捲土重来




人生は穏やかな波の上を行く船のように長閑ではありません。
時には嵐にあい座礁することも想定しなければなりません。
信頼していた友人の裏切りに会い全てを乗っ取られることもあります。
一代で築いた会社も一部の役員と株主によって追い出されることもあります。
悔しさを胸に秘めて再起を図るときにこのような言葉が進路を照らす燈になります。
絶望から逃げるのではなく闘志を燃やして牙を隠すのです。
自ら敗北を認めない限り戦いは続くのです。

【捲土重来】けんど-ちょうらい
一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことのたとえ。
巻き起こった土煙が再びやって来る意から。「捲土」は土煙が巻き上がることで、
勢いの激しいことのたとえ。「重来」は再びやって来ること。
もとは一度敗れた軍が再び勢いを盛り返して攻めて来ることをいった。
「捲」は「巻」とも書く。また、「重」は「じゅう」とも読む。

【臥薪嘗胆】がしん-しょうたん
将来の成功を期して苦労に耐えること。薪の上に寝て苦い肝をなめる意から、
屈辱の日々を忘れずに再起を願うことから成り立つ意味です。
「臥」はふし寝る意。「薪」はたきぎ。「嘗」はなめること。「胆」は苦いきも。
もとは敗戦の恥をすすぎ仇あだを討とうと、労苦を自身に課して苦労を重ねること。
そしていつか苦しみを乗り越えた時にこの言葉の様になるのだろうと信じていること。

【苦尽甘来】くじんがんらい
苦しい時が過ぎ去り、楽しい日々がやって来る。
苦さりて楽来たる。苦しみがやっと去り、良い事がやってくる。
人生は良い事もあれば悪い事もあるとするなら、
苦しみの後には楽しみがあるものです。
そんな期待を持たせてくれる前向きな四字熟語が「苦尽甘来」です。
苦しければ苦しいほど、その後には良い事が待っていると思えるから
頑張れるのです。それが「苦尽甘来」であり、願望だけでなく実際に
楽しい事がやってきていると説いています。

漢字発祥の国、中国には素晴らしい四文字熟語が沢山あります。
私も幾度となくノートにメモをして事ある毎に読み返してきました。
一度や二度の失敗に焦ることもなく何度も再起を果たして来たのは
漢字が持つ言霊のおかげです。それは神社のお札と同じです。
その文字に書かれたことを信じ切ることが大切です。
これからも過去を振り返らずに又過去に縛られることなく
漢字の言霊を信じて前向きに生きて行こうと思います。

世界中が思想・宗教・民族の対立から起こる戦争、地球温暖化による
自然災害、食糧・エネルギー不足、経済不況と混沌とした状態で
打つ術がない中、日本はいまだリーダーシップを発揮できずに
傍観者の立場を取っています。
その為に毎回アメリカに振り回されて援助金や支援金と称して
多額のお金をむしり取られています。
日本国民も現状を知りながらも半ばあきらめムードで
ことの成り行きを見ているだけです。

子どもたちの未来を考えたら大人は逃げるわけにはいかないのです。
周りの大人達は争いを避けたいから「急がず、騒がず、争わず」的な
中庸な生き方を選んでしまうのです。能天気な幸福中心主義者的な選択です。
すべてに無抵抗で同調主義に走ると戦う意欲は無くなるのです。
そこには土埃も立たず悔しさも起こらない。敗北の湖に浸かるだけになる。

しかし最近戦争のニュースを見るたびにこの歌を思い出します。
1972年発売のレコードですのでメッセージの意味が変わります。

加川良「教訓」
命はひとつ 人生は一回だから 命を 捨てないようにネ
あわてると つい フラフラと お国のためなどと言われるとネ
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい

お国は 俺たち死んだとて ずっと後まで 残りますヨネ
失礼しましたで 終わるだけ 命のスペアは ありませんよ
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい

命を捨てて 男になれと 言われたときには ふるえましょうヨネ
そうよ あたしゃ 女で結構 女のくさったので かまいませんよ
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい

