四人の妻
私は仏教書の中にある譬え話が大好きです。
キリスト教信者が毎日聖書を読むようにことあるごとに読んでいます。
人生に行き詰まった時には自分に置き換えて振り返りをします。
本日のブログはブッダの教えから「四人の妻」を紹介します。
四人の妻
釈尊の説法に、ひとつの譬え話があります。つぎのようなお話です。
昔、あるところに四人の妻を持つ男がいました。
彼は第一夫人をとても愛していました。毎日化粧をさせ、寒いにつけ
暑いにつけ彼女をいたわり、欲しいものを買い与え、行きたいと
言うところには連れて行き、食べたいものは何でも食べさせ、
寵愛していました。
また第二夫人は美人の誉れ高く、浮気をされないよういつも気にかけ、
外出の時は常に連れ出し、家に帰ってからは鍵のかかる部屋に入れ、
勝手に出て行かぬように見張りまでしました。
第三夫人には毎日会うわけではありませんでしたが、会えば気持ちが
通じ合い、互いに喜びあうのが常でした。
しかし第四夫人はといえば、まるで使用人のよう。毎日忙しく働き夫の
世話をしているにも関わらず、罵られたり無視されたりしています。
夫は第四夫人のことはまるで眼中になかったのです。
ある時、この男は遠い国へ行かねばならないことになりました。
そこで第一夫人に、「一緒に行ってくれ」と頼みました。
すると第一夫人は涙を流し、「あなたには色々お世話になり大切にして
いただきました。でもそんなに遠い国へ行くのは嫌です」と、
断られてしまいました。
しかたなく、今度は第二夫人に同行を頼みました。
すると第二夫人は、「あなたの最愛の第一夫人がお断りになったものを、
第二夫人の私ができるわけはありません」と、あっさり断わられました。
男はがっかりして、第三夫人のもとへ出かけました。
第三夫人は「それでは国境までお見送りいたしましょう。
でもそこまでにしてください」と、やはりついてきてはくれないようです。
男は途方に暮れて、第四夫人にも同じように言ってみました。
すると第四夫人は「親元を離れてあなたに嫁いで以来、
常にあなたと一緒です。だから、どこまででもお供します」と答えました。
それを聞いて男は、深い後悔の念におそわれました。
こんなに自分を思っていてくれる相手をもっと大切にすべきだった、と。
ここで釈尊は尋ねられます。「この男とはだれのことであるか。
遠い国とはどこか。また第一・第二・第三・第四夫人とは
だれのことであるか」と。
男とはこの「私」のことです。
遠い国へ行くとは、「死ぬ」ことです。
第一夫人とは私の「肉体」のことです。いつも可愛がって甘やかしていた
肉体という妻は、死を境にして別れねばなりません。
第二夫人の美人とは「財産」です。確かにお金は魅力的です。しかしやはり、
死後の世界にまで連れて行くことはできません。
第三夫人とは「家族や親族」のことです。生きている時はお互いに親しみ、
離れがたい間柄です。しかし死んだ時は墓場までは見送ってくれるものの、
一緒に墓へは入ってくれません。
第四夫人とは、私の「業」です。「親元を離れてあなたに嫁いで以来」とは
物心ついて以来、ということです。「業」とは、私が心で思ったこと(意業)、
話したこと(口業)、そして身体的活動(身業)の三者、および
その影響力のことです。
物事にはすべてその原因があると、仏教では教えています(縁起)が、
これを逆にいえば、私たちがなす行いには必ず結果を伴います。
それは私の命が終った後にも、ずっと連鎖して残って行くものです。
ですから、私たちは自分の責任を持って、
注意深く発言し行動せねばなりません。
「無常忽ちにいたるときは国王大臣親昵従僕妻子珍宝たすくる無し、
唯独り黄泉に趣くのみなり。己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり。」
(道元『正法眼蔵』)
海外の経営者達が「禅」に憧れて心酔するのは人を対象にしているからです。
多くの宗教は神を対象に規律が作られて正しい道を説いています。
それに比べて仏教では人間が犯すであろう出来事をわかり易く説いています。
ユダヤ教の聖典「タルムード」も過去の人たちが何故その過ちを犯したかを
次の世代に伝えて、その解決法も教えています。それを生きている者たちが
文章を追加するので直ぐに役立つ手引書とも言われています。
私への質問で多いのは「何故その年齢になってまで働いているのですか?」
「その苦労には経済的な豊かさの保証があるのですか?」
「成功したり失敗をしたり自分の人生に疲れませんか?」
私からの答えはいたってシンプルです。
私がエベレストの登頂を目指すと言ったら家内も友人も反対しますよね。
命の保証もない所へ行って何が得られるのかと心配してくれます。
しかし、多くの人が求めるのは難攻不落な挑戦をする人の心の在り方です。
思い立ったキッカケは?準備したものは?現地との連絡は?万が一怪我をしたら?
心配事は尽きないものです。多くの事を考えたら悩みは尽きないものです。
あなたがやらなくても専門の登山家がやるから無謀な挑戦は無意味だと
言い切る人も大勢います。
私は何事に対しても素人です。知識や経験もそれほどありません。
しかし、世の中にはプロよりもアマチュアの方が圧倒的に多いのです。
過去に存在していないことに挑戦してその結果を伝えていくことも
大切な役割だと思っています。
日本にまだその存在が認められていない時にプロデューサーの重要性を訴えました。
周りから馬鹿にされても自分なりの考えを実行して成功体験を多く残しました。
そうなると世の中が一転します。誰もがプロデューサーの重要性を話し始めたのです。
私はそれでよいと思っています。
僅か2・5%のイノベーターがアイデアを発信して
13・5%のアーリーアダプターが具現化して、34%のアーリーマジョリティーが
広めていく。(エベレット・M・ロジャーズ)イノベーター理論
昔から変わらぬ法則です。
新しく始める時には批判や非難はつきものです。
しかし、それに恐れていては何も解決しないのです。
登頂した人間にしか語ることが出来ないことは成功者にも言えるのです。
無理だと思えるところにいつも勝機があることを忘れてはなりません。
自分を乗り越える「自己超克」の気構えが必要です。
今回の四人の妻はあなたが何を大切にしているかの意識を
再確認できれば嬉しいです。