「怠け心」を受け入れる




人間が怠けたいと思うのは本能です。本能には理屈はありません。
快感か不快か、苦しいか楽かで判断するだけです。
この力関係を認識していないと、常に自己嫌悪にさいなまれることになります。
自己嫌悪はもっとも抱いてはいけないマイナス感情です。
そういった意味で「怠け心」に強い罪悪感をもつことは良くありません。
人間なら「怠け心」はあるのが当然という意識で良いのです。
しかし何故、人には「努力したい心」とそれを圧倒的な力で拒む「怠け心」が
共存しているのでしょう。

音楽制作の仕事は集中力の連続です。人によっても違いますが1枚のアルバムを
作るのに約2か月~3か月はかかります。
制作意図を話し合い、楽曲の選曲、歌詞のチェック、アレンジの構成などを含めて
夜通し作業をすることが度々あります。
そして一度録音した楽曲が気に入らなければ録音のし直しも起こります。
全ての録音作業が終わればMixdownをしてマスターを作ります。
音が完成したらジャケットの撮影が入り、営業・宣伝の会議が連日這入ります。
プロデューサーとしてヒットに持っていくために努力したい心でいっぱいになります。
このあたりで疲労がMaxになり現場から逃げだしたくなります。

かといってそれが辛いかといえばそれほど辛くありません。
音楽の作業は音により脳内にドーパミンが出るので心地よい疲労感に包まれるからです。
私は現役のころ3~4か所のスタジオ進行でアルバムを作る作業をしていました。
作業中いつも怠け心が出ると外での打ち合わせと称して、映画館や本屋や喫茶店へいき
隠れて息抜きをしていました。

しかし最高の息抜きは海外スタジオでのレコーディングです。
特にLAでのレコーディングはプール付きのモーテルに宿泊するので一気に回復します。
ホテルの周りをランニングしてから部屋に戻り水着に着替えてプールへ直行です。
プールサイドではピナコラーダを飲み、日差しの強い太陽を浴びると、エネルギーが
溢れてきます。ストレスをためないためにも適度な「怠け心」は必要です。

やる気が出ない 仏教的解決法で「怠け心」を退治する。
厳しい修行を積む僧侶たちにも「怠ける心」はある。

お釈迦さまは、弟子である修行僧たちに対して、常々「不放逸(ふほういつ)」を
大事にしなさいと説いていました。放逸(ほういつ)とは、怠けてしまうこと。
つまり不放逸とは「怠けるな」ということになります。
仕事や家族の元から離れ、覚悟を持って出家したのだから、さまざまな言い訳をして
修行への努力を怠ることのないように、とおっしゃったのです。
 
しかし、仏道を進む多くの修行僧たちも、「怠けてしまう」「集中できない」
ことに苦しんできました。仏教とは、覚(さと)りを開いたお釈迦さまをお祈りし、
苦しみから救ってもらおうとする教えではありません。
修行僧自身が、お釈迦さまのように覚りを開くための道です。
修行僧は皆、厳しい修行道を選んだ人たちです。

お釈迦さまはそんな修行僧たちに向け、修行の妨げになる「怠け心」が出ている時は、
次の5つが起きていると説きました。現代語訳で説明します。

目標達成を妨げる「5つの蓋」
日々の頑張りや目標達成を妨げてしまうもの、それを仏教では「五蓋(ごがい)」と
言います。心に覆いかぶさる蓋という意味で、自分の心に向き合えなくなってしまう
障害になるものです。

1つ目の蓋は、貪欲蓋(とんよくがい)といって、むさぼり求める「欲」を指します。
貪欲にはさまざまな欲がありますが、中でも異性に対する性愛の欲望である
「愛欲」は、人から集中力を奪います。恋をして勉強が手につかない。
好きな人から連絡が来なくて、仕事に集中できない。
自分の好むものを過度にむさぼり求めると、目の前の物事に集中できなくなります。
 
2つ目の蓋は、瞋恚蓋(しんいがい)、怒りです。仕事やプライベートで嫌なことが
あったとき、それを思い出してはイライラしたり、ムカムカしたりしていませんか。
怒りはパフォーマンスを下げる要因の一つです。怒りの感情にとらわれると、
本来自分が持っている能力を狭めてしまいます。
 
