AIの分別知




俗にいう「Al対人間」とはどの人間を指して述べているのか分からない。
AIのどのような機能と人間のどのような能力とを戦わせようとするのか。
進化という抽象的で曖昧な表現にもう人間は欺かれない。
全ての人がAIを受け入れているわけではないAIに無縁な人もいる。
便利なツールであることに変わらないのだが、便利ゆえに人間の思考が
退化する恐れがある。指先ひとつで文章からデザインから写真や動画まで
瞬時に操れる時代がすでに目の前に現れた。
頭の中でイメージするだけで理想的な作品が出来上がる。

私が人間として誇れるのは朝日を浴びて森の中を散歩する。
木々の緑の中を鳥たちが飛び回る。川の流れが聞こえてくる。
広がる大空を見ながら絵の具を取り出す。
そして真っ白なキャンバスに最初の一筆を塗りこめる。
黄昏時には真っ赤に染まる山々を眺めながらテントを張る。
漆黒の闇の中では星空が心を洗ってくれる。
流れ星を数えながらフクロウの声を聞く。
それぞれの音を出し合いながらコミュニケーションを取る。
そこに美しい音楽が生まれて来る。
頭の中も身体も指先にも感じる大自然の息吹が心地よい。
人間の想像力はそんなところから生み出されることである。

西洋学の「分別知」は良いか悪いかを分ける二元論的な考えです。
AIはここに力を発揮します。データー情報の収集力と分析力を瞬時に
判断して、天候も経済も様々な人間の感情も見極めるのです。

基本、人は「考えれば分かる」と思っています。
そうやって物事を理解するために考えること(知恵)を、
仏教でも「分別知」と呼んでいます。
「分別知」の特徴は、物事を分けて、分析することです。
しかしAIと違うのは理解力が人間を中心に考えていることです。

「分別知」によって、「無分別智」を理解することは不可能です。
「分別知」は、自と他を区別し、見るものと見られるものを区別する
二元論的な知ですので、どうしても見る自分が残り、
ありのままの世界を見ることができないからです。
「分別知」が理解しているのは、自分中心に見た世界です。
しかも、私たちはそれをありのままの世界と思いこみ、
知っているつもりになっています。
AIは「無分別智」の世界にまで踏み込んでくるのだろうか?

最近お気に入りの生物学者福岡伸一氏がこのように述べている。
「美の起源」が生命にとって必要なもので鮮やかな青が美の最初の
出発点としてあったと考えます。
その後、人の歴史の中で美の基準は変化してきました。

シンメトリーで規則的なものがいいとか、むしろ変調したほうが
美しいとか、ずらしたほうが美しいとか……いろんなバージョンが
出てきたけれど、それらをもう一度噛み砕いて考え、根本に立ち返ると、
生命にとって必要なものや生命の在り方や自然に適ったものが
美しいはずなんです。
だから無理をして創り出されたものは本来美しくない。

個々の個性に美しさを見出すようになったのは、
それが自然な生命の在り方なのだと皆が認識し始めてきたから
ということですよね?そう思います。人間の思考の一つの傾向として、
幾何学的に整ったもの、左右対称や黄金比などある種の理想的な
完成された美というのが、求められた時代もありました。

でもそれは人間が頭の中で創り出したイデアと言えるのではないでしょうか。
人工的で定式化された美は、それに近づくことが美を求めることではないと
思います。“理想の美”を求められていた時代を反省してありのままの姿にこそ
美しさがあると思えるようになってきたのは、
正気を取り戻してきた証拠なのかなと。

人類は今正気を取り戻した!
でもこの現象って最近のことのように思うのですが、なぜ今なのでしょうか?
やはり行きつくところまで行ったからではないでしょうか。
科学技術やテクノロジーを過信して何でもコントロールできたり、
整ったものに改編できたりすると信じて近代化してきたわけです。

確かに建物や乗り物などの工学的な物の場合、テクノロジーはそれをより
完成形に近づけることができるようになったでしょう。
しかし、忘れてはならないのは我々の生命というのは自然であって、
工学的なものからもっとも離れた、偶然によって成り立っている
福岡伸一「エントロピー増大の法則」より

秩序あるものはすべて秩序ない方向にいこうとして逆らうことは出来ない・・・
というのが「エントロピー増大の法則」という宇宙の大原則。
AIを否定するつもりはない。むしろAIの進化に興味を持っている。
人間の代わりに危険な作業をAIが担うわけですから歓迎すべきかもしれない。
しかし、そこに多くの人が取り残されるのはあきらかである。

自然界の美を愛でるという行為が数値的な判断でAIが述べたとしても、
それに従う必要は無いのである。
人間の価値までもがAIの判断に任せることだけは反対である。
科学の進化に必要なのは芸術です。
芸術こそが人間の正気を取り戻すことが出来る唯一の手段です。

私は若い頃からずっと音楽の世界に居ました。
感情を音に乗せる作業と言うのは感性がものをいいます。
昔、録音したCDにノイズが多く入っていると指摘されたことがあります。
コンピューターがそう判断したから取り除きなさいと指示が来た。
ふざけるな!意図したため息をノイズと判断するコンピューターに何が分かるのか?

好きか嫌いか、美味しいかまずいか、心地よいか心地悪いかなどの感覚は
人間の脳が判断するものでAIに任せる必要は無い。