食膳を思う




祝い膳、勝ち膳、悔み膳、別れ膳と色々な膳がある。
食あるところに安らぎがあり疑惑・欺瞞は起こらない。
しかし食を利用して権力の奪い合いもあったことは確かである。

朝鮮の王様の膳には数人の毒味役がいて銀の箸とスプーンを持ち
全て味見をするのである。
運ばれてきた時には温かく量もあったのが毒味をしていると、
食べ物は冷めて量は減り淋しい食事であったという。

西洋のテーブルマナーでテーブルに両手をつくスタイルがあります。
それは、私は武器を隠し持ってはいませんという意思表示です。
食事の複雑なテーブルマナーにも暗殺阻止の策が隠されていたのです。

日本では簡単に主人を毒殺する文化はありません。
しかし完全になかったかというと怪しいものです。
食事に少しずつ毒薬のヒ素を混ぜるだけで体に不調が現れます。
体力が弱まると気力が衰え冷静な判断が出来なくなります。

武士はいくら憎く横暴の城主であっても従順に仕えるのが習わしでした。
従う事も戒める事もお側に使える用人の勤めです。
簡単に毒薬を盛るようなことはご法度だったはずです。

日本の食事は基本的に孤食です。
箱型のお膳で一人一人に配られて父親から箸をつけ、その後は長男に始まり兄弟へと
食事が始まります。この時代では母親と手伝いの人間は台所で余ったものを
食する習慣であった。

家族全員でお膳を囲んで食べるのは、貧しき庶民の間ではあったのかも
しれませんが(家にちゃぶ台が一つしかない為)、
今のようなスタイルになったのは明治末期から昭和に入ってからです。

「婚礼の膳」とは
最初の祝儀は、「式三献」と呼ぶ酒式から始められる。
この時各人に御膳が三つずつ置かれ、そこに盃が三つ添えられている。
女房(貴人の家に仕える女)三人が出て、嫁より盃を始め、婿、待上臈と三人が
三度ずつつぐのである。式三献のあと、初献、雑煮が出て酒も燗酒,塗盃で宴を行い,
十二組の菓子が出る。これは夫婦だけの宴で、父母、兄弟は立ち会わない。
こうして祝言が終了すると、いよいよ床入となる。
さて「色直し」の衣裳は婿の方から土産に出されるもので、二日目の夜に
赤や青の衣裳を着ることになるが、それまでは男女とも白の衣裳を着る。
そして嫁は色直しがすんだあとで、初めて舅、姑と対面した。

「お七夜(おしちや)」とは、赤ちゃんの生後7日目に行う行事です。
昔は医療が未発達で衛生状態も良くなかったため、7日目を迎える前に
命を落とす赤ちゃんも少なくありませんでした。
そのため、お七夜では赤ちゃんが無事に7日目を迎えられたことに感謝し、
今後の健やかな成長を願います。

お七夜の祝い膳は、縁起のいい尾頭付きの鯛や赤飯などを用意します。
ママの体調が回復しきっていない時期なので、準備や片づけが必要ない
仕出し弁当やケータリングで手配するのが一般的です。

「お斎(おとき)」とは葬儀や法事の後の会食のことをいいます。
僧侶による読経が終わると、僧侶や参列者を招いてお礼の気持ちを
表すとともに、一同で故人を偲ぶために会食を行います。
お斎はもともと仏教徒の習わしということで肉や魚介類をとらず、
穀物や野菜のみで作る精進料理を午前中にふるまうものでした。

お膳にはいろいろな種類があります。

折敷(おしき) 
30cm四方ほどの正方形や長方形の足のない形のお膳
平膳とも呼ばれます。 
もともとは白木でしたが、茶懐石では黒塗り(真塗)が正式
四隅が直角のものを角膳(もしくは角切らず)といいます。
角が丸いものを、なで角(俵型)といいます。  

縁の綴じ目をお客様から見て向こう側になるように置きます。
(角の場合)丸い形の膳は丸折敷といって、角膳とは逆に綴じ目のある方が
正面でお客様の前に置くという約束事があります。
丸前角向(まるまえかどむこう)

半月膳
丸が欠けた半月の平膳のことです。 
折敷や半月膳は 床や畳に直接置いて使われてきたものですが、
正式な料理では足のついた本膳が使われます。
最近は座卓の上に折敷や半月膳を置いて本膳替わりとすることもあります。

