模様替え
藍染の大判の布切れが押し入れから出て来た。
何処かの町の古物商で買った記憶がある。
購入した当初は、藍染の布切れの上に古い陶器などを並べて楽しもうと思っていたのだが、
実際に部屋に飾り付けをしたら、地味な部屋がもっと地味に成ってしまった。
良くある衝動買いの失敗の例である。
お店で発見した時には、この商品は私を待っていた違いない、
私の為に売られずに残っていたのだと、勝手に解釈して買ってしまった。
そして喜び勇んで家に帰り飾り付けをする。愕然とする。見当違いである。
骨董商では回りがすべて古物に囲まれていたので、
その藍染の布切れが光り輝いて見えていたのだが、
場所が変わるとまるで様相を変えていた。
我が家には何処にも飾り付けする場所が無かった。
そのまま数年間押し入れに仕舞い込んだままにしておいた布切れで有る。
某日、冬服の衣替えの為に衣装ケースを開けたところ、偶然目にとまったので取り出す事にした。
そしてその布切れを広げてソファーに掛けたところ、凄く気持ちが落ち着いたのに驚いた。
まるで遠い昔の恋人と巡り合ったような、懐かしい気分が蘇ってきたのである。
ソファーに座り、友人から頂いた清水焼の高級茶碗を箱から取り出して、
家にある一番高いお茶を入れて飲んだ。
何故か頭の中に井上陽水の「白い一日」が流れて来た。
「真っ白な陶磁器を、眺めては飽きもせず、かといってふれもせず、
そんな風に君の回りで、僕の一日がすぎてゆく」。
青春が風のようにふっと目の前を通り過ぎた。
セピア色のアルバムの匂いがした。
年を取ると時間の観念が変わる。
世の中の動きがゆっくりとして、自然に慌ただしさを避けるようになる。
日常の中でこれといって急激な変化は何にも無くなり、
心が揺れ動く事も無く、好奇心の対象も消えて、同じ時間に、同じ場所で、同じことをする。
そして暮れなずむ人生を眺めながら、反発や葛藤することもなく時の流れに身を任す。
たった一枚の布切れで私の部屋の模様替えが整った。
一つの小さな変化が、心に大きな変化をもたらしてくれたのである。
年を取ると大切な事は、変化を待つのでは無く変化を作る事です。
変化を作る事で思い出した言葉がありました。
作歌の宇野千代さんのお母さんの話だったかと思うのですが、
晩年は何時(いつ)お迎えが来ても良いように、大切にしていた着物や持ち物をすべて処分して、
本当に少ない身の回りの中で過ごされたと聞いています。
亡くなった時に、他人さまが部屋に入った時、くだらない物があふれていれば、
その人の人格や人生が安っぽく思われてしまうからだと言うことです。
そして宇野千代さんにも、とても素敵な言葉があります。
「お洒落をする、或いは気持ちよく身じまいをすることは、生きて行く上での生き甲斐でもある。
ちょっと大げさに言うと、人としての義務である。
お洒落は自分のためにだけするのではなく、
半分以上は、自分に接する人たちの眼に、気持ちよく映るように、と思ってするのだから。」
私もお洒落をする時は自分の為と接する人のことを考えて時節に合った洋服を選びます。
億劫になるとお洒落に無関心に成ります。
着の身着のままで過ごす人も多くなります。
気付かない内に自分の人生の埃を、他人さまに見せることになってしまいます。
周りの人の事を考えると最低限の身だしなみは必要です。
最後までとてもお洒落だった宇野千代さんならではの名言だと思っています。
部屋の模様替えと同時に心の模様替えもできました。