3つ目の蓋は、惛沈睡眠蓋(こんじんすいめんがい)といって、もうろうとしている、
ぼうっとしている状態を指します。心身の働きが弱まり眠りこんでしまうのは、
持病がある人は飲んでいる薬の影響があるかもしれません。
しかし、多くは睡眠不足や食べ過ぎなどによるものだったりします。
やらねばならぬことがあるのに、眠くなってしまう。修行のみならず、
勉強や仕事では大きな妨げとなり、集中力をそぐものです。
 
4つ目の蓋は、掉悔蓋(じょうげがい)。心がそわそわしている状況です。
まるで小動物が、物音がするほうをあちらこちらと見るかのように、
あっちもこっちも気になって気持ちが落ち着かない。
もうすぐ昼休みだなとか、あの漫画の続きが気になるなとか、
気持ちが分散してしまう状態を指します。
 
掉悔蓋は「後悔」とセットになっていますが、あんなことをしなければ
よかったという後悔は、自分の心の底に引っ掛かり、心ここにあらずな状態になります。
これも気にし続ければ、パフォーマンスは著しく下がります。
 
5つ目の蓋は、疑惑蓋(ぎわくがい)です。疑うという字を書きますが、
何かを疑うわけではなく、イエスノーがはっきりしないという意味になります。
仕事であれば、心からやりたいと思っておらず、なんとなくやっている状態です。
何をやっていいかが実はよく分かってない。やり方が分からない。自分の中で
目的が明確ではない。それでは当然、乗り気がせず、やる気も湧かないでしょう。
 
ここに書かれている5つの要因は悩みに対する原因をあげているのです。
明確な目標と目的を持って世の中のために生きる決心すれば無くなります。
5つの要因は人がこのように精神的に不安になればこうなりますよという話です。
勿論、多くの人がこの5つで悩み苦しんでいるのは分かります。

私もこの「5つの蓋」に何度か悩まされました。
そして大きな失敗の経験をしてようやく落ち着いた人間になりました。
その時に気づいたのが努力ばかりではなく「怠け心」の重要性です。

現在は文明の進化により複雑な競争関係が出来てしまいました。
一見、テクノロジーのお陰で便利になったと誤解するのですが、
通常の人間関係よりも様々なスキルアップの努力を続けなければなりません。
常に他人よりも「知っている」という競争心が大きなプレッシャーとなります。
このままでいくと頭の中が情報の詰めすぎでパンクしてしまいます。
そうさせないためにも適度な「怠け心」は大切です。

怠け心の休息時間を利用して「自分」を考える必要があります。

① 生きることを知り、生きることで悩み、生きることを楽しむ。
② 夢を描くことではなく、理想をしっかりと描くのです。
③ 利他心、少しでも他人の役立つことに力を注ぐことです。

人は欲を持つと悩みが増えるのです。自己中心の幸福を求めると敵が多くなるのです。
邪念や疑う心が出てくると楽しいはずの人生がすべて被害者意識に変わるのです。
精神的な「怠け心」は、つよく罪悪感を持たないことです。
それがなければ重度なストレスがかかります。

肉体的な怠け心は体を休めてから、自分発見の旅に出かければ解決します。
精神的な悩みは心を休めてから、次の目標が見つかれば解決します。

ある意味すぐに解決する必要がなければ「そのままでいいんです」を信じて
過ごしましょう。私たちは修行僧ではないので過激に解決を求めなくても大丈夫です。

それから人生には大切な「道草」が必要です。
生きる上で途中下車も「怠け心」が出た時には必要です。
「道草こそ人生の哲学」効率重視で決められたことばかりするのではなく、
一見、道草は無駄に見えるが、その経験が人を成長させる。
多くの経験で新しい考え、新しい人との出会い、それが道草後の生き方次第で
その人の財産となるのです。

医学博士であり精神科医の斎藤茂太も人生に必要な100の言葉の中で
「人生は“道草”“寄り道”“回り道”」が楽しい
「人も時間も、旅として考えよう」を奨励している。

時には不効率で不可解な答えが出ることも人生の醍醐味です。
元々行き当たりばったりの人生を歩んできた私には「道草」が本筋で、
他人が歩む「本筋」は、ほとんど歩いたことがありません。
そんな「道草精神」があったからこそ時代を制するヒット作品が多く生まれたのです。
そうでなかったら自由と解放と夢を求めていた若者たちの琴線に
触れることは無かったと思います。

みなさまも「怠け心」が出た時には胸を張って「道草」をしましょう。
明日どうなるか分からない時代です。

「道草」の回数が多い人ほど乗り切る案をいっぱい持っていると思います。
今日も仕事の途中で「道草」をしてください。
何かワクワクドキドキすることを発見すると良いですね!