救いのロープ

 

人生は断崖に掛る古いつり橋のようなものかもしれない。

誕生というこちら側の崖から、死というあちら側の崖まで、
恐る恐る人生のつり橋を渡り続けなければならないのである。

何世代も渡って来た古いつり橋は、
ところどころ羽目板が外れており穴だらけである。
足を滑らせてしまえば奈落の底に一直線である。

その為に慎重に歩みを進めたいのだが、
後から後から人が押し寄せて来るので、 のんびりと渡ってはいられない。

そして不思議な事に前を見ると、
つり橋の上空から何本ものロープがぶら下がっている。

そのロープは神様から贈り物「救いのロープ」なのである。

つまり各人が前世で徳を積んだ分の「数」が与えられているのである。
それぞれが、つり橋の長さとロープの数を上手に使いこなして、
それぞれの方法で安全に渡り切りなさいという事なのである。

あまりロープに頼り過ぎて、 強く引っ張ると留め金が外れてロープは谷底に落ちて行ってしまう。
しかし優しく触れるようにしてロープを握り締めていても、 何等ロープは救いにはならない。

焦らずに欲を出さずに冷静に力加減をしながら、
自分の困難に適応させながら、 つり橋を渡って行かなければならないのである。

多くの人達は、慎重に一歩一歩歩みを進めて行くのだが、
つり橋の中間地点を過ぎた頃に、 気の緩みから
ロープの有り難さをすっかり忘れてしまう事がある。

その為に予期せぬ様々な危険にであう。

突然、谷底からの突風にあおられて吹き飛ばされそうになったり、
激しい雨で足を滑らして落ちそうになったり、
吹雪がつり橋を揺らして大きな事故を起こしたりもする。

安全の為のロープを疎かにした為に困難を引き寄せているのだった。

常に古いつり橋を渡りきる為には、 警戒心と緊張感を持続させなければならないのである。
誰しもが運命という天候には逆らえない。

しかし厳しい状況の中でも、気持ちが穏やかな時には、
つり橋渡りを楽しむ事もあった。

美しい山間の景色を眺めながら辛さを忘れ、
嬉しい出会いの喜び、新しい家族の誕生、
煌めく人生の夢に、 心から感謝する時であった。

途中些細な諍いやもめ事も数多くあった。
つまらない猜疑心から生れた嫉妬や裏切りから互いに傷つけ合いもした。
しかし、それらの問題は過ぎてみれば、 すべてが良き思い出に変わっていたのである。

振り返れば、人生におけるあらゆる喜怒哀楽は つり橋の上で起こった一瞬の出来事だった。

そして、誰しもがゴールの崖が見える頃になってからふと気付く事がある。
「救いのロープ」の残りの本数が少ない事に。

多くの人は夢中で渡って来た為に、数が決められていた事を、
すっかり忘れてしまっていたのである。

ここで人生の結末に大きな差が出てしまうのである。

最後のロープを利用して安全に渡りきる人は、 人生の幸福を手に入れる事が出来る人である。

既に最後のロープを使い切ってしまった人は、折角の 人生の労苦を無駄にする人である。

つり橋の90%を渡り切っていたとしても、
残りの10%の所で過去を後悔し反省しても手遅れなのである。

最初から「救いのロープ」の数は決められていた。
それを忘れてしまったのは誰でしょうか。

人生は決して強く美しい安全舗装のハイウェーではありません。
誰しもが穴だらけの古いつり橋を平等に渡っているのです。

安全に渡って行く為には、 この「救いのロープ」の意味を理解しなければなりません。

神様がくれたロープを手離さないように、 無駄に使わないようにして、
最後まで渡り切って行かなければならないのです。

貴方はあと何本「救いのロープ」が残っていますか。

残念ですが「救いのロープ」の追加注文はできないのです。