夢中になる
夢中とは我を忘れて物事に没頭することを言う。
自分の意識が他人に評価を求めているうちは未だ夢中になっていない。
夢中と同義語に没頭がある。その違いは何か?
「夢中」は、「あることに心を奪われてしまい、他のことを全く考えることができない
状態になること」という意味を持っています。
・『ゲームに夢中になってしまった』
・『無我夢中で取り組む』「夢中」を含む四文字熟語に「無我夢中」という言葉がありますが、
我を忘れるくらいに夢中になるという意味で使われています。
「没頭」は「あることに我を忘れるくらいに熱中してしまうこと」、
あるいは「1つのことに頭を突っ込んでしまい、のめり込んでいくために他のことを
考えられなくなる状況」や「そのような精神状態」として解釈することができます。
「没」にはさまざまなニュアンスがあり、「もぐる」「沈む」「埋没」「失う」「終わる」
「死ぬ」などの意味があるのですが、「没頭」の場合は、「のめり込む」
「打ち込む」という意味合いが含まれているのです。
・『音楽に没頭したあげく受験に失敗してしまった』
・『没頭したあまり、あっという間に1日が終わってしまう』
また、「熱中(ねっちゅう)」は日常生活でよく使われる言葉で、「あることに集中して
取り組むこと」、または「力を注ぎ込んで取り組むこと」ということを指しています。
言い換えると「物事が終わる時点でかなり興奮した精神状態」として理解することも
できるかもしれません。
・『難解な数学の問題を解くに熱中した』
・『ゲームに熱中しすぎた』
ここで「夢中」と「没頭」と「熱中」の違いを見ていきましょう。
「夢中」は「あることに心を奪われて我を忘れること」という意味がありました。
これに対して「熱中」は「何かをするか興奮した気持ちで 何かに夢中になったことの
精神状態」のことを指しています。「熱中」は比較的に前向きでポジティブな
シチュエーションで使われることが多いのですが、「夢中」は比較的にネガティブな
場面で使われることもある点が相違点の1つとして考えられます。
その理由は「夢中」には「他のことを意識することができないほどにある物事や
人のことを考えてしまっている状態のニュアンスがあるため、それによる弊害が
生まれるのでネガティブな場面で使われることがある。
「没頭」になると「不安な人がなる状態である」という意味合いがあり、
自分はこのままではいけないと思っていたり、何か心に不安を感じるようなことが
あった場合に使われることが多いでしょう。悔しい・怖い・寂しい・悲しい・苦しいと
いったような気持ちを打ち消す時に使われることがある点が特徴です。
そして時にはすべてを解放して「無心」になってください。
若者の特権は夢中になり挫折して成長できることも重要ですが、
立ち直り新たな「夢中」を探すことも必要です。
そして夢中になって傷ついてください。「若き日に薔薇を摘む」恩学
「若者よ、失敗して当たり前、挫折して当たり前、
傷ついて当たり前の世界へ飛び込め。
若者の特権はすぐに傷が癒されることである。
恐れるものは何もないのである。
真っ赤な薔薇の花を鷲掴みにして、挫折と屈辱の棘に刺されて血だらけになれ。
他人が摘み取った薔薇を羨ましいなどと思うなよ。
自らの手で奪い取れ、それが出来るのは人生において青春という一瞬である。
どんなに迷いがあっても、「若き日に薔薇を摘め」を忘れないことである。」
私は今「禅語法話」に夢中になっています。
「対機語心」(たいきごじん)
禅語の一つであり、禅宗における指導法の精神を表現した言葉です。対機語心は、
師匠が弟子の悟りの度合いや個々の状況に応じて、言葉や行動で示すことを意味します。
この指導法は、一般的な教えの形式に囚われず、直接的で独創的な手法を用いることが
特徴です。
対機語心は、禅宗が重んじる直接的な心と心の交流を促し、言語の限界を超えて悟りへと
導くものとされています。禅の教えでは、真理は言葉によって完全に伝えることができないとされており、
対機語心はその限界を補うための手法とされています。
禅宗の歴史には、師匠と弟子の間で生じた対機語心のエピソードが数多く残されており、
それらは古典的な禅の逸話としても広く知られています。
例えば、拈華微笑(ねんげみしょう)や無門関(むもんかん)などの話は、
対機語心の代表的な事例とされています。
