行間を読む
世の中全てに対して、私と相手、宇宙と地球、自然と人間、言葉と思いなど
常に「と」がつく行間を読まなければならない。
日本では哲学を教えないから決められたことが正しくて、疑いを持つなと
教育される。城主と武士の「と」を読めずに武士道などが美化される。
社長と社員の関係も疑問を持たず全てに従う従順な社員は出世する。
反対に多くの疑問を持つ人間は必ず村八分の制裁が待っている。
ママ友しかり知ったかぶりの高圧的なママがあれこれ指示する。
これに意を唱えれば子供に被害が及ぶと若いママは恐怖に囚われる。
昔も今も変わらぬ「と」のいじめの構造である。
果たして「と」は何か?とは全てを繋ぐ「と」を誰も教えてくれなかった。
たとえば正義と悪と書いた場合に、何が正義で何が悪か分からない時に
どちらかを選べと言われたら答えに窮する。
学校で学んだ一般的常識で判断することが正しいとは限らないからである。
必要悪は本当に悪いと判断して良いのかと悩みますね。
しかしある時に谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読んだ時にその謎が分かりました。
「と」は影である。明るさと暗さの間にある影だと気づいた。
掴みどころのない存在だけど光のあるところには必ず存在する。
いわゆる「と」は甲と乙の間に存在する影なのである。
確かに目に見えるのだが自分から形は作れない。
物思いに耽りたい時など、あなたの関心事や問題意識に照らし、
そうした閃きや気づきの抽象化(一般化)を進め、あなたのオリジナルの
「メタ認知」へと昇華させてみては如何でしょうか。
きっとあなたの思考空間は一層活性化され、関心事や問題意識にたいする
ロジカルな仮説へ至る歩留まりが高まることでしょう。
あなたの思考ロジックを相対化して、行間に潜在する他者の知性に触れること、
世代を超えて読み継がれてきた名著や世界中で多くの読者の手に取られている
書籍の行間に潜在するであろう時・空を超えた知性にも触れることができます。
便利と不便を考察する。
人間は便利さを求めて今日まで科学が進化してきた。
コンピュータの世界は便利さを求めた究極の世界である。
そのために人々は使いこなすために時間とお金を費やしてきた。
何もしないでも世界の隅々まで声と顔が移動できることに一喜したのである。
果たしてこれは本当に便利なのだろうか。
コンピュータとの対話は五感の喜びが何も感じずに手放しで喜べない
不思議な感覚である。何故なら常にコンピュータが支配するからである。
私はどちらかと言うと不便さを求めて生きてきたのだと思う。
不便だから知恵を絞って工夫をする。そこに面白味が生まれる。
一つの経験からまた次の進化に向かって歩み続けることができる。
そこには真実があり達成感もあった。
AIが出来ないのは未来に対して創意工夫が出来ないことである。
いくらデーターから紐解いて予測してもワクワクドキドキ感は生まれない。
自動運転の車や人も運ぶドローンが出来ても喜ぶのは誰だろうか?
人生のサポートが出来ても未来を描き感動は作れないのである。
生まれたばかりの赤ん坊は自分で表現ができるようになり歩けるようになる。
そして言葉を覚えて両親と抱きしめ合うことを喜びとする。
両親にとっても子供の成長の過程は何者にも変え難い貴重な体験となる。
コンピュータから触れ合う喜びは作れない。
AIの得意分野は医療関係と聞いている。過去の症例を見つけ出し素早く
処置ができるので難しい病気を抱えている患者には朗報である。
しかしAIが誕生から死亡まで管理することになると如何なのだろうか?
育児も子育ても過去の症例から最適なものを選び出し管理すると優秀な
アンドロイドが生まれても優秀な人間は生まれないはずである。
照れ屋で引っ込み思案の女の子の声や仕草で感情が読み取れるのだろうか?
性格がキツめでたくさんの人には好かれないが、特定の人には好かれることも
ある。痘痕(あばた)があってとてもとても美人と言われなくても、愛嬌ある顔だと
好む人もいる。おっちょこちょいで仕事のミスも多いが真面目で根気があれば
職場の人気者として活かされることもある。人はそのままでいいんだよ。
そのままが一番いいんだよ。無理をしなくてもいいんだよ。にんげんだもの。
この時代はますますコミュニケーションが下手になります。
SNS上のやり取りには行間がありません。やりとりが便利になった分
感情を入れる必要がなくなったからです。
家族や親類の人たち、仕事上の同僚先輩たち、
地域の活動で知り合った友達、上手く話せなくても会話は必要です。
出来ればたまには手書きのお便りも出すのも良いかもしれません。
何かプレゼントをする場合にも一言添えて渡す方が喜びも伝わります。
私は子供の頃に少し不遇な経験をしました。そのお陰で敏感に行間を読むことが
出来るようになりました。オーディションで新人を選ぶ時も、レコーディングの時も、
プロモーション活動の時も、その人が発する波長からベストパートナーを
選んだのです。その甲斐があって多くのヒット作品に巡り会ったのです。
決して肩書きや推薦文や事務所の大きさで判断したことはありません。
アーティストの才能と世の中のニーズを考えてベストタイミングを作りました。
私が傲慢で偉そうにしていると業界では定説になっていました。
しかしヒットの数が多いので面と向かって誰も意見を述べた人はいません。
決して誇れることではありませんが本気度が強く表面化していたのです。
私は担当したアーティストやタレントと一対一の関係を結びました。
私の想像するスターの道へと導くためにです。スターはいつでも見つめることは
できるが、手の届かないところに存在しているというのがプロデュースの基本でした。
そのために制作中は家族とのコミュニケーションも取らなくしていました。
今でも家族からはあの時のパパは偉そうにしていて大嫌いだったと言われます。
今では仕事とプライベートは分けられるようになりました。
高齢者への配慮も、若者たちとの対話もスムーズに取ることが出来るようです。
ある意味好々爺的な雰囲気で会話を始めているからでしょうか?笑い
あなたは行間を読んで人生を楽しんでいますか?
行間を読むとは自分の感性を楽しむことです。