大切なこと




先日紹介された青年実業家より、
「恩学」を読んだが素晴らしい文章ですね、
家族にも読ませていますとお褒めの言葉をいただいた。
毎日描き続ける気ままなブログである。
私が思いついたタイトルに文書を添えているだけだが、
心に響いてくれている人がいることを嬉しく思う。
そして、それが何よりも励みになる。

今や「人間学」が必要な時代である。
欲に溺れる人生よりも人間力を高める人生のほうが
どれほど素晴らしいかを伝えていきたい。

子供を叱りながら教育をする方法と
自立を促し誉めながら育てる方法では、
大きな差が出てくる。
明治・昭和と世界から学習能力の高い国として
評価されたのに、敗戦国になって
教科書にアメリカの手が入り、「歴史と地理と修身」が削り取られた。
その為に世界に名を遺す優秀な人材を輩出できない国となった。
残念である。

我々は戦わない愛国心教育を復活させるべきである。
教育を学問として体系化されたものを学校で学んできた人たちが教師になる。
人生経験のない無機質な授業内容で何を子供達に教えるのか、
時代に沿った内容でなければ教育者は不要でAIに任せるべきである。
国を愛する教育は敗戦国だから必要ないのだと思っているのだろうか?

学校で算数や国語を教えます。ついでにパソコンも英語も教えます。
しかしなぜ教えるのかを教えていますか?
日本の教育の欠陥は形を教えてその意味を教えません。
算数の必要性、国語の必要性、その上にパソコンと英語の必要性も!
教師が理解していないのです。

ここで間違ってはいけないのが一方的な教え方です。
子供の個性を無視した画一化された授業で教えたつもりになっている。
学校の都合で厳しいルールを課せているのは刑務所と同じである。
自分たちが管理しやすいようにプログラムを組んでいるだけである。

世界には子供の発想に任せて学びを教える教育法があります。
マリア・モンテッソーリ教育(イタリアの医師)自己教育力
ロドルフ・シュタイナー教育(ドイツの医師)総合芸術
レッジョ・エミリア教育(イタリア)幼児教育
A・S二イル・サマーヒル(イギリス)自己決定・個性化・体験学習
フルケ・ボイスコーレ(デンマーク)民衆の大学
子供が学びたいとこを選び、学ぶ方法も選び、学ぶ場所まで選ぶのです。
デンマークでは海外へ留学及び旅行も学習単位として認めてくれるのです。

子供主体の学校が成立するのか?
日本人なら誰しもがその疑問にぶつかります。
しかし日本でも海外の手法を取り入れて成功しているケースがあります。
「きのくに子どもの村小学校・中学校」です。
先生もいない、宿題もない、自由な発想のもとに
自分たちで学習法を作り出す。
驚くのは自分たちで畑を作って収穫の喜びと料理の楽しみを
実践していることです。
生きる教育を、身をもって体験しているのです。

しかし教育の元となることも教えなければならない。
子供は物作りを通して芸を磨くが知的思想までは到達できない。
せめて大学に入った頃に西洋と東洋の考え方や
物の見方を学ばなければならない。
これも基本的には押し付けるのではなく自然発生的な好奇心から
火をつけなければならないのです。

東洋と西洋の融合があるとすれば東洋の思想を啓蒙することが必要である。
東洋思想は、やはり根幹的な原理原則で、
道徳という意味では長けていますが、
欠点もまた多いのです。その欠点を補って余りあるのが
「西洋の芸」だというのです。「芸」とは「アルス(アートの語源)」、
すなわち、技術です。西洋の技術は非常に優れています。
それは、物事を普遍的にする力であり、今時の言葉では
「モジュール化」する能力に長けているということです。

したがって、東洋からは原理原則を提供し、普遍的に人類がこぞって
理解できるような広々としたものにしていくのは、
西洋に任せた方がいい。そうやって西洋と東洋が融合し、
新しい人類の指針を出していく時ではないかということです。

子供たちは未来から来た留学生である。
大人が古い教科書で教えることでは無い。

先ずは材料を揃えて自由な発想のもとに使わせてみるべきである。
子供達と対等に向き合うと大人が教えられることが多い。
一番は想像力の大きさである。コンピュータでは作り出せない未来を、
彼らは想像することができるのです。
その力を伸ばす環境を提供するのが大人たちの役目なのである。

利益競争の選手にするより、共存共栄を理解できる人間に育てる方が
大切だと思いませんか?

大切なことは全て愛から始まっているのです。