それでも
「それでも」はマザーテレサの名言集の中の一文である。
我々にこの言葉の持つ意味を理解する事が出来るのだろうか。
この愛の凄まじさをどのようにして受け止めて良いのだろうか。
ここまでの覚悟をして人が神に近づく事が出来るのだろうか。
危険をものともせずに終わり無き愛の奉仕活動である。
敬服の極まりで有る。
<それでも>
人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。
それでも彼らを愛しなさい。
もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか、
何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
それでもいい行いをしなさい。
もし、あなたが成功すれば、不実な友と、
本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
あなたがした、いい行いは、明日には忘れられます。
それでもいい行いをしなさい。
誠実さと親しみやすさは、あなたを容易に傷つけます。
それでも誠実で親しみやすくありなさい。
あなたが歳月を費やして建てた(完成した)物が、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも建て(完成し)なさい。
ほうとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら、
彼らに襲われてしまうかもしれません。
それでも彼らを助けなさい。
持っている一番いいものを分け与えると、
自分はひどい目にあうかもしれません。
それでも一番いいものを分け与えなさい。
「カルカッタの(孤児の家)の壁に書かれた言葉より」
ロビン・ウイリアムス主演の映画
「パッチ・アダムストゥルー・ストーリー」は、
実在の医師パッチ・アダムスの物語である。
本当の医師の在り方を追求した感動の作品である。
学生時代からボランティアや奉仕活動に精を出して
無料診察の病院を仲間と共に開業する。
小児病棟を回ると時には
クラウン(道化師)の恰好をして見回ることで一躍有名になる。
難病で苦しむ子供達にとって笑いが一番の薬で有る事を実証した医師である。
何故、この映画をこの文章で取り上げたかというと、
映画の中で奉仕活動をするけなげな女学生が、
面倒をみていた患者から惨殺されてしまうシーンを思い出したからである。
正しい行いをしていても、神は非情にこの女性を見限ったと思ってしまっていた。
マザーテレサの「それでも彼らを助けなさい」という言葉に出合わなかったら、
私は永遠に真実奉仕の意味を理解する事は出来なかったかもしれません。
本当の奉仕とは見返りをもとめずに自己を消す事なのだと知りました。
パッチの「7つの信条」
ひとをケアする理由はただひとつ。人間を愛しているからです。
ケアは愛を動詞化する。ケアは概念ではなく、行動です。
ひとを思いやるという人生を送ることによって、あなたは自分のなかで一番深い平和と安らぎを得る。
良い意味のお返しをすること(良きカルマを積む/カルマからの解放)。
例えば、米国がアフガンに爆弾を落とし始めたとき、私はアフガンの人々を愛したいと思い、即座に現地に飛んだ。
平和のためにクリエイティブになる。例えば、死の床でアメイジング・グレイスを歌う。
情熱を持ち、不可能だと思っていた夢を見る。
ひとをケアすることは、科学的見地からしても、あなたのためにいいことがある。
世界中に愛の伝道師が存在する限り、ぎりぎりのところで平和と安全は保たれているのです。
どのような状態になっても、それでも人を裏切ってはならないのです。