人の出会い

 

「人の出会いは一瞬速からずまた一瞬遅からず。出逢うべき人には必ず会う。
しかし求める気持ちが無ければたとえ運命の人でも目の前を通り過ぎる。」哲学者森信三

多くの人に出会い、そして多くの人と別れる。
去っていく人を無理に止める事もなく自然の流れに任せる。

この人とは運命の出会いかと思っても数年で別れることもある。
「喜怒哀楽」を分かち合った友でも一瞬にして離れることもある。

かといって無理に流れを止めたり、流れを変えたりする必要はない。

人の生涯は生れた時から「生老病死」という四つの苦しみを与えられているからである。
「生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死の苦しみ」の四つである。
その上、

「愛別離苦」(あいべつりく)愛する人と別れる苦しみ、
「怨憎会苦」(おんぞうえく)恨み憎む人と出会う苦しみ、
「求不得苦」(ぐふとくく)求めるものが得られない苦しみ、
「五陰盛苦」(ごおんじょうく)存在を構成する物質的精神的五つの要素に執着する苦しみ。

これら四苦が加わり、先程の四苦とあわせ四苦八苦(しくはっく)という。
誰しもが短い人生の中でその都度四苦八苦の世界を過ごすのである。

だからどのような出会いでも無理に留める必要はなく忘れる必要もないのである。
どのような出会いでも無理に執着する必要はなく継続を重んじる必要もないのである。

それぞれ自分の人生軸を大地に打ち込んで揺るぎないものにしなければならない。
その為には出会うべき運命の人に出逢わなければならないのである。

貴方にとっての運命の人とはどのような人を言うのだろうか。

人の道を教えてくれる先輩、志を同じくする仲間、共に冒険が出来る友達、
夢を語れる伴侶、様々な人との出会いに運命を感じることがあるのではないだろうか。

運命の人と接する時は素直に実直に接することが大切である。

本音で語りあい過去の恥も失敗も曝け出す事である。
その中で、ともに笑い、泣き、励ましあえる人こそ運命の人ではないだろうか。

四苦八苦の世界である。見えない暗闇に光を照らしてくれる人が運命の人である。

その為には今を大切に純粋に一途に生きなければならない。

「因果応報」という言葉がある。
過去における善悪の業に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、
現在の業に応じて未来の果報を生ずることを「因果応報」という。

すなわち、現在の姿は前世の行いの表れであり、現在の行為は未来への果報なのである。

現在、なに不自由なく幸福な人は、前世で善の貯金が一杯残っていた人である。
その反対に何をやっても駄目な人は、前世での不善の借金がたくさん残っていた人である。

しかしどのような人生でも「四苦八苦」からは逃れようがない。
その苦しみに耐えなければならないのである。

煩悩からうまれた悩みや苦しみからの脱却は自分一人では出来ない。
運命の人との出会いが自分自身の宿命を大きく変える力になるのである。

人の出会いは一瞬速からずまた一瞬遅からず。
人生の流れに素直に準じていなければ運命の人には出会えない。

人の一生も、野に咲く草花のように、四季の移り変わりの中で、
自然のままに、生まれ、育ち、朽ちて、また咲けば良いのである。

辛くても咲き、悲しくても散り、苦しみの中から芽が出て、また花開けば良いのである。

求める気持ちを失わずに運命の人に出会うべきなのです。