そのまま




「そのまま」とは漢字で書くなら「其の儘」です。
「儘」には成り行きに任せること、という意味があります。
成り行きに身を任せると言うと向上を求めず現状維持、という悪い意味で
とらえられることもありそうですが、仏教の教えで「そのままである」
ということには特別な意味があります。 

其の儘の反対は「我が儘」ではないかと思います。
自分勝手な我心我欲にお任せするのではなくあえて、今、ここのあるがままに
お任せするという選択をするのです。
これが仏教の説く「自由自在」という大切な教えです。 

明治から昭和期にかけて活躍した仏教学者の鈴木大拙の言葉に
次のようなものがあります。

人間以外のものは、いずれも、「そのまま」で存立し、「そのまま」に生きて行く。
松は松なりに竹は竹なりに生きて行く。(中略)ただ人間になると、
「そのまま」のところに二の足をふむようになった。
「これでよいのか、な」と、一歩退いて考え込むようになった。
(鈴木大拙『禅のつれづれ』より)

ここで鈴木大拙が言っている「そのまま」とは例えば『白隠禅師坐禅和讃』で
冒頭に述べられる「衆生本来仏なり」と同義であると考えて良いと思います。
衆生本来仏なりと言われても私たちがそれを素直に受け入れるのが難しいのと
同じように「きみはそのままで良いんだよ。」と言われてもやはりそれを素直に
受け入れる事はなかなか簡単ではありません。これは何故でしょうか。 

「そのまま」であることをためらう理由の一つには他者と比較、区別することが
あります。本来、自分がそのままで良いと思えばそのままで良いはずなのです。
それなのに、そこに他と比べてああだ、こうだという余計な考えが生まれるから
私たちはそのままであることに二の足を踏んでしまうのです。

哲学くさくなるかも知れないが、人間は根本的な”そのまま”を忘れ、
働かしてはならぬところに「分別知」を働かして、ありもせぬ苦しみをこしらえて、
その中に自分を投げこんだ。
(鈴木大拙『禅のつれづれ』より)

と、鈴木大拙は続けます。あれこれ気を回したり、考えたりすること
(=分別知を働かせること)を「しなくても良い」と言っている訳ではなく、
考えなくても良い所に気を回してしまうから余計に苦しくなってしまうのだ、
ということです。 例えばお墓参りにはいわゆる作法と呼ばれるものが存在します。
テレビなどでもお彼岸やお盆の時期になると盛んに墓参の作法が紹介され、
私たちはどこかでそれを常識として受け入れている所があります。

墓参の時に一番大切なのは目の前のご先祖さまや仏さまを想って心静かに
拝むことのはずなのに、いざ墓参の時になると私たちが勝手に思い込んでいる
「常識」に縛られ、人の目が気になってそわそわしてしまう。

作法を正しく遂行することが気になりすぎて拝む心がおろそかになってしまえば
それこそ本末転倒です。そのままであるというのは外部からの情報を鵜呑みにする
ことではありません。自分自身の「信心」にそのままであるということです。
信心を持っているからこそ正しい作法を知りたいと思うし、墓前の方を思って
手を合わせた時に心が落ち着くのではないでしょうか。 

信じる心に対してそのままである時には、自分が良ければそれで良いという
わがままな心が自然と消え去っています。自分のことしか考えられない。
不安だ。カリカリしている。そんな時に心静かにご先祖さまや仏さまに手を合わせる
余裕はありません。あれこれ考えるのをやめて、あえて「そのまま」の生き方に
飛び込んでみるという選択肢も忘れないように日々を精進して参りたいと思います。

私がストレスに強いのは心の中にいくつものチャンネルを持っているからです。
元々激しい感情の持ち主だったのでまわりは手が付けられなかったと思います。
何度も人生の辛酸を舐めて、年齢も重ねて、哲学や宗教本から冷静な心が芽生えました。
怒りが起こった時にはすぐにチャンネルを変えて違う場面にしてしまうのです。
それでも収まらない時には怒りの電源を切れば良いのです。

しかし創作活動をしているときには「そのまま」の感情を大切にします。
ここでは他人の意見より自分の意思を大切にすべきなのです。
「分不分別」で考えるのではなく、自分の率直な感情を信じるべきなのです。
「これでいいかな」ではなくて「これでいいのだ」と強く言い切るのです。
これは「我儘」ではなく「そのまま」なのです。

辛い時に救われる言葉・心が楽になる名言

【マザー・テレサ】
「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」
人は、何に挑戦しようとするとき、リスクを考えてためらってしまうことがあります。
この言葉は、成功するかしないかという結果よりも、まず挑戦することの大切さを伝えて
います。

【ヘレン・ケラー】
「人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。」
彼女の言葉は、重い障害を乗り越えた上での言葉だけに、私たちの心を奮い立たせます。
困難があっても、挑み、乗り越えることで道が開ける、そのようなことを教えてくれる
名言です。

【ニーチェ】
「まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。」
実績は関係なく、自分を愛し、肯定することの大切さを説いています。
「毎日少なくとも一回、何か小さなことを断念しなければ、毎日は下手に使われ、
翌日も駄目になるおそれがある。」
「今日もこれができなかった」と落ち込むのではなく、
「優先順位をつけつけて取捨選択をしたまでだ」と前向きに考えるだけで、
心が軽くなるものです。

【トーマス・エジソン】
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、上手くいかない方法を見つけただけだ。」
エジソンは、幼少期学校を退学になり、最初の発明が営業的に失敗するなど、
決して順風な人生ではありませんでした。しかし、どんなに失敗を重ねても
「上手くいかない方法を知っただけで、これは失敗ではない」というポジティブな
スタンスで努力を続けた結果、偉業を成し遂げています。

【アインシュタイン】
「挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。」
人は挫折や失敗を恐れて、ついチャレンジすることを辞めてしまいますが、失敗を
恐れて何もチャレンジせずに終わる人生は楽しいのでしょうか? 「挫折」と聞くと
マイナスな印象が強くなりがちですが、「挫折」があるのはチャレンジしたからこそ。

私達もそのままに、あるがままに、心のなすがままに生きて行きましょう。