最後にもう一回だけ




創造力とは一瞬では無く頻繁に起こる現象であらねばならない。
直感で得た創造は朧気であり確実性なものではない。
創造力と予知能力は似て非なるものである。
創造力には連続性が必要で予知能力は単発の予感でしか無い。
創造力は生産物が残り予知能力は言葉のみが残る。

プロデューサーやアーティストは無から有を生み出す仕事である。
悪戦苦闘しながらこれでもかと練り上げながら音を紡ぐ。
心地よさは一瞬であり持続性を持たないから感動に照準を合わせる。
感動とは聞く者の心の琴線を振るわせなければならない。
琴線を震わすほどの感動は脳の奥深く心に深く刻まれる。
聞く人の精神状態は時間の中でも移り変わる。
同じ精神状態で一日を過ごすのではなく朝から夜へと変化が伴う。

歌の中で一番作りやすいのがラブソングである。
恋愛をしている者の心は音楽を受け入れやすい。
聴衆はラブソングにすぐに反応するので良し悪しが即わかる。
制作者は特定の人を思い浮かべながら新しい旋律を作り出す。
対象とする相手の姿かたちや心情を織り込まなければならない。
その場合には当然アーティストの経験や知識が必要になる。

逆に歌作りで一番難しいのはメッセージソングである。
個人へのメッセージなのか、社会を対象としてのメッセージなのか、
世界規模(愛と平和)へのメッセージなのかで大きく作り方が変わる。
勿論、想像力とボキャブラリーが豊富に越したことはないが、
現実を嘆くだけではなくて、そこに希望の歌詞が含まれないと
ヒット作品にするのは難しい。
メッセージの発言者としては実際に活動しているのかも重要である。

英語は単語自体に旋律を感じ一音に意味を持たせることが出来る。
例えばLOVEは一音に乗るが愛は二音必要である。
PECEも同じ一音に乗るが平和は三音必要である。
日本語はメロディーに乗せるのは簡単なのだが、
言葉に意味を持たせなければならないので、
音の響きと長さを同時に考えなければならない。
英語の歌詞は一曲の中に繰り返しが多いが、
日本語の歌詞はストリー性がないと楽曲の完結がしない。
これらのことをすべて考えて五線紙に書き込んでいく。
そして旋律は歌手の声にもよって奥ゆきが変わる。声は楽器である。
誰しもがヒットに恵まれるのではなく、
かといって運を天に任せるのではなく、
楽曲が多くの人に受け入れられている姿を想像しなければならない。

私のプロデュースの方式は一作目の作品からヒット望まない。
だいたい三作目辺りで大ヒットを狙う。
最初は聴衆に歌い手の声と、メロディーを覚えてもらう。
次は、聴衆に歌い手の存在&言葉(歌詞)のオリジナリティーを伝える。
そして、三作目は世相や世代の感覚を意識した覚えやすい歌を発表する。
その為には代理店やテレビ局に頼んでCMや主題歌を取り付ける。

アーティスト育成上に必要なことはお客様と触れ合うことである。
先ずは小さなライブハウスで訓練をして、中規模なホールでメディアを集め、
ヒットが出ると加速的に応援者へアプローチして大ホールへとつなげる。
これに要する期間は凡そ三年間はかかる。
しかし、現代ではSNSを屈指して架空の中でファンを動員して、
現実の世界で大ホール・デビューから始める人も少なくない。
しかしすぐに花開く花はすぐに枯れる。ゆっくり育てることである。

一作目から三作目までにバンドの場合は反応が無ければ解散である。
ソロ歌手なら諦めるか違う路線で再デビューするしかなくなる。
アイドルの場合はモデルかトレンド・ドラマの役者になるしかない。
だから、急ぎ過ぎて失敗に終わることを避けなければならない。
売れなくてもあきらめずに最後にこの言葉を言う芸能人も多い。
「最後にもう一回だけ」挑戦させてください。

「最後にもう一回だけ」
作家の北方謙三氏の心に響く言葉より…
大学時代に書いた純文学が文芸誌に掲載されたのが、僕の作家デビュー。
学生の作品が文芸誌、それも商業雑誌に載るなんてごく稀(まれ)だったんで、
まわりから天才だって言われましたよ。
自分でも「俺は天才だ!」って思ってたんで、それから10年間、
アルバイトをしながら小説を書き続けたんです。

ところがその間、活字になったのは4本のみ、
編集者に原稿を持って行っては返され、持って行っては返され…の繰り返し。
5年経って自分は天才ではないことがわかり、
10年経って自分はその辺の石ころに過ぎないことがわかりました。

それで自分の人生や読書体験を振り返ってたどり着いたのが、
エンターテイメント小説だったんです。
最初のエンターテイメント小説は、横浜を舞台に退職刑事が活躍する物語。
それでも編集者に文学の尻尾を引きずっていると言われたんで、さらに
それを切って切って切り捨てていったら、3作目で賞を受賞したんです。

それからは注文が殺到するようになって、気がつけば“ハードボイルド小説の
旗手”なんてもてはやされるようになっていた。
でも、ハードボイルドとは何なのか、実はまったく知らなかったんですよ。

作家は自分がもっている創造力を発揮できる場所を絶えず
探し続けなければならない。創造力が枯渇した時、作家は死ぬ。
“火事場の底力”って言われるけど、僕はいつもそれを出していると思っています。

人間、自分の力はこれまでと思った瞬間、終ってしまうもの。
火事場の底力を発揮し、どれだけ潜在能力を引き出せるかが勝負。
今の自分にあぐらをかいてしまったらおしまいです。
だからどんな時も自分に真剣に向かい合って、潜在能力が引き出せるような
仕事がしたい、そう思っています。

まさに松下幸之助翁の「失敗して辞めるのが一番の敗北で、
失敗を繰り返して勝ち上がるのが成功」である。

どのような仕事にも創造力が無ければ道は開かないのである。
苦しんで苦しんで立ち上がる時に創造力が無ければ立てないのである。

発明王のエジソンは、「私たちの最大の弱点は諦めることにある。
成功するのに最も確実な方法は、常にもう1回だけ試してみることだ」と言う。
エジソンは、電球のフィラメントには京都の竹が最適なことを発見した。
それには、1万回の実験を要したが、「それは失敗ではなく、1万通りの
うまくいかない方法を発見したのだ」とエジソンは語ったという。

「最後にもう1回だけ」
あきらめそうになったとき、この言葉を思い出してほしい。
私も何度もこの言葉を口にして困難を乗り越えてきました。
まさに、「失敗したところでやめてしまうから
失敗になる。 成功するところまで続ければ、それは 成功になる」です。
多くの人は、この失敗が永遠に続くのかと暗澹(あんたん)たる
気持ちになり、途中で辞めてしまう。

「愛語よく回天の力あり」恩学より