日日是好日
年齢を重ねると女性は美貌を失い男性は気力を失う。
果たしてそうだろうか?美貌も気力も失わない人もいる。
上手い年の取り方と下手な年の取り方がある。
目的・健康・活力の3つを実行している人は美貌も気力も失わない。
目的(Purpose)とは残りの人生でやりたいことを決める。
健康(Health)とは自分の体に合った食事を摂り運動を欠かさないこと
活力(Vitality)とは若い人たちと交流を持って彼らの手助けをすること。
巷では微小の効果データーでヘルスケア商品が大量に売られている。
医療機関認定のデーターで集めた資料をもとに健康食品会社が次々と商品を作る。
長期にわたるエビデンスが無くてもテレビCMを流して栄養剤として売られる。
街のそこかしこにある調剤薬局にも高齢者目当ての怪しげな商品が並べられる。
今や高齢のタレントをCMで起用して売上重視で企業が不正を働き、
日本人が日本人を騙す。それも力ない高齢者をターゲットにしている。
国も高齢者のタンス預貯金を引き出そうと躍起になっている。
海外では問題がある商品は市民活動で不買運動が起こり会社を倒産へと追い込むが、
日本ではかっこ悪いと誰も立ち上がらない。悪を見逃すことになる。
国会議員の不正も許せないと思いながら誰も声を上げない。
漢字の金偏にプラスを書いて「針」になる。人を刺してまで儲けることが仕事なのか?
「儲」けるとは信用する者と漢字で書くが彼らは信用されず信頼を失う。
一般企業は高齢化社会で年寄りが増えたから年寄り目当ての商品が売れるのでは
ないかと売り急ぐ。
それに輪をかけて年老いた父母を持つ子供達も、自分の親には絶対着せないような服や、
効果が疑わしい健康器具、認知症予防の薬や防犯グッズを与えて、役割は済んだと
思ってしまう。
人生の上り坂で見えていた景色が下り坂に差し掛かると突然景色が変わる。
上り坂ではみんなと光り輝く希望が見えた。
下り坂では一人で辛い人生がはっきり見える。
慌てて死亡保険に加入する人達も、死んでいなくなる人達も、愚痴を言い続ける人達も
それぞれの景色の中で暮らしていかなければならない。
禅語に「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)というのがあります。
中国唐時代の雲門文偃(ぶんえん)禅師の禅語で知られる。
雲門禅師はある日、大勢の弟子たちに向かって「十五日以前のことはさておき、
これからの十五日以後の心境を一言でのべなさい。」とたずねた。
だが誰もすぐに返答が出来ずにいると雲門は自ら、即座に「日々是好日」と答えた。
この語を文字通りに解釈すれば「毎日が平安で無事の日である」と云う意味であるが、
単に毎日がよい日であるのでは禅的解釈にはならない。
雲門はなぜ「日々是好日」と云ったのかに疑問を抱き、
その心を解くところにこの語の教えがあり真意があるのだ。
「十五日以後の心境を」を問われた弟子たちは皆、十五日後に答える
ことを考えたことだろう。しかし、雲門は自ら十五日と云う期間を示しながら、
実は即今、即座の答えを求めていたのだ。
「無常迅速 時人を待たず」である。
親鸞聖人は「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かんともかな」と
歌われているように、今ここで自分の境地が述べられなくて、
一体いつ言うときがあるのか。
「無常迅速、時人を待たず」であり、はたして明日と云う時があるとは
限らないではないか?
この一瞬のところを大事にせよ」と云うこと教え示した言葉が
「日々是好日」なのである。
平々凡々、何事のさわりの無い穏やかな日々だけが「日々是好日」ではない。
多くの人は「今日も一日よい日でありますように」と願い、無事を願う。
しかし現実はその願いの通りにはいかないで、雨の日、風の日があるように
様々な問題が起き、悩ませられることばかりかもしれない。
しかし、どんな雨風があろうとも、日々に起きる好悪の出来事があっても、
この一日は二度とない一日であり、かけがえの無い一時であり、一日である。
この一日を全身全霊で生きることができれば、まさに「日々是好日」となるのである。
好日は願ってえられるものではなく、待っていてもかなえられるものではない。
自らの生き方に日々に好日を見出しえなければならないのだ。
時の時とするときは来ない、只座して待つのでなく主体的に時を作り
充実したよき一日一日として生きていくところにこの語の真意がある
我々高齢者は牙を抜かれたライオンではない。
不況という灼熱のサバンナを駆け抜けて、豊かな社会を支え続けたライオンである。
まだ戦える。戦ってきた知恵もある、戦いに勝つ方法も知っている。
囲いの中で飼われていた羊ではない。周りを騙すキツネでもない、ハイエナでもない。
我々は現役のライオンなのである。
年相応の美貌を持つ女性と少し尻の小さくなった男性のロマンが生まれても良い。
まさしくフランス流の生き方をすればこの世は天国である。
人を騙してピエロのような生き方をする連中とは死ぬまで仲間になれない。
老人は弱者だから、こうしなければならない、こうするべきだと、言われ続けている。
勝手に人生100年時代だから2000万円の貯金がないと暮らせない。
あらゆる介護サービスを紹介しながら保険会社の広告が入る。
そして葬儀屋のCMも増えてきた、高齢者の病気の名前も増えた。
家族葬がお得です、樹木葬のお墓が安いですよ。みんな死ぬのを待っている。
こうしてテレビの前でニュースに向かって文句を言いながら「日々是好日」でした。
みなさま右のポケットには文化を入れて、左のポケットにはオシャレを入れた
暮らしをすれば毎日が「日日是好日」ですよ。
「時人を待たず」今やらなくていつやりますか!