自分の感受性ぐらい




詩人茨城のり子に接したのはいつの頃だか忘れてしまった。
しかし妙に惹かれるものがあり幾度となくページをめくった。

21世紀に入ってデジタル社会になり、アナログ的な感情をどこかに
置き忘れたのか、何もかもが効率重視になり、人間らしさが失われてしまった。
仕事も恋愛も人生までもマニュアル化したテキストどおりに行動するのが
正しいとされてきた。
我々世代は会議資料にアルファベットとカタカナが多用されると
小馬鹿にされているようで腹立たしかった。日本人なら漢字を使えです。

昨今、詩人の言葉はなぜ色褪せてしまったのだろうか?
学生時代に読んだゲーテ、ハイネ、北原白秋、中原中也、荻原朔太郎、宮沢賢治、
社会へ出てから読んだ谷川俊太郎、寺山修司、早川義男などである。
大人になると青春時代に狂ったように読み耽った詩集が心ときめかなくなるのは、
社会の理不尽さを知ってしまったからなのか?
置かれた立場によって言葉の重さが変化することに気づいた。

詩人は哲学者と違い短い言葉で真理を表現する。
俗人とは違う目で、感性で本質をえぐり取る。
言葉の刃先を社会へ向ける。
それを自分の感性と合わせて理解する。

友人から茨城のり子という詩人がいます。
読んでみたらどうですかと二冊頂いた。
私は正直言って少し苦手な詩人でした。
口うるさい老婦の愚痴のようで言葉がきれいでないからです。
しかし徐々に慣れてくると何度も読み返しているのです。

この詩を紹介したいと思います。
「自分の感受性ぐらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
詩集「自分の感受性ぐらい」(茨木のり子)

私の仕事は言葉をメロディーに乗せて楽曲として完成させることである。
昔ターゲットたちの生の言葉を探して学生街の喫茶店に入り浸った。
女子学生が小声で話すときには決まって異性の話である。
たわいもない会話の中にも光る音葉が時折あるものです。
男子学生が大声で話すときにはクラブ活動の話か飯の話である。
果てない夢を語りながら一杯のコーヒーで長居するのが常でした。

勿論、時代が変わり若者たちは推し活関係の話で盛り上がる。
少女たちが店に入りバッグを開けてパステルカラーの小物を取り出した。
そして好きなタレントの写真やキャラクターグッズをアクリルスタンドに並べて
話しかけながら自撮りをする。一人の世界に入り込んで悦になっている。
だからほとんど会話がないのである。

男子たちは昔の女子がそうであったように小声で会話をする。
皆一様に背が高く眉毛をそろえていて韓流ドラマの役者のようである。
最新ゲームの攻略法や携帯の裏技で盛り上がる。
ネット上で繰り広げられる危険な会話にも耳を傾ける。

昔の男子学生は国の行く末を熱く語り合っていた。
校内にも腰にタオルを下げて大股で歩く硬派の若者は見なくなった。
彼らは「君たちはそれでいいのか」を常套句に会話は盛り上がる。
仲間と喜怒哀楽を共有していつも泣いたり笑ったりしていた。
デカルト・カント・ショウペンハウエルを合言葉に「デカンショ」を歌った。

現代の若者はある意味で心がパサパサになった経験がないのである。
失意のどん底に落ち込んで何もかも奪われた経験が無いと
心がパサパサにはならないのである。
「大恋愛」、最近ではこの言葉も死語になっているのかもしれないが、
狂う程の恋を経験していないとパサパサ感は分からない。

倉田百三「愛と認識との出発」のような苦しみは分からないのである。
恋愛はときめく心から入り肉体関係に至るまでに相当な時間がかかった。
現代の若者には考えられないのである。
これは男だけの問題だけではなく女も性に関しては無防備になったからである。

好きな相手を口説き落とすまでに詩が生まれて文学が発達してきた。
恋が成就できない場合は駆け落ちをして二人で死を選ぶこともあった。
これに演出家達が音楽を添えて台詞を入れた。
有名な「ロメオとジュリエット」の作者シェークスピアなどは
演劇を通じて愛の悲哀を表した代表格である。
日本では「好色一代男」江戸時代の井原西鶴も同じような存在であった。

私が日本レコード大賞作詞大賞を受賞した曲「涙のジャスミンLOVE」は
(検索するとT2とでてきます、これはもう一人のTと言う意味です)
歌手河合その子の不思議な魅力を歌で表すのであれば物語を作ることだと考え、
香港を舞台にした映画「慕情」をモチーフにしたのです。
河合その子の独特の歌唱法が受けて大ヒットになりました。

最近読書離れが進んで映画離れも多いと聞いています。
本の中の行間を読み、想像することが人々をどれだけ豊かにできるか。
又、良質な映画の中から空気感を読み、感情の機微はどのようにして起こるか。
自分の感受性ぐらい自分で育てるべきです。
何もかにも便利で安価を求めるのではなく、少し時間を取って図書館に出かけ、
映画館へ出向き読書と映画鑑賞に時間を割いてください。

秋の夜長ですよ。芸術の秋ですよ。こころを少し湿らせてみてはいかがですか?