心に響く言葉
仕事柄、美しい言葉にはとても敏感に反応をしてしまいます。
美しい言葉を聞くとほっとします。
しかし近頃本当に聞く機会が少なくなりました。
何故でしょうか。心に価値観を持っていた時代から、
物に価値観を置いた時代、そしてお金に執着する時代となり、
親愛や尊敬や情愛の念が薄れてしまったからなのでしょうか。
逆に海外からのお客様のほうが、
美しい日本語を使われる方が多いかもしれません。
私の知り合いの韓国の女性は、祖母さまから教わった
心のこもった日本語を流暢に話します。
何故か外国の方から正しい挨拶をされると、
とてもほっとします。そして心に響きます。
その言葉同様に、ちょっとした所作にも、正しい礼儀作法が現れるのです。
大変良い躾を学ばれたと感心してしまいます。美しい言葉は動作と一対なものです。
美しい言葉と言われるのは、正しい日本語を使うのと、
正直な気持を伝えるとの二通りがあると思います。
正しい日本語は、一流の作家や詩人の作品を読めば、学べるかと思います。
専門家が書く正しい日本語を、理解し記憶する事が大切です。
私の好きな美しい文章は、特に自然をモチーフにしている場合が多いように思われます。
万葉集では「万葉集表現方法」というのがあります。
寄物陳思(きぶつちんし)恋の感情を自然のものに例えて表現
正述心緒(せいじゅつしんしょ)感情を直接的に表現
詠物歌(えいぶつか)季節の風物を詠む
譬喩歌(ひゆか)自分の思いを物に託して表現
人の考え方や感情を直接的に表現するよりも、
自然界の花鳥風月で比喩されると、
文章に温かみや膨らみが感じられてとても癒やされます。
そのような素晴らしい文章を覚える事によって、
いつしか知らぬ間に自分の言葉と重なっていくのです。
又、正直な気持は、自分の大切な思いや自分の価値観を、
普段から守り通さなければなりません。
常識や立場で何かを言うのではなく、心に気付いた気持を正直に表現するのです。
いたずらに言葉を飾り立てる必要もありません。
ありのままが、相手の琴線を震わすのです。
相手に気を使い、嘘を付く必要も無いのです。
美しい言葉は心に残ります。そして汚れた言葉は記憶に残ります。
美しい言葉を聴き、それを伝える事がとても大切です。
正に道元禅師の「愛語よく回天の力あり」です。
美しい言葉一つで、その人の人生が、大きく変わるということです。
反対に汚れた言葉は、いつまでも痛みを残して記憶の中に刺さったままです。
何気ない幼少期の虐めの言葉が、いつまでも取除けない事が有ります。
それを取り除く手段としては、記憶の汚れをふき取る事しかないのです。
その為には、美しい言葉になる、
美しい文章を、読み続ける事が大切かと思います。
詩人の茨城のり子さんの「わたしの叔父さん」という詩です。
「一輪の大きな花を咲かせるためには
ほかの小さな蕾は切ってしまわねばならん
摘蕾(てきらい)というんだよ
恋や愛でもおんなじだ
小さな惚れたはれたは摘んでしまわなくちゃならん
そして気長に時間をかけて 一つの蕾だけを育ててゆく
でないと大きな花は咲かせられないよ
これこそ僕の花って言えるものは」
叔父さんからこの様な言葉を語られれば、
人生の極意を授かったような気にもなります。
そして心に感動を残す事にもなります。
又、徒然草二十六段に「風も吹きあへずうつろふ人の」という文章があります。
「風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、なれにし年月を思へば、
あはれと聞きし言の葉ごとに忘れるぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、
亡き人の別れよりもまさりて悲しきものなれ」
「語訳」いとしい人の言葉はどれも忘れられない。
が、そのような相手も、やがて自分とは
別の世界の人になってゆくのが世のならわしである。
それは人の死別にもまさって悲しいものである。
人生晩年になるとこの様な言葉は身に滲みて分かるようになります。
その人の思い出よりも、その人の残した言葉が蘇るのは切ないですね。
世阿弥の「風姿花伝」にも有名な言葉があります。
「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
この分け目を知る事、肝要の花なり。そもそも、一切の事、諸道芸において、
その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。」
能の世界に生きる人達が基本中の基本として教えられる言葉です。
自分の能力や才能は隠れたところ(内面)にあるから花になる。みせびらかしたり、
誇張したりすれば、そこに花などはない。意識せずに舞う事が大切である。
家伝とされる技も、表面に出さないから、秘儀として大役を得ることが出来るのである。
秘する事(謙虚さ・自然体)が成長の礎となる。
謙虚に控えめにそして思いやりは日本人の心の基本です。
仏教詩人坂村真民の詩にも、この様な素晴らしい言葉が有ります。
「念ずれば花ひらく」
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたくしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
母親が多事多難の人生の中で、念仏のように唱えていた言葉。
私の病弱な母親は4人の子供を育てる為に、
夜中まで針仕事をしながら、何を唱えていたのでしょうか。
思い出すと悲しくて涙が止まりません。
愚痴の代わりにこの言葉を、自分に対しての激励として、
子供達を育てる悲願の念誦としてくちずさんでいた。
致知出版「現代の覚者たち」より
言葉はラフに使う場合と、緊張して使う場合があります。
ラフな言葉は雑多な用語を用いて思いを伝えるだけです。
緊張した時に使う言葉は、無駄が削ぎ落とされて、美しさが増してきます。
寡黙な日本人が言葉少なに想いを表現をした事柄が万葉集に描かれています。
美しい言葉を受け止めるには、美しい言葉を聞く耳と、
美しい言葉を語る口と、美しい気持ちが必要になります。
それを作りだすには心の奥に少しだけ隙間を作ることです。
相手の言葉を受け入れる隙間を用意しておくことです。
自分が苦しい状況におかれている時にこそ、
掛けられた言葉に「思いやり」を感じるのです。
また相手が大変なときに掛けた言葉で、
「勇気」をあたえることにもなるのです。
余裕があるから掛ける言葉は施しと同じです。
逆に余裕の無い時に掛けられた言葉は慈愛を感じます。
マザーテレサは言います。
「思いやりのある行為へのもっとも確かな近道は言葉を使うことです。
ただし、他人への良いことのために使いましょう。」
貴方もお返しに美しい言葉をたくさん使ってみて下さい。
美しい言葉は使わないと忘れてしまいます。
又、他人の美しい言葉にも気付かなくなってしまいます。
それは、美しい言葉は一瞬で通り過ぎてしまうからです。
さて、貴方は最近美しい言葉を使ったことがありますか。
さて、貴方は最近美しい言葉を聞いたことがありますか。