死んで神様と いわれるよりも 生きてバカだと いわれましょうよね
きれいごと 並べられたときも この命を 捨てないようにね
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい

時代背景としては1972年発売なので、安保闘争の流れがあるものの、
大阪万博など新しい時代の到来により忘れ去られようとした
第二次世界大戦の教訓を歌ったものと思われます。
私も学生集会で何度か歌ったことがありますが、戦争当時は赤紙一枚で
兵役につかなければならなかった時代です。男子は国のために死ぬのが
当たり前という時代です。その為に学徒出陣で多くの若い命が奪われました。

もしアメリカが原爆を落としていなかったら日本人は最後の
最後まで戦い続けていたと思います。
しかし何の罪もない一般市民を巻き添えにして、
一瞬にして15万人の命を奪っても良いという正当性はありません。
アメリカの策略と日本政府と軍部の無能さゆえに負けた戦争です。
1945年8月6日8時15分天皇陛下の玉音放送で日本は敗戦国となったのです。

ここからこの歌詞に添えられていた隅田さんの投稿文を紹介します。

さて、この歌詞ですが、基本的に命が危なくなったら逃げることは
恥ずかしいことではないという歌だと私は自分なりに解釈しています。

2011年3月11日東日本大震災の時に、「釜石の奇跡」、「大川小の悲劇」と
言われている、天国と地獄みたいな出来事がありました。
「釜石の奇跡」とは、釜石市の鵜住居地区で中学生が小学生の手を引いて
避難したこと、地震の大きさから建物の屋上より絶対大きな津波が来ると
感じた先生が点呼を待たないで逃げられる生徒から逃げさせたことが、
津波から全ての生徒の命を救ったというものです。

一方、みんなを待って一緒に逃げよう、一緒にいれば大丈夫、
10Mの屋上に皆で登れば大丈夫と逃げない選択をしたことで、
数十名が一瞬にして津波にさらわれたのが「大川小の悲劇」です。
なぜ釜石では助かったのか。それは日ごろから防災教育を行っており、
逃げられるだけ海から遠く、そして高いところに、とにかく早く逃げることを
生活の一部として徹底させていたからできたのです。

さて、加川良の「教訓Ⅰ(Lesson One)」に戻りますが、必要な時は
逃げることが大切であり、それは弱者の特権であり、
決して恥ずかしいことではないという歌であることを教えてくれます。
そして「逃げなさい、隠れなさい」という語り口は、見てみぬふりを
するのではなく、困っている人がほかにもいれば一緒に逃げることも
大切であることを教えてくれます。

人は一人では生きていけない生き物だと思います。
そして人生は一度しかありません。
できれば皆で相談して、協力して、仲良く、楽しく生きていきたいものですが、
過剰な仲間意識が足かせになることもあります。
こうして考えると、軽はずみに人に対して頑張れとは言えなくなるものです。
頑張ることは大切ですが、無理しない人生を送りたいものです。
(ウサミグループ隅田さんという方の文章を一部使用させていただきました)

狭い島国の日本は隠れる場所も逃げる場所もありません。
デジタル社会になりインターネットが社会の隅々まで追いかけてきます。
海外との交流が無くなればすぐに食糧不足、エネルギー不足になります。
他国から侵略されにくい島国は他国の援助が無ければすぐに終わります。
日本は【捲土重来】【臥薪嘗胆】を経て【苦尽甘来】を経験しています。
しかし世界の情勢を見るといつ隣国から侵略されるかも分かりません。
最後は日本人らしく誇りを持って戦うか、戦争放棄の旗を掲げて降伏するか
選択が迫られています。

一部の子どもたちはアメリカの51番目の州でも中国の属国になっても良いと
思っています。その上に核原爆保有国になるべきだと主張する子もいます。
戦争の悲惨さを教えなければテレビの中の世界だと気楽に考えています。

敗戦国の日本はアメリカから「地理・歴史・修身」を教えることを禁止されました。
日本が二度と戦いの心を持たないようにです。
アメリカにとっての恐怖は昔のような強い日本です。
平和は勝ち取るべきであり待っててもやって来ません。
今日本は正しい情報の中で正しい選択を迫られています。