対機語心は、禅の独自の指導法として現代でも学ばれており、その理解と実践を通じて、禅の精神をより深く理解することができます。
「拈華微笑」
ある時、ブッダは大勢の弟子たちとともに霊鷲山にいた。弟子たちを前にして、
ブッダは一輪の花を手に掴んで弟子たちに示した。弟子たちはブッダの意図するところが理解できずに黙っていたが、1人摩訶迦葉だけはその真意を悟り、微笑した。それを見たブッダは、「われに正法眼蔵涅槃妙心あり、摩訶迦葉に附属す」と告げ、仏法が摩訶迦葉に伝わったことを宣言した。言葉でもって教えるのは浅いものである。それは名前に関するものでしかないからである。だから言葉に依らずして、花を掴んで示すというような教えを密語の教えという。秘密の教えであるから、多くの人々にはわからない。だから多くの人にとってそれは、秘密の教えとなる。しかし摩訶迦葉にはその教えがわかった。だからブッダが花を呈したとき、摩訶迦葉は 破顔微笑して応えた。摩訶迦葉には伝わったということである。
「無関門」
趙州従諗という禅僧がかつて唐時代の中国にいました。
この趙州禅師というのは六十歳を過ぎた、高齢の頃に修行を始めた人です。
幼くして曹州の龍興寺で出家し、7~8歳で既に悟りを得たいたとも言われております。
またこの趙州禅師の師匠は南泉普願(なんせんふがん)禅師という方で、こちらも非常に有名な方です。
非常に中国禅宗史においては有名な方で、この趙州禅師を知らないという
方はそう多くはないでしょう。
この趙州禅師は六十歳で行脚の旅に出る、修行の旅に出るんですね。
その行脚の修行に出る際、
「七歳の子供でも私より優れた者があったならば彼に教えを請おう、
また例え百歳の歳老いた老翁であっても私の方がもし優れていたら彼に教えようという。」という一つの誓願を立てます。
その行脚の旅、修行の旅に出ている途中で、二人の「庵主(あんしゅ)」と言って、
一つの庵を構えてそこで坐禅三昧の修行をしている二人の修行僧に出会ったのです。
その二人の修行僧は「庵」を構えておりましたので、趙州禅師はその修行僧の所へ行って
次のように質問します。
有りや、有りや。「有りますかね?」という風に質問するんですね。
つまり、その行脚の旅、修行の旅に出ている途中で、二人の「庵主(あんしゅ)」と言って、一つの庵を構えてそこで坐禅三昧の修行をしている二人の修行僧に出会ったんです。
その二人の修行僧は「庵」を構えておりましたので、趙州禅師はその修行僧の所へ行って次のように質問します。
趙州禅師
有りや、有りや。「有りますかね?」という風に質問するのです。
つまり、いや、いや、水が浅くて舟を停める処ではない。
と言ってさっさと立ち去ってしまったんですね。
「水が浅く、とても舟を停められない」というのです。
つまり、「あなたには私を導けない」とその修行僧をけなしたような発言で
その場を退いてしまうんです。
続いて趙州禅師はもう一人の修行僧の「庵」に行きました。
つまり、「あなたは私を導いてくれる何かをお持ちでしょうか?」
という風に声を掛けた。
するとその内の一人の修行僧はですね、まぁ小さな庵に住んでおったのでありましょう。
その庵から出て来て、趙州禅師の目の前に「握り拳」をニョきっと出した。
今で言う「ガッツポーズ」を趙州禅師の目の前に出したんですね。
すると趙州禅師は、いや、いや、水が浅くて舟を停める処ではない。
と言ってさっさと立ち去ってしまったのですね。
「水が浅く、とても舟を停められない」というのです。
つまり、「あなたには私を導けない」とその修行僧をけなしたような発言でその場を退いてしまうのです。
続いて趙州禅師はもう一人の修行僧の「庵」に行きました。
先ほどと同じように、その修行僧に向かって、
趙州禅師
有りや、有りや。「私を導いてくれる何かをお持ちですか。」という風に質問した。
するとその修行僧も、先ほどの修行僧と同じように趙州禅師の目の前に「握り拳」をグッと突き出した。
しかし今回の趙州禅師は、
あなたは自由自在である。与えるも奪うも殺すも生かすも、お前さんには自由自在にできるだろう。
と言って、うやうやしくその修行僧にお拝をしたのですね。
利益を得るための学びと、教養を得るための学びは、本来同時に行うのが理想です。
自分自身を経営として考えれば成功も大切ですが人間的魅力も兼ね備えたいものです。
学びは「夢中」になると面白いものです。