説教を聞く




今日、我々現代人が説経を聞く機会は、全くといっていいほどなくなってしまった。
徳川時代の前半に刊行された「説教」の版本が数点残っており、それが書物として
流通しているので、わずかにそれを頼りに雰囲気の一端に触れることができるのである。

それでも、説経というものが持っていた、怪しい情念の世界が、現代人にも激しい
感動を呼び起こす。日本人の意識の底に、澱のようにたまっている情動のかたまりが、
時代を超えて反響しあうからであろう。

中世の民は、戦乱の中で抑圧され、この世に希望をもてないものが多かったに
違いない。そんな彼らに向かって、説経者たちは、抑圧と開放、死と再生、憎しみと
愛を語った。語りのひとつひとつは、時にはおだやかに、時には荒々しく、
人間の情念を飾りなく表現したものであり、当時の民衆の心に直接訴えかける
言葉からなっていた。

説経の主人公は、抑圧されたものであり、乞食同然の下層民として描かれている。
かれらは、重なる迫害に耐えながらも、自分の強い意志によって行動し、最後には
抑圧者に残酷な復讐を成し遂げる。聴衆は、説教のこんなところに、
自分の魂の開放を感じ取ったに違いない。

このように、説教というものは、演者と民衆との間の濃密な空間の中で語られる
ことにより、民衆のエネルギー、つまり愛や情念といったものを蓄積していったので
あろう。
その愛や情念が人間の本源を照らし出す限りにおいて、時代を超えた普遍性へと
つながっていったのである

国とは民の物であり、国家元首の物ではないことを説教者たちは訴え続けるのである。
国の有り様、武士の有り様が変化するとともに国学と言われる学問も変化しなければ
ならなったのである。

下河辺長流や釈契沖が武士の出身であったことが(契沖の家は加藤清正の遺臣だった)、
「国学ムーブメント」の大きな背景になっているということだ。 

この時期の武士は宮本武蔵や由井正雪や丸橋忠弥がそうであったように、
たとえ「武の魂」を求めても、それをもはや戦場に生かすことができなくなっていた。
そこで、それを内乱か、それとも内面かに求めるようになる。

この「武の魂」が一途に「歌」や「文」に向かって昇華していったのが、
歌学の長流や契沖の国学化だったのである。ついでにいえば、談林をおこして
芭蕉に影響をもたらした大坂の西山宗因も、やはり武家出身だった。

いうまでもなく芭蕉も武家の出身である。 江戸初期、これらの魂の発揮は、
封じられ、転じて、磨かれて、江戸の歌学や俳文の骨髄となったのだ。

本居宣長は驚いた。空想の王国をつくらずとも、ありのまま、そのままの社会が
そこに歌われていけば、それが王国なのだと知ったのである。
そこで宣長が京都遊学中に書いたのが『排蘆小船』(あしわけおぶね)である。

「歌の本体、政治をたすくるためにもあらず、身をおさむる為にもあらず、
ただ心に思ふことをいふより外なし」と書いている。
では、その「心に思ふこと」はどこから生まれてきたのだろうか。
その「心に思ふこと」の本体をどう評価すればいいのだろうか。
ここから「もののあはれ」を論ずるには、宣長はたいして苦労をしていない。 

賀茂真淵のものを読んでいたせいもあるが、ともかくもこのことだけは見極めたいと
いう思いで、記述しているからだ。それが『石上私淑言』(いそのかみのささめごと)
だった。
「すべて何事にても、殊にふれて心のうごく事也」「阿波礼といふは、深く心に
感ずる事也」が、宣長の「もののあはれ」のとりあえずの橋頭堡なのである。 

ただし、このとき宣長は「わきまへしる」ということをメモしている。
この「わきまへしる」が「もののあはれ」と決して分断されないで、
一緒に動きまわってくれるかどうかということが、
このあとの宣長の命懸けになっていく。

現在「黄檗売茶流」先代家元の中澤弘幸氏と「老人と孫」なる討論会を展開しています。
元々は中澤氏がインタビューワーと二人で始めた企画ですが、
私の「恩学」のテーマである次の世代に残したい「歴史と文化と誇り」に通じるものが
あり、ゲストコメンテーターとして参加したところ出席者より大きな反響があり、
今後はレギュラーとして企画が進められることになりました。

他にグラフィックデザイナーの今野絢さんとスーパーサラリーマンの田畑瑞穂氏が
参加されて70歳以上の老人が孫世代の質問に答えていくという形式で
月一回の開催となっています。

時には老人からの捨て台詞として最後に「説教」をします。
孫たちに説教を聞く機会を与えています。

時代はデジタル社会になり質問は全てモバイルで検索すれば回答が出てきます。
しかしそこには個人の経験から積まれた知識が含まれていません。
AIが作る集積したデーターで回答が得られたとしても理解と納得は得られません。
正しい答えには過去と未来が描かれていなければならないからです。

例えば私が最初に受けた質問は「死ぬのは怖くないですか?」でした。
過去を紐解き仏教の世界の「生老病死」の話をして、
その後に私が経験したことを加えて自分自身が満足いく人生を過ごしたと思えば
「死ぬのは怖くありません」と回答しました。

「老人と孫」の良いところは1人の老人だけが回答するのではなく、
同時にその他の老人も回答に加わっていくので孫たちは様々な「死生観」を
聞くことが出来ることです。
お茶の世界で生きてきた中澤先代の話、音楽の世界で生きてきた稲葉の話、
世界の有名なアーティストのジャケットデザインをしてきた今野さんの話、
長年証券会社で勤めてきた田畑さんの話、それぞれが違う視点で説明をするので
孫たちは喜んで聞いてくれます。

その上で質問を投げ返して「君たち死は怖いのですか」と聞きます。
そこからまた新しい話が展開されるので我々も大変勉強になります。
そこには孫たちの未来の死生観が生まれて来るのです。

吉田松陰や松下幸之助を持ち出すまでも無く、昔は一家の大黒柱のおじいちゃんが
「生き方」を色々と教えてくれたものです。
時には近所のおじさんも質問すれば答えてくれたのです。
それのサポートとして私塾が盛んになりました。「老人と孫」もいわば私塾です。

文字を目で追うデジタルの回答よりも、言葉で話すアナログの回答の方が納得するのです。

男性老人中心の「老人と孫」の続編は、女性中心の「老人と孫」も企画中です。
私は以前、男性経営者中心の「男塾」を主宰していました。
しかしコロナの影響でやむなく閉塾してしまったのです。

今度は内容を改めて「説教塾」を開催したいと思います。
興味のある方はぜひ参加してください。

「孫を叱るな来た道だから、老人叱るな行く道だから」