うた




「うた」は声域と声量と声質で構成されていてリズムやメロディーに合わした言葉を
声に乗せていくことです。我々が作るポピュラーソングは「歌」と呼ばれるものです。
歌は歌手のためにあるのではなく聴衆のためにあるものです。旋律に乗せた言葉が
時には勇敢に、時には情念を、時には歓喜を、時には癒しを誘発してくれるものです。
民族の歌や讃美歌などは国民性や歴史や誇りなどを想起させる役割も果たすのです。
歌は人種や貧富の差はなくそれぞれの願いを叶えるためにも必ず自由であるべき
なのです。

「うた」を詳しく説明するとこの様になります。(社会人の教科書より)
「歌」の意味は、主に2つあります。1つは、「旋律やリズムをつけた言葉を、
声に出して表すもの」というものです。また、そうした出される言葉も言います。
英語では、「song」がこれにあたります。分かりやすく言うと、
普段私たちが耳にしているポピュラーソングやコマーシャルソング、あるいは歌謡曲・
民謡などのような、メロディーに乗せて発せられる言葉が「歌」にあたります。
「歌を歌う」「心にしみる歌だ」「聴いたことのない歌」のような使い方をされます。

「歌」のもう1つの意味合いが、「和歌、特に短歌」というものです。
日本における伝統的な「歌」と言えば、「短歌」を指します。
こちらは、「歌を詠む」などのように使われます。

「歌」の字は、「口」や「人が口を開けている」などの象形から成っています。
ここから「口を大きく開けてうたう」という意味の漢字として成り立ちました。

「詩(うた)」とは、文学の一様式としての「詩(し)」を意味します。
「詩(し)」は、自然や人間の営みなどから受けた感動を言葉で表したもので、
一定の形式を持つ「定型詩」と、形式を持たない「自由詩・散文詩」に分けられます。
時代ごとにさまざまな種類がありますが、特に「詩(うた)」と読む場合は、
近代詩、現代詩を指すのが通常です。
「初恋の詩」「自然の詩」などのように使われます。

「詩」は「歌」と違い、メロディーやリズムがつきません。そうしたものを
つける場合もありますが、一般的には例外にあたります。
「詩」の字は、「言う」や「ゆく」などを表す象形から成っています。そこから
「内面が言語表現に向かったもの=うた」を意味する漢字として成り立ちました。

「唄」は、辞書においては「歌」と同じ意味の言葉として載せられています。
確かに「メロディーやリズムに合わせた言葉」という意味では同じですが、
細かい使い方には違いがあります。「唄」が通常表すのは、
「伝統的な邦楽に乗せて発せられる言葉」という意味合いです。
例えば、「馬子唄」や「御座敷唄」などといったものが、それにあたります。

「唄」の字は、本来「仏の行いをほめたたえるうた」という意味合いを
持ちますが、これが日本で「音楽に合わせてうたうための韻文」を指すように
なり、現在のような使われ方になったという経緯があります。

先日東京渋谷セルリアンタワー能楽堂で開催された伊丹谷良介生誕50周年記念
「うた」のコンサートへ行ってきました。
伊丹谷良介といえば中国で活躍をしてヒット曲を多数持っているロックシンガーである。
その彼が何故「能楽堂」でライブを行おうとしたのか?
そこには彼独自の思いがあったのです。

以前から交流があり師事している観世流シテ能楽師松木千俊さんとのコラボレーションで行われた「能とうた」。テーマは能楽の中から選んだ「安達原」です。

普段はバンドを引き連れマイクを通じて煽り立てるロックシンガーが一人で舞台に立ち
ノーマイク(生声)で2時間強歌い続けたのです。上・下白の衣装で白足袋を履いて
能舞台の真ん中に立ち、魂のこもった歌声を披露した。
50年間の思いを声が枯れるまでの気迫で堂々と歌い続けたのです。

その間に能楽「安達原」が入り円熟した能楽師松木千俊さんの舞台も繰り広げられた。
能楽堂の独特の雰囲気と能舞台。この日不思議な世界観を観客は体験したのです。
初めて能を鑑賞した人たちにとっては日本の伝統的文化を、この様な形で体験することが
できたのは得難い貴重な時間となったと思います。
勿論、伝統と格式の世界でうたう伊丹谷良介の魅力をファンも充分に味わったのです。

伊丹谷良介が行った事は今の日本には必要な事です。

日本全体が過去の亡霊に取り憑かれて身動きができなくなり、それ以上に数々の
不祥事や醜聞事件が浮き彫りにされて、国民は絶望感から容易に脱却は出来ない
状態です。ジャニーズの問題や宝塚歌劇団の問題は氷山の一角であり、芸能界の
事務所では似たり寄ったりの問題を抱えているのです。

他人の問題には無関心を装う人間が多くなった為に、意識のある人間も「諦めるか
戦うか」の二者択一になるのだが、伊丹谷良介は戦う挑戦を選んだ。

ロックとお能のコラボレーションは奇異を衒っているかの様に思われるのか、それとも
彼が言う様に「温故知新」(古きを温めて新しきを知る)伝統芸能の様式を変えずに
表現の仕方を変えることにより、お能から生まれるロックンロールがあっても良いのでは
ないか。彼はあらゆる意味で「うた」の持つ力を信じて熱唱したのです。

そして、お能の中でもとても難しい演目である「安達原」を選んだのは、
単純な思い付きではなく学生時代からの思いれのある演目であり、彼の崇拝する
漫画家手塚治虫の映画でも取り入れられていたからです。

物語「安達原」

熊野那智・東光坊の阿闍梨・祐慶の一行は、本山を出、諸国行脚の旅に出ます。陸奥・
安達原にさしかかると、日はとっぷりと暮れ、ぽつんと灯った明かりを頼りに、
一軒の家に宿を乞います。

一人で淋しげに住む中年の女性(前シテ)が住むその家は、月光も射し込むほどの荒屋。
宿を貸すことを躊躇しますが、さすがに哀れに思って、一行を中に招き入れます。
女は祐慶(ゆうけい)に乞われるままに、糸車を回しながら、人の世の虚しさを
嘆くのでした。
やがて女は、寒くなってきたので薪を集めに山に行こうと言い、留守の間、くれぐれも
閨(ねや)の内を見ないように念を押して出かけます。(中入)

不審に思った能力(間狂言)が、祐慶の戒めも聞かず、こっそりと閨の内を見ると、
そこは死体が軒と同じ高さまで積み上げられていました。肝を潰した一行は、大急ぎに
逃げ出しますが、鬼女となった女が追って来ます。祐慶の祈りの法力によって鬼女は
姿を消します。

「うた」

みんなが誕生した
この星で

春夏 秋と冬と
四季に包まれて

水と太陽を浴びて
育って来れた

楽しみ 苦しみ
今ここにいる

うた
人生はうたであり
うたは人生である

うた
また何か始まる
終わりじゃない

愛情 別れ
想い出をバネに
未来へ飛ぼうよ

うた
一緒に歌おうよ
何か始まる

うたを歌おう
産まれた時のあの声で  

うたを歌おう
春夏秋と冬の中


うたを歌おう
昨日より明日成長して

うたを歌おう
苦悩の中で出逢えるから

うたを歌おう
愛情を知り 別れも知る

うたを歌おう
想い出 未来 
そして 



うた

うた

Lalalalala

Lalalalala

Lalalalala…

この日の能楽堂には万雷の拍手がいつまでも鳴りやまなかった。
有難う伊丹谷良介。