その色に馴染む
新しいクラスでも、新しい職場でも、新しいサークルでも、最初は居場所がなくて
居心地がいいものではありません。暫くして会話をする人が現れてなんとなくホッと
します。クラスに応じた学びも、与えられた仕事も、サークル内での役割も理解が
進むにつれてストレスが無くなります。
「身(み)、初心(しょしん)なるを顧(かえりみる)ことなかれ」とは、
誰しもが初めは初心者であり初めから完璧な人など居ないから、経験や知識が
ないからと気後れする事なく新しい事に挑戦していきなさいと言う意味の禅語です。
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。時間の使い方は、
そのままいのちの使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。
雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。
次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。
渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」より
運命で導かれた道を歩むのか、今流行りの仕事だからその道を行くのか、
高額の報酬だからその道を選ぶのか、人それぞれですが、あなたの行きたい
道は別のところにありませんか?
心がワクワクドキドキする様な感覚が起こる道です。
自分のこれまでの経験や知識が活かされて自分の存在も認めてもらえる場所です。
流行りの仕事でなくても、高額な報酬でなくても、気持ちが楽な仕事が一番です。
他人の推薦や見た目の体裁で選ぶと「これは違うな」とすぐ反応して後悔をします。
悔しいのはその間に費やした時間も経費も無駄になることです。
花を弄(もてあそ)んでいると、花の中に身を置いることになり、
その花の香りがいつの間にか着物にしみつくように、人もよき友、よき環境の中に
身を置いていれば、いつの間にかよくなるものだ、という意味です。
「朱に交われば赤くなる」という諺にもある通り、人というものは交わる
環境や愛玩するものに、いつとはなしに影響されてゆくものであるから、
つとめてよき師、よき教え、よき友やよき環境に身を置けというのです。
『華厳経』という経典の中にも”薫習”(香りがしみ込むの意味)ということについて、
こんなお話が伝えられています。
ある日、お釈迦様は数人の弟子を連れて町を歩いておられた。道に一本の縄きれが
落ちているのに気付いたお釈迦様は、弟子の一人に振り返り、こう言われた。
「その縄を拾ってごらん。どんなにおいがするかね」。
縄を拾って、においを嗅いだ弟子は「お釈迦様、大変いやなにおいがいたします」と
答えました。
またしばらく歩いていると、今度は一枚の紙切れが落ちていました。お釈迦様は、
さっきの弟子に振り返り「その紙を拾ってごらん。どんなにおいがするかね」と
お尋ねになられました。紙切れを拾って、においを嗅いだ弟子は「お釈迦様、大変
よいにおいがいたします」と答えました。
お釈迦様はそこで立ち止まり、静かにおおせられました。「弟子たちよ、縄も
初めからいやなにおいがしていたわけではなかろう。
いやなにおいのものをしばったために、縄まで人に嫌われるようになってしまった。
紙切れも、初めは何のにおいもないものが、よいにおいのお香か何かを包んだおかげで、
みんなに喜ばれる紙になることができた。
お前たちも、つとめてよき友を持たなければならない」
お釈迦様は”対機説法”の名手で、まことに臨機応変。とても、わかりやすいお話だと
思います。
藍甕(あいがめ)の中の黒ずんだ藍液に浸した白い布は、それだけでは発色しない。
最初は茶色っぽく変色し、空気に触れるとくすんだ濃い緑色に。さらに時間を経て
乾いてくると、鮮やかな青が現れた。そして何度も染め上げを繰り返すことで、
より青く変化する。
中国の思想家である荀子は「青は藍より出でて藍より青し」と書いた。
「青い色は藍から取るが、出来上がった青は、原料の藍よりももっと濃い青だ」という
藍の神秘が言わしめた言葉だ。 そもそも原料のタデアイは緑色なのに、
なぜ青い色ができるのか。藍は、時を積み重ねて一層美しく変貌すると
いうのも、なかなか魅惑的ではないでしょうか。
「石は激流を選べず」恩学
最初はゴツゴツしていた岩も流れにまかして下流へとくだっていくと角がとれて
丸い石になる。しかし流れに逆らうと丸くはならずにより角張った岩のままである。
人は運命に逆らわず、決められた人生を、流れに任せて生きろという意味です。
若い時に不良であった人が年を重ねるごとに性格が丸くなり、立派な経営者になった
という話はよく聞きます。失敗から多くの学びを得て智慧がついたのでしょう。
反対に楽な人生を求めて他の岩にぶつからないように無難な流れに身を置くと、
思わぬ問題に引き込まれてしまうこともあります。
あえて失敗の経験を望む必要はありません。しかし失敗を起こしたときには、
知識で解決するよりも、人柄で解決した方が丸く収まります。
角張った知識つめで言い訳されるより、丸く素直な人柄で詫びる方が好感を持たれます。
角は掴みやすいですが丸いと掴みにくいですよね。
さまざまな人生の激流の中を流れに身を任すことも成長には必要です。
そして、もっと年を取るとその丸みを帯びた石が光り輝く宝石になることもあります。
「流石」流れる石が「さすが」と誉め言葉になるのも面白いですね。
英語では「ローリングストーン」と言います。
世界最年長ロックグーループの名前と同じです。
良き友人や良き環境の中に身を置けば、あなたもそうなります。
その上で人生の流れに逆らわずに、丸く輝く宝石のように生きることが大切です。