記憶のデザイン




AIによって学習したことをしっかりと覚える必要が無い時代になった。
教室で習った歴史や英単語を丸暗記する時代は遠い過去の話になる。
今はタイトルとインデックスだけを記憶して、
AIで検索すると瞬時に回答が寄せられて文章を記憶する必要は無くなった。
学習の大変さを思い出して、テストで苦労したことを懐かしがる必要もなく
ただメモリーを取り出して反復するだけになる。

3年前に家内とNYへ行った時に経験した出来事である。
海外へ行く前に格安フライトと宿泊予約が一瞬にしてアプリでできた。
移動するための配車サービスや翻訳アプリを入れておけば困ることも無かった。
今回はファクトリー探訪と決めていたのでNYに着いてから情報を集め、
行きたいエリアで検索すれば一番近い距離で最高のカフェが紹介された。
その店の近くで素敵な散歩コースと検索すればいくつも紹介される。
場合によってはその場に適した会話も音楽も紹介される。
もう旅行ガイドセンターへ聞きに行くことも無い時代に入ったのである。

最近では予約の際に個人情報を入れるとより具体的なサービスが受けられる。
お店に入ると「稲葉様ようこそいらっしゃいました」と
名前で迎えられ、席に着くとウエルカムドリンクとしてシャンパンが
グラスに注がれる。初めての店でも彼女と二人でVIP待遇の雰囲気を味わえる。
予め食事の内容とワインの銘柄を伝えておけば、ワインが飲み頃の状態で
タイミングよく出て来る。
事前にカードで支払いを済ませておけば煩わしいやりとりは不要になる。

最高の場所でドキドキワクワクして思い出を作らなくても
モバイル一台あればすべての記録も写真も残すことが出来る。
写した写真や動画をSNS上に掲載して家族や友人たちと共有をする。
手間暇かけた想いで作りに時間がかからなくなった。

しかし本当にこれで良いのだろうか?
実際の出来事を「記憶」に残すことによって喜びや悲しみが、
思い出となるのに、全てテクノロジーに頼ってデータに
残すだけになると思い出に感動がついてこない。
感情の起点となる、探す・選ぶ・予約する・ワクワクする・ホテルに
宿泊が入っているか・ドキドキするかなどの悩みは一切必要に無くなる。

テクノロジーによって便利に情報や記録にアクセスできるように
なったにもかかわらず、本当に大切なことが思い出せない。
そんな経験はないでしょうか。
インターネットの誕生以降、人類が生み出すデータ量は指数関数的に
増加してきました。SNSによって日々ますます多くの情報が「記録」
されるようになっているものの、それにともない私たちがよりよく
「記憶」できるようになったかといえば、そうではないのかもしれません。

毎日あてもなくSNSをスクロールするものの、
次の日に覚えているものがどれくらいあるだろう? 
偏った情報、誤った情報がとめどなく流れるなかで、
私たちはどのように自分の記憶を世話していけばいいのだろう? 

最新記憶の残し方で検索するとこのような記事に出会った。

テーマは、「記憶と場所」。作家の山本貴光さんと、「場所と記憶」を
モチーフに小説を書き続けてきた作家の柴崎友香さんが、
「記憶」をキーワードに、柴崎さんの最新作から
幼少の思い出、小説にしかできない役割までを語りました。

「他人シミュレーター」としての小説。
ふたりのトークは、2023年12月に刊行された柴崎さんの最新長編
『続きと始まり』(集英社)の話題から始まりました。
阪神淡路大震災、東日本大震災、そして新型コロナウイルス感染症。
柴崎さんは本作で、2020年3月から2022年2月までの2年間にわたる
男女3人の日常を通して、日本に生きる私たちがともに経験した
出来事に光を当てていきます。

ある日突然マスクをする生活が当たり前になり、飲食店にはアクリル板が
設置され、リモートワークが日常化する──
物語が始まるのと同じ2020年に書き始められた『続きと始まり』には、
そんな当時の時間が文章というかたちで保存されているように見えます。
そうした「時間の再体験」こそが、小説にしかできない表現なのだと
柴崎さんは語ります。

「小説が、ただ情報を並べていくことと何が違うかというと、
小説っていうのはやっぱり、ある人間を通して世界を体験し直すことができる。
私たちは、普段は自分の身体を通してしか世界を体験できないですけど、
小説は別の人間に入っていくことを可能にしてくれる。
人の内側の、体感的な表現が、やっぱり小説にはできると思うんです。

2020年の何月にこういうことがあったというのは
みんな知っていると思うんですけど、でも小説ではもう1回その時間を
体験し直すことが可能だから、読まれた方が『こんなことを思い出した』
『そういえばこういうことがあった』みたいなことを、
感想として言ってくださるのかなっていうふうに思っています」

すなわち小説とは、山本さんの言葉を借りれば「他人シュミーレーター」
であり「記憶保存装置」でもある。
100年後の歴史学者たちは、もしかしたら柴崎さんの小説を読むことで、
2020年代の人々の生活を学ぼうとするのかもしれない、と山本さんは言います。

「テレビと動物的記憶」
トークの後半では、子どもの頃は1日に8時間はテレビを見ていた
「大のテレビっ子」だったという柴崎さんの経験から、
「テレビと記憶」について語られました。

かつて圧倒的大多数の人が見ていたテレビと、
現在、圧倒的大多数の人が見ているスマートフォン。
両者の違いは、それが移動できるかどうかと、
コントロール可能かどうかの2点が大きいといえるでしょう。

テレビはテレビの置かれているお茶の間でしか見られなかったのに対し、
スマートフォンはどこにでも持ち運んでいける。
テレビは放映時間が決まっているのに対して、YouTubeもNetflixも、
スマートフォンのコンテンツはユーザー側が「いつ見るか」を決めることができる。

スマートフォンでいつでも、どこでも情報を得られるようになり
便利になった一方で、記憶に残りやすいのはどちらだろうか?
とふたりは問います。

「この場所でエサにありつけた」「ここで危険な目に遭った」というふうに、
動物たちは場所と記憶を結びつけながら生きていると柴崎さんは言いますが、
そんな「動物的記憶」は、メディア環境が変化するなかでますます
薄れているのかもしれません。

オフラインとオンラインの境界がますます曖昧になるなかで、
私たちはいかに動物的記憶を働かせ、
過去をよりよく記憶することができるのか。
そのときに小説や物語は、私たちの記憶をどのように助けてくれるのか。
トークの最後には、柴崎さんが「小説にしかできないこと」を言い得た
イタリア人作家アントニオ・タブッキの言葉を朗読しました。

音楽プロデューサーとして大成するには記憶の役割がいかに重要かを
知る所から始まります。過去としての思い出が現代に活かせる方法は
ないかと試行錯誤しながら考えるのです。
音を覚えるのは勿論、音が流行していた時代の背景を調べるのです。
楽器だけの音ではなく当時の声や街中の騒音まで手繰り寄せるのです。
ここに想像力が必要になり物語が生まれるのです。

最近のAIに問いかければ音も情報も映像もデザインまでも教えてくれます。
テクノロジーの進化に驚いても感動は生まれません。
集めた情報をいかにミックスダウンするかで個性が決められます。