逆境の中を生きる




例えば、山の中に迷い込み二股の道に差し掛かった時に、右は人が通った跡があり、
左は獣が歩いた道があったとする。果たして貴方はどちらの道を選ぶだろうか?
一瞬にして判断する時に多くの人は人が歩いた右の道を当然選びます。
サバイバルの方法では必ず獣が歩いた左側の道を行けと書かれています。
遭難した人が歩いたかもしれない右側の道は一見安全なように見えるが、
果たしてそうなのだろうか?それよりも獣が頻繁に行き来する道の方が確かなのである。

獣は本能的に安全な道を選んでいるからです。

私は今まであえて困難と思える道を選んで来ました。
楽だと思える道は多くの人が選ぶ道でそこには競争があっても癒しはないからです。
困難から生まれる癒しとは険しい山道を登り頂上に着いた時に感じる爽快感です。
スポーツで言えば箱根マラソンのように自分の任された区間で息も絶え絶えに走り切り、
次の走者へ襷を渡した途端倒れてしまうランナー。

しかし彼らがゴールに集まった時にはいたずらをした後の子供の笑顔に溢れています。
誰しもが辛いと思えるランナーにはなりたいと思わないが、彼らはあえて過酷な道を、
自分のために、仲間のために、学校のために走れる喜びを知っているから走るのである。

私が担当した多くのヒットは制作会議で反対されたものがほとんどでした。
それは、管理者は安全と思われる道を進めるからです。
暴走族の親分の歌は会社に似つかわしくない、アメリカングラフィティーのひ弱な歌は
時代に合わない、黒人音楽は日本人に合わない、

女子高生の放課後の歌を誰が聞くのか等々いろいろ言われて来ました。

しかし、それらが全て爆発的なヒットとなったのです。

みんなが選ぶ安全道には過酷な奪い合いがあり、
みんなが選ばない道にこそ勝利があるのです。

禅語の中に「七走一坐」と「一日一止」という言葉がある
(『心配事の9割は起こらない』枡野俊明著/三笠書房)。
「七走一坐」とは、七回走ったら一度は坐れという意味だ。
ずっと走り続けていないと仲間から後れをとってしまう──ついつい私たちは
そんなふうに考えてしまう。しかし、長い目で見れば、ずっと走り続けることは
良いことではない。しばらく走ったら休息をとり、自分の走りを見直すのが賢明である。
「一日一止」とは、一日に一回は立ち止まりなさいという意味だ。
ずっと歩き続けるのではなく、一日に一回くらいは自分の歩き方を見つめ直す。
そうすることで、正しい歩みをつくっていくことができる。
「一止」という字を見てみよう。「止」の上に「一」を乗っけてみると「正」という
字になる。一日に一回、止まって自分を省みることは正しいのだ。

最後に最も多くの関係者が反対したのは「韓国ドラマ」と「中国古典演奏」だつた。
朝鮮人のドラマなんて日本人は見ることはないお前はプロデューサーとして終わった。
嫌いな中国のカビの生えた音楽を誰が聞くのか、
CDショップの一番目立たないところで売れ残るだけだと言われました。
結果はご存知のように韓国ドラマは日本人の女性の心を捉え、その後アジア各地でも
大ブームを起こしたのです。中国古典楽器奏者の「女子十二楽坊」も一瞬にして
世の中で空前の大ヒットとなったのです。これは演奏家のヒットの記録を作りました。

「2人の商人」

昔、江州の商人と他国の商人が、2人で一緒に碓氷の峠道を登っていた。
焼けつくような暑さの中、重い商品を山ほど背負って険しい坂を登っていくのは、
本当に苦しいことだった。途中、木陰に荷物を下ろして休んでいると、他国の商人が
汗を拭きながら嘆いた。「本当にこの山がもう少し低いといいんですがね。
世渡りの稼業に楽なことはございません。だけど、こうも険しい坂を登るんでは、
いっそ行商をやめて、帰ってしまいたくなりますよ」

これを聞いた江州の商人はにっこりと笑って、こう言った。
「同じ坂を、同じぐらいの荷物を背負って登るんです。あなたがつらいのも、
私がつらいのも同じことです。このとおり、息もはずめば、汗も流れます。
だけど、私はこの碓氷の山が、もっともっと、いや十倍も高くなってくれれば
有難いと思います。そうすれば、たいていの商人はみな、中途で帰るでしょう。
そのときこそ私は1人で山の彼方へ行って、思うさま商売をしてみたいと思います。
碓氷の山がまだまだ高くないのが、私には残念ですよ」

最後に皆様も好きな方や得意な方ばかり求めるのではなく、あえて苦手な方へ挑戦をして
みてください。辛いですけれど結果はどうであれ満足感と爽快感は味わうことは出来ます。
私はこれからも逆境の中を生き抜いていきます。