ありのまま
一休禅師(1394~1481)に面白い話があります。
ある日、一休さんは一本の曲がりくねった松の鉢植を、人の見える家の前に置いた。
「この松をまっすぐ見えた人には褒美をあげます」と、小さな立て札を鉢植に懸けたのである。
いつの間にか、その鉢植の前に人がきができた。
誰もが曲った松と立札を見て、まっすぐ見えないかと思案した。
だが誰一人として、松の木をまっすぐ見ることはできなかった。
暮れがた、一人の旅人が通りかかった。
その鉢植を見て、「この松は本当によく曲りくねっている」と、さらりと一言。
それを聞いた一休さん、家から飛び出てきて、その旅人に褒美をあげたという。
その旅人だけが松の木をありのままに見たのである。
他の人は一休さんの言葉に惑わされてしまった。
褒美に目が眩み、無理に松の木をまっすぐ見ようとしたのである。
(『大法輪』昭和六十三年二月号、藤原東演「臨済禅僧の名話」参照)
鉢植えで思い出した文章があります。「鉢の木」という題名です。
ある日、上野国佐野に、信濃国から鎌倉へ向かっているという僧侶がたどりつきました。
しかし、その日はあいにくの大雪。
夜も更けてきて気温は下がるばかり。
僧侶は一晩の宿を求めて近くにあった家を訪ねました。
家の主、佐野源左衛門常世は悩みました。
家はとても貧乏で、僧侶をもてなすことなどできないと思ったのです。
その為に一度は断ったものの、トボトボと去っていく僧侶の後ろ姿を見て、
何とか泊めてあげることにしました。
しかし、家には薪もなく、食べ物も冷えた粟飯ぐらいしかありません。
気温はどんどん下がり、体は芯から冷えてしまっています。
その時です。源左衛門は急に立ち上がると、梅・松・桜が植えられた鉢を持ってきました。
僧侶がその美しさを褒めようとするや否や、
源左衛門は鉢から木を抜きとり、囲炉裏にくべてしまったのです。
「貧しい我が家では何ももてなすことができません。
せめて体だけでも温まってください・・・・・」
しかし、僧侶が家の中を見渡してみると、立派な薙刀や鎧が納められている箱がありました。
僧侶が不思議に思って話を聞くと、いろいろなことがわかりました。
彼はこの一帯を治めていた武士でしたが、今は領地も没収され、苦しい生活を強いられていました。
しかし、幕府への忠義の気持ちは変わらず、鎌倉で一大事が起これば、
薙刀と鎧を持ち、痩せ馬に乗って馳せ参じるつもりでいたのです。
僧侶は言葉もなく、うなずきながらこの話を聞くだけでした。
そして翌日、礼を言って家を後にしました。
しばらくしたある日、鎌倉幕府から「急ぎ鎌倉に集まれ」との命が各地に発せられました。
源左衛門も痩せ馬に乗り、鎌倉に駆けつけます。
しかし、鎌倉で彼を待っていたのは、あの時の僧侶でした。
「佐野源左衛門常世、あのときは世話になったな」
そうです。あの僧侶は時の執権、北条時頼だったのです。
そして彼は源左衛門の忠義を褒め称え、佐野の領地を取り戻してあげました。
さらに、あの時に薪にされた梅・松・桜の木にちなんで、
梅田、松井田、桜井という3ヶ所の領土を源左衛門に与えたのです。
「ちょっといい話」佐藤光浩著
この二つの話が、ありのまま、見えたまま、
感じたままの素直な心が大切である事を教えてくれます。
この反対の物語も存在します。誰もが知っている
アンデルセンの童話「裸の王様」の話です。
異国からきた仕立屋に、世界にひとつしかない服を注文します。
仕立屋が作って来た服は、誰にも見えない架空の服です。
この服こそ世界でひとつしかない貴重な服「頭の悪い者や、
悪人や、仕事を嫌う者には、この服は見えない」のだと説明をします。
王様も家来も見えない服をほめちぎります。
挙句の果てには、詐欺師に騙されたとも気付かずに、
王様はお伴を連れて街中を歩き回る事になるのでした。
街中の人も、その服の話を聞いていたので、
見えない服を一生懸命見ようとしました。
しかし、その時、一人の少年が「王様は裸だ」と叫びます。
周りの大人達も、王様のお伴もみんなびっくりするのですが、
真実なので子供を叱るわけにはいきません。
気付いた王様も顔を赤くして慌ててお城へ逃げて帰りました。
自意識が高く私利私欲が絡むと「ありのまま」の姿を見る事が出来なくなります。
家来たちも皆と同じ意見に賛成していれば、自分一人に災いは起こらないという気持ちから、
見えていない姿を見えているように表現してしまったのです。
一般社会にも、これに似た話は沢山あります。
自分に一定の見識が無く、ただ他の説にわけもなく賛成する人達を「付和雷同の輩」と言います。
社長や上司の言う事には、決して反対する事もなくただ盛り上げるだけの人達です。
政治家にもこのタイプは多いですね。イエスマンの集団です。
まったく「裸の王様」の家来たちと一緒です。
みなさまは「ありのまま」の姿を見る事ができますか。そして感じたままの発言が出来ますか。