足打折敷
折敷に二枚の足板をつけたもの。 
お客様に対して足が縦になるように置きます。

猫足膳
中足膳ともいいます。 折敷の下に猫の脚のような足をつけた略式膳

蝶足膳
婚礼の時新郎新婦の前に置かれるお膳(結婚式場ではなく和室での場合)
四本足に美しい彫刻が施されていて蝶の形に似ています。外側が黒、
内側が朱塗りで祝い膳とも呼ばれます。

宗和膳
折敷の縁と四本の足が一体になったお膳のことです。 
本膳料理の膳として隆盛を見ました。最近では少なくなっています。

不吉な縦膳
お膳の正面は刷毛目がお客様の横になるように置きます。
杉・檜材のものなどの板は木目に沿って割れては一大事です。
昔の土葬の盛り土の上に膳の木目を縦にして置いたことを、縦膳といいます。
不吉な膳とされています。朱塗りのお膳は精進料理や仏式宴に使われています。

【通解】
1. 本膳料理の基礎は、一汁三菜にある。「菜(さい)」は「な」のことであり、
副食物のことを指す。
2. 一汁三菜の内容は、飯、汁、香の物、なます、煮物、焼物であり、
飯と香の物は、数えない。
3. こうして見ると、料理の品数が「4品」ということになる。で、
「4」 という文字について、これが「死」と同じ音であることから忌み嫌い、
一汁三菜という分割した呼び方にしている。
4. また、菜の数は、かならず、奇数である。このことは、日本において、
奇数を陽とし、偶数を陰とする思想があり、奇数をめでたいものとすることによる。
一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、三汁七菜など、三汁十五菜まであるが、
一汁四菜(偶数の菜)はない。
5. 膳は、高足(たかあし)膳を用いる。高さ 40cm。
6. 膳の配置は、かならず、まず、本膳 (一番目に出す膳) を膝前に置き、
二の膳 (二番目に出す膳) を右側に置き、三の膳 (三番目に出す膳)
左側に置く。
7. 昔は、すでに盛りつけた料理を、目八分目の高さにささげて、
客前に出していた。
8. それぞれの膳には、何をどこに置くかという約束がある。これを、「膳組み」と
呼び本膳料理という名称は、室町時代に始まったのであるが、
現在、明治・大正時代に完成された膳組みを用いている。
9. で、膳組みは、江戸前期のころ、一の膳、二の膳、三の膳として分けていたが、
天保のころ、まず、最初に出す膳を、「一」と書かずに「本膳」と書くようになった。
10. さて、二番目に出す膳は、本膳より小型である。で、この膳のとき、「汁」のない
場合がある。これを 「引落(ひきおとし)」 と呼んで、正確には、二番目に出す膳
ではあるが、 「二の膳」 と呼ばない。引落の配置は、二の膳と同じであるが、
高さは、二の膳よりも低い。
11. つまり、「二の汁」がつく膳が「二の膳」であるということ。
  これに、「焼物」が別の膳でつく。「焼物膳」という。脇膳の1つ。
12. さて、酒について。酒は、元来、「飯」を食べ終わってから飲むもので、
最後に出された。「吸物」が出されると、「酒」が出ることになっていた。
これを「吸物膳」と呼ぶ。
13. で、酒を出す合図が、「吸物」であること。
14. が、のちに、酒は飯を食べ終わってからでなく、二の膳に二の汁 (すまし汁)
 から盃事に移るようになった。
15. 会席料理になると、はじめから、箸の上に、盃を載せている。
16. で、つゆとして、「飯」につくのは「汁」であり、「酒」につくのは
「吸物」であるということを知っておかれよ。
17. 最後、菓子に、濃茶と薄茶、あるいは、そのどちらかが出る。

• 濃茶抹茶の量を薄茶より多くし、泡立てず、茶筅(ちゃせん)で濃くぼってりと練る。一碗を数人で飲み回す。
• 薄茶抹茶に湯をさし、茶筅で泡立てる。濃茶に比べ味わいは、淡白である。
• 抹茶うすでひいて粉末にした茶。煎茶は、煎じ汁にするが、抹茶は、茶の葉を粉末に
してすべて飲んでしまう。
18. 本膳料理でも、食前に、茶の菓子(干菓子、蒸し菓子)がだされ、食後には、
一汁三菜であれば、煎茶か抹茶に菓子。二汁五菜であれば、濃茶に蒸し菓子、さらに、
薄茶に干菓子がだされる。
19.干菓子(ひがし)乾いた菓子をいう。打ち物(らくがん類)、掛物(こんペいとう類)、焼物(煎餅)がある。原則として薄茶のときに出す

日本の風習を守ることが伝承文化を守ることに繋がります。
私達は今一度良き文化を発掘し学ぶ必要があります。
今後も機会を見て日本人の風習を取り上げて行きたいと思います。