年に入り韓国で映画会社を作り
韓流ドラマを日本へ紹介したことや、
その後に北京に出向いて音楽事務所を作り、
女子十二楽坊の大ヒットを作ったことや、
今でもアジア各地を飛び回っていることに、
やはり妖怪だ!妖怪だと!連呼していた。
この年齢のお決まりの話題と言えばふつう同僚の病院通いの話と、
先輩たちが亡くなった話である。聞けば同僚も大勢亡くなった。
しかし、私たちのチームには私とは別に
妖怪一号が存在していてまだ元気なことを知った。
妖怪一号は、現在現役を退き芥川賞を狙い小説を書いている
とのことで、80歳を前にして相変わらず妖怪ぶりを発揮している。
当時、その妖怪上司がいつも無理難題な仕事を持ってくるのだが、
みんなは反対するのに稲葉さんは全部引き受けてしまう。
その為に稲葉さんの部下は土・日も夜もなく働き詰めだった。
今なら完全にパワハラで訴えられていただろうと
ほろ酔い加減で話してくれた。
そして我々の会社の他のチームにはもう一人大妖怪も存在していた。
業界でも有名なプロデューサーで数多くのヒット曲を残している。
その後、紫綬褒章も受賞した人だが残念なことに数年前に亡くなった。
普通の社員はあまりにも強いオーラを放すので、
怖くて近づけない存在の人であった。
そんな人でも稲葉さんは恐れずに、
旅行に行ったり一緒にパーティーを開いたり、
休み時間にはその人の部屋でのんびりとお茶を飲んでいた。
この妖怪三人組は会社でも音楽業界でもいつも噂になっていた。
時代が変わる時には規格外れの人間が圧倒的な勢いで変えてしまう。
常識の尺度では測れない強さで世の中に挑戦状を突きつける。
そして周りに迎合しない分だけ嫌われる。
好かれるよりも嫌われる方が数倍エネルギーを使う。
岡本太郎も「好かれるヤツほどダメになる」と書く、
みんな自分を大事にしすぎる。自分に甘えているんだ。
ほんとうに自分の在り方を、外につき出していない。
だから、裏目が出てきてしまう。
自分でもそれを感じるだろうし、相手も感じて、
深くつきあおうという気にならない。
相手に会わしてばかりの好かれる奴はロクなものでもない。
我々妖怪三人組は社内外おいて嫌われまくったのである。
しかし周りはいつも仕事を欲しがる人で溢れていた。
メディアも広告代理店もファッション関係者も
さまざまな人が会いに来てくれた。
私にとっては楽しい時間であったが、家族やスタッフには
迷惑をかけてばかりの人生だったのかもしれない。
勿論、多くの事務所関係者やアーティストとタレントにも迷惑をかけた。
その夜は妖怪話で盛り上がった。
今度はどの業界で妖怪ぶりを発揮しようかな?笑い