形を決める




小さな種でも大きな木に育つ。汚れた種からでも綺麗な花は咲く。
形の悪い種からでも果実は実る。吹き飛ばされた種でも命を長らえる事はできる。
どんなものでも種がなければ形は決まらない。災いを運ぶ種もあれば、幸福を運ぶ種も
ある。艱難辛苦に打ち勝つための種もある。果たして自分はどんな種なのだろうか?

自分のことだけを気にしている人は雨の日や風の日を嫌う。

しかし、自然の摂理をわかっている人は雨の日も風の日も喜んで迎い入れる。

あらゆる人間の営みは自然と共にありそこに一切の無駄は無いからである。

欲しいものが手に入れば喜び、辛い作業が指示されればその場から逃げる。
大人としての自覚がないから子供のように楽な方へと流されていく。
自分の天命を知らぬ者は生きる形が決まらずに感情に右往左往する。

形を決めるとは人間性を決めるという事にもつながる。
人生の目標を決めた場合にそれに適した人物とはどのような人になれば良いのだろうか。
人間的魅力にあふれ余裕のある人は心が豊かな人が多い。

心が豊かとは金銭的な余裕を持っている人を言うのではなく、精神的な安定感を持って
いる人を言うのです。精神的な安定感は学びからでしか手に入れることは出来ません。
私は、以前は哲学書から学ぶことは多かったのですが、最近では禅から学ぶことが
主流になりました。

最近訪れた京都宇治市にある禅寺「萬福寺」で学んだ禅語です。

却下無私皆浄土(きゃっか むしなれば かい じょうど)
「足元に私などというものが無くなれば、みんな浄土の世界なのです」
足元とは、自分自身のことです。その自分自身に「私」という囚われや執着が
無くなれば、それはすべて浄土の世界、すなわち、やすらぎの世界なのです。

松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)
松の緑は千年もの間、変わらないでいるけれども、その美しさに気づいた人は果たして
何人いるだろうか。いつの時代も、残念ながらそれに気づかない。
千年の緑をたたえた美しい松が目の前にあったとしても、その美しさを十分見抜く力が
なければ、なにもならない。本質を捉える目を養うこと。

不入時人意(ときのひとのこころにいらず)
「松樹千年翠 不入時人意」という言葉があります。「時の人の心に入らずとも、
変わらぬものの価値を見失うことなかれ!」という呼びかけです。
四季の移ろいとともに変化にばかり目を奪われがちな私たち、翠を1年中保って
しっかり根を張り続ける松に例えたこの意は、「変わらぬものを振り返って、確かな
今を見つめること」を示唆しています。しかし千年を生きる松も、その翠は毎年
新しい変化の営みを繰り返しています。

京都・宇治にある黄檗山萬福寺の茶礼から発展した「黄檗売茶流」
(おうばくばいさりゅう)。
煎茶道の祖と言われる売茶翁の志とともに美しいお点前を受け継ぐ煎茶道の流派です。

日本で煎茶が、喫茶趣味として、また煎茶道としての態勢を確立するようになるのは、
江戸時代も半ば、京都に、売茶翁と呼ばれる畸人が登場するようになってからである。
彼は日本の煎茶道の始祖とも呼ばれ、その果たした役割には大きなものがあった。

「石炉茗を煎じて来往にひさぐ 過客須からく知るべし価半銭 一啜君が為に心腑を
洗う通仙亭上楽しみ悠然たり」

京洛の文人墨客、つまり詩人、歌人、小説家、学者などの文筆活動をするものや、画家、彫刻家、

陶芸家等の芸術活動に携わるものたちであった。奇才日本画家、伊藤若冲も
参加していたことは有名な話である。

売茶翁は、茶亭「通仙亭」を構え、「清風」の茶旗を掲げて、煎茶による売茶活動を
始め、近世わが国の「煎茶」の最初の口火を切った。その「通仙」「清風」の文字は、
唐代の詩人玉川子廬仝の有名な「茶歌」に基づくものだったことは言うまでもない。

売茶翁の場合、それは単に詩句の文字の引用に終わるものではなく、廬仝の生き方や
思想に深く傾倒し、その影響を強く受けていた。言い換えるならば、売茶翁の煎茶は、
廬仝の喫茶精神を継承するものと言っても良かったのである。その軌道修正に対しては、

先に述べた京洛の文人との交友がすくなからぬ影響を与えていたものと思われる。

萬福堂の庭先の松の木にこの「通仙」と「清風」の札がかかっていた。
茶のお点前をする主がいますと、不在ですという事をお知らせするためです。

私は一時、財産も名誉も家族も失った時があります。勿論、原因はすべて私にあるのですが、
次の生活の基盤を作るために一人暮らしを始めました。昔の仲間や上司に頼ればよかったのですが、

それまでの強気なイメージを壊したくなくて、敢えてつらい道を歩くことに
決めたのです。

その時に、まだ生きる形の決まっていない子供時代のころを思い出しました。
4~5歳の時に両親が離婚をして父親が家を出ました。そして6歳の時に父親の方へ
引き取られ、見知らぬ土地と父の新しい家族に馴染めず苦しいおもいで過ごしました。
18歳を過ぎて頼る両親もいない中、大学へ入学をして、一人で働き、貯金をして、
英国に行き、現地で仕事を探して暮らし、帰国して一人前になるまでをさかのぼり
ふと「いつも一人」だったことを思い浮かべたのでした。

そこには逆境に強い自分の形があったのです。踏まれても、踏まれても根を張る
雑草のような自分がいたのです。

そして、人と同じことでは勝てない、人と違う「形を作り」出さなければトップには
なれない。その