説教者とは




説教者という言葉に惹かれて調べてみました。
江戸時代に自らの経験で、ことの道理を説き「どうあるべきか」を
激しい口調で伝えし者とある。
学者や僧や歌人や茶人などの極めた人たちが、
大衆に向かって魂の叫びを繰り広げていたのである。

元来日本人は純粋さに加えて激しい「情念」を胸に秘めているので、
聞く者たちは大いに歓喜したのに違いない。
「情念」とは深く心に刻み込まれ理性では抑えられない悲しみ、
喜び、愛、憎しみ、欲などの強い感情。所謂、感受性が敏感なことを云うのです。

現在、怒りをなくした日本人!
1945年8月に原爆を2発落とされて敗戦を余儀なくされた日本。
その後GHQの方針で教科書から「歴史と地理と修身」を
排除されて骨抜きにされてしまった。
アメリカの歴史学者ルースベネディクトが書いた「菊と刀」に
描かれている義理堅い、忠義に熱い、愛国心溢れる日本人が再び復活しないように、
アメリカがコントロールしたのである。

それからの日本政府は、まるで奴隷になったというよりは、
妾(めかけ)の魂を刷り込まれてしまったという感がある。
日本は妾が旦那(アメリカ)の言うことには一切逆らいませんと
言っているようなものである。

因みに妾とは正妻のほかに愛し扶養する女のこと。経済的援助を伴う愛人を指す。
妻は妾の存在を承知している場合がほとんどで、
社会的に認められていて隠されるものではなかった。
また、妾を囲うにはそれなりの金が必要であるため、
「男の甲斐性」の象徴とされる場合も多かった。
大成した政治家や経営者が妾を囲うのは恥ずべきことではなかったのである。
そして有名なのは渋沢栄一が数人の妾を囲っていたという話である。

今日、我々現代人が説経を聞く機会は、全くといっていいほどなくなってしまった。
徳川時代の前半に刊行された版本が数点残っており、
それが書物として流通してもいるので、
わずかにそれを頼りに雰囲気の一端に触れることができるばかりである。

それでも、説経というものが持っていた、怪しい情念の世界が、
現代人にも激しい感動を呼び起こす。
日本人の意識の底に、澱のようにたまっている
情動のかたまりが、時代を超えて反響しあうからであろう。

中世の民衆は、戦乱の中で抑圧され、この世に希望をもてない者が
多かったに違いない。
そんな彼らに向かって、説経者たちは、抑圧と開放、死と再生、憎しみと
愛を語った。
語りの一々は、時にはおだやかに、時には荒々しく、人間の情念を
飾りなく表現したものであり、当時の民衆の心に直接訴えかける言葉からなっていた。

説経の中の主人公は、抑圧されたものであり、乞食同然の下層民として描かれている。
彼らは、重なる迫害に耐えながらも、自分の強い意志によって行動し、
最後には抑圧者に残酷な復讐を成し遂げる。
聴衆は、説教のこんなところに、自分の魂の開放を感じ取ったに違いない。

このように、説教というものは、演者と民衆との間の濃密な空間の中で
語られることにより、民衆のエネルギー、つまり愛や情念といったものを
蓄積していったのであろう。
その愛や情念が人間の本源を照らし出す限りにおいて、
時代を超えた普遍性へとつながっていったのである。

世界一有名な説教としてはイエス・キリストが山上で弟子や群衆におこなった
説教「山上の垂訓」は誰をもが知るところである。

汝の敵を愛せよ
叩けよ、さらば開かれん
狭き門より入れ
右のほほを打たれれば、左も向けなさい
何でも人にしてもらいたいと思うことは、その人にしなさい

汝の敵を愛せよとは、自分に対して悪意を抱いている者や、
迫害してくるような敵こそ慈愛の心を持って接しよという教え。

叩けよとは、神の国の門は待っていても開かれず、ひたすら神に祈り、
救いを求める者に神はこたえてくれるから。

右のほほをとは、報復の連鎖を断ち切る決意である。
「非暴力、不服従」は「無抵抗」とは異なります。
はっきりと抵抗するが、ただし、暴力をもって、
決してそれはしないということです。

何でも人にしてもらいたいとは、困っている人が望んでいることは、
危害を受けることがあるかもしれません。
それでもその人にしてあげなさい。

(マザーテレサが説教の時によく引用していた言葉です)

長年プロデュースを生業としてきた経験を活かして「説教者」になる覚悟である。
多くのアーティスト(音楽家・画家・陶芸家など)と接してきた中で、
感情の発露はどのようにして生まれ、喜怒哀楽はどのようにして
コントロールされていたのかを知っているからである。

そして数多くの経営者とも話をしてきた結果を、あとから来る者たちへ
真実を伝えたいのである。人々は金儲けの技術を教えたがるが、
私はもっと根本的な人間性の質を上げるためには、
どうすればよいかを説教したいのである。

いわゆる「人間力」を高めるための説教である。

幸いにして「耕心塾」で説教しても良いとお誘いがあった。
岐阜県にあるお寺の中で悩める若者を中心に説教するのである。
畑を耕し、心を耕し、人を耕し、国を耕す「寺子屋」の塾である。

様々な人生経験をしてきた稲葉瀧文が渾身の力を振り絞り説教をします。
覚悟はよいか悩める若者達よ!
魂をつかみに行きます。