下座行

 

ある日突然思いがけない出来事で地位や名誉や財産等全てを失う人がいます。
その原因は色々あったとしても高い地位にいた人がすべての責任を取るのです。

結果高い位置にいた人が職場を失い一番低い位置まで転げ落ちるのです。

今までは指示をするだけであらゆるものを動かしていたのですがその立場が逆転するのです。
尊敬の目で見ていた周りの人達も笑顔をなくし冷たい態度に豹変します。

人としてのプライドもズタズタになり味わったことの無い屈辱感が襲いかかります。
ストレスで頭の中が混乱をして睡眠不足になり食欲も無くなります。
最悪の場合は家族も友人も離れていき孤独な人生を送る事になるのです。

そのような境遇の人が試さなければならないのが「下座行」なのです。

たとえば不正を行った政治家や放漫経営で倒産させた社長や悪質な商売で失敗した金融関係者などが、
悔い改めて立ち直る為には「下座行」をしなければならないのです。

「下座行」とは、人と人が交わる場所を「清めて」、「提供しあう」ことを教えているのです。
また合わせて「下座行」を通して人同士の互いの心を清めあう事も教えているのです。
このことから「自他の利益」の思想が生きて来る。

「下座行」でもっとも基本的な事は、他人の履物を揃える事と、お便所の掃除です。
不浄な仕事をする事によって、多くの人の下になり、今迄の過去を悔い改めなさいという事です。

「下座行」は、通常お寺で行います。年を取ってからお寺の門をくぐるわけですから、
この「下座行」で反省の本気度が試されるわけです。

私はそれほど下等な人間では無いと口答えでもしたら即刻破門です。
綺麗事だけで生きて来た人間に取って、不浄な物を扱うのは耐えられない事だと思います。

しかしそこから這い上がって来た人間は、謙虚と謙遜を身につけて社会に復帰してくるのです。

私の周りにも「下座行」を体験した人がいます。
入門したわけではないのですが、過去を悔い改め身を清め禊の心で復活した人達です。

間違っていけないのは、失敗を単純に「不運」という言葉で洗い流してしまうことです。
そのような人は又同じ過ちを繰り返すのです。

私の大好きな哲学者森信三先生の言葉に「下座行」があります。

「そもそも一人の人間が、その人の真価より、はるかに低い地位に置かれていながら
それに対して毫(ごう)も不満の意を表さず、忠実にその任を果たすというのが、
この「下座行」の真の起源と思われる。

下座行とは、一応、社会的な上下階層の差を超えることを、体をもって身に体する「行」といえる。

例えば「高慢」というがごとき情念は、
自分の実力を真価以上に考えるところから生じる情念といってよかろうが、もしその人に、
何らかの程度でこの「下座行」的な体験があったとしたら、その人は恐らく、高慢に陥ることを免れうるのではあるまいか。

人の師たる人はとりわけ、この下座の体験者であり、下座の行者であることが、何より大事なことであることだけは、
このわたくしにも納得せられます。」

もし「下座行」を英語で書くとするとアンダースタンドとなります。
貴方の下に位置する事により、よく理解が出来ましたということになるのです。