真実と言葉

 

自分のミスから多くの人に迷惑を掛けてしまった。
あまりにも単純なミスのため茫然自失の状態である。
参考資料として提出したものが第三者に渡った。
そしてそこで初めてミスを指摘された。
全ての責任は文章を書いた人間に属する。
仕事上の良好な関係が一瞬にして消えたかも知れない。
そしてその関係から逃げ出すか留まるかが重要である。

 

最近政治家の発言が物議をかもしだしている。
本人には悪意が無くても言葉は独り歩きして問題を大きく広げる。
公人は一般人と違って発言すれば、必ず答えを出さなければならない。
個人の都合でいくら謝罪を繰り返しても後の祭りである。
地位と名誉と財産を手に入れれば三日で堕落するという言葉がある。
ほとんどの政治家がこれに当たる。

 

障害者タレントのレストラン予約のトラブルも、
味方を多くつけている障害者タレントが不利である。
何故なら予約をする時に障害者であることを告げなかった事である。
自分の名前で予約したのだから、当然店側は配慮するだろうという驕りが反感を買うことになる。
バリヤフリーや親切が当たり前だと特権意識が働いたのだろう。
次からはどの店も予約を受け付けない可能性もある。

 

人気シェフが自分の店では年収の低い人間は食べる必要は無いという発言も、
庶民派アイドルシェフとしてはあり得ない事である。
人気店だから店側に合わせろと云う考えがあるのならばとんでもない話である。
客は高いお金を払っても食べたいのは料理だけでは無い、
その場所での思い出も食べたいのである。
人気シェフは自ら店の信用に泥を塗った感じがする。

 

すべては驕りと気の緩みから引き起こされた問題である。
誰にでも起こり得る危険な罠なのである。

 

「真実は毒」

理解を求める言葉は言い訳にしか聞こえない
真実は時として毒になる

必要のない答えを探そうとしても無意味なことである
探せば探すほど批判しか見えて来ない

争いの会話は常に過ぎ去った出来事である
巻き戻せない時間を相手に戦えるわけなどない

失敗を追及されるほど返答に困るものはない
無能を曝け出し威厳を失うからである

事実を話しても解決にはならない
真実は時として毒になる

ただひたすら前向きに生きて行くだけである
それを否定されても仕方が無い

同じ過ちを繰り返すのではないかと問い詰められて
度重なる不毛な質問に癖癖させられる

言葉を重ねても挑戦は終わらない

挫折の隅をほじくりまわす行為は
互いに不幸を繰り返す事になる

真実は時として毒になる

 

失敗した人の謝罪は誠意ある態度で償わなければならない。

言葉はたんなる過ちの弁明である。謝罪には成らない。