同床異夢




2000年に個人経営の音楽会社を全て閉じた。
残された会社の整理をしながら次の仕事を探し回った。
その時に友人の紹介で汎用の仕事を請け負うシステム会社へ就職した。
音楽屋が突然の転職でコンピュータの会社へ入ったのである。
仕事の内容は経営企画部長である。上場の為のシナリオ作りを命じられた。

その会社の仕事で何回か韓国へ出張で行き、ホテルでTVドラマを見ているうちに
このドラマは日本でも流行ると思い、IT会社の経営者を説得して資金を出してもらった。
そして韓国ソウル明洞に2001年にオンデマンドの映画会社を設立したのです。
目的は韓国ドラマの放映権と著作権の取得でした。

日本の映画会社や配給会社、テレビ局のドラマ担当者へ、営業で猛攻をかけたのだが、
しかし、何処の会社でも「日本人が朝鮮人のドラマは見ない」といわれて笑われた。
挙句の果てには「稲葉は終わった」と噂まで流された。
どこも融資には参加してくれなかった。

なにはともあれ私が韓流ドラマのキッカケを作ったのは確かである。

しかし、一年ほどして韓国側の経営者及び株主の不正を見つけて撤退した。
韓国側の役員は証券会社の社長、新聞社の社主、投資家の会長などそうそうたる
メンバーでしたが肩書に騙されました。反日の根深さを思い知らされた出来事です。

その時、時を同じくにして中国から新人の売り込みがあった。
私は一発で気に入り紹介者の中国人と北京に飛んで個人契約を結んだのです。
それがあの有名な中国古典演奏家「女子十二楽坊」である。

中国のプロデューサー兼オーナーは、日本の主要なレコード会社へ同じ資料を送った
のだが、全部不採用の返事ばかりだと打ち明けてくれた。
「中国の古典音楽なんて日本では誰も興味を持たない絶対に売れない」と言われたという。

稲葉がわざわざ来てくれたので交渉権は全部稲葉に任せると約束してくれた。

相変わらず日本の関係者は新しい市場を作ることが出来ないのだと確信した。
しかし私は大多数が売れないと言えば、必ず大ヒットへと持っていく自信があった。
私は中国側の条件を聞き入れ急ぎ帰国してレコード会社のトップと面談をした。
私をよく知っている大手レコード会社の会長が「売れるかは分からないが、
稲葉の頼みなので契約するよ」と回答をくれたのです。
そこから発売されるまでに二転三転したが結果は大成功に終わったのである。

そういえば昔CBSSONYへ入社した時に「女王陛下への贈り物」という本を読んだ。
(その後この本を探したのだが検索しても見つからなかった)
そこに書かれていたのがセールスマンの極意とあった。

A君とB君の2人のセールスマンにアフリカへ行って靴を売ってこいと指示が出た。
早速、A君とB君はアフリカへ飛び本社へメールを入れた。
B君は「この国では全員裸足なので靴は売れません」
A君は「最高ですみんな裸足なのでとんでもなく靴は売れると思います」
同じ状況の中でも人によってとらえ方が違う典型のパターンです。
私はA君タイプなので他人が反対すれば徹底的に挑戦したのです。

不思議なことにSONY時代は私が会議で反対(発売しない)されたアーティストは、
ことごとく大ヒットになったので、その後、私の提案の作品に誰もNOという人は
いなくなった。間違って私を知らない新人の営業マンが会議でNOと言えば、
私の目の前の灰皿が飛んだのである。笑い

その頃の中国でのビジネスは国際的にも信用度が低く、外国企業は必ず騙される
というのが定番であった。その上に韓国と同じように反日国家なので裁判を開いても
国家相手の揉め事になり敗訴すると心配しているのであった。

勿論、私も警戒しなければ怖い相手だと思っていたのだが、
そのころの日本は(2001年)ITバブルが弾けて最低の時代を迎えていた。
その中で多くのサラリーマンがリストラで職を失った時期でもあった。
私は何度も公園や図書館で時間をつぶしている中年サラリーマンを目撃した。
私はそんな同世代の会社員に勇気を与える音楽を探していたのである。

私は韓国でも中国でもいつも「同床異夢」の精神でビジネスをスタートさせていた。
あの韓国の映画会社の件も海外で新たなスポンサーを見つけて継続していたら、
きっと大成功を収めていたに違いない。フリーのプロデューサーの力の限界である。

しかしそれに執着せずに中国飛んだから奇跡的な世界的大ヒットに恵まれたのです。
同じ立場でありながら、相手側の考え方や目的とするものが違っても、
才能豊かなアーティストを世に出すのがプロデューサーの役目である。

私のプロデューサーとしての目的な音楽で人々を元気にさせることである。
時代を意識したトレンドのヒット曲は二の次で、やはり世の中の人が初めて聞く音楽で
感動して勇気が得られる曲を提供することが第一の目的です。

「同床異夢」は、今もよく使われる四字熟語の一つである。
12世紀ごろ、中国・南宋の儒学者が、論敵に送った手紙の中に出てくる。
同じ床にいながら、それぞれ別の夢を見ている。転じて、事を共になしながら、
意見を異にするという意味だ。

また「同床異夢」としばしば比較されるのが、「呉越同舟」である。
春秋時代、呉と越は激しい戦いを繰り広げ、前473年、呉は滅亡する。
そんな仇敵(きゅうてき)同士でも、同じ船に乗り合わせ、嵐に遭って
転覆しそうになれば、手を取り合って協力するだろうという意味である。
呉の軍師だった孫武が記したとされる、兵法書『孫子』にある。

今、日本は国力も弱まり、経済力も技術力も世界最低基準にいる。
政治家も経営者も自分の利益ばかり考えて国民のことは棚上げ状態にしている。
一番悪いのはそれらに怒りをぶつけない国民でもある。

過去の常識に囚われて新しい課題へ挑戦する気迫が一切見られない。
日本国中が「ゆでガエル」状態で沸騰寸前なのに飛び出そうとしない。

大人たちが悲惨な未来をこのまま残してしまうと、
それらの最大の被害者は子供達なのである。

若者たちよ「同床異夢」でも「呉越同舟」でも構わないから、
警戒しなければならない国の人たちと一緒に舟に乗り込み世界へ旅立とうではないか!

今はなにも行動に起こさないことが一番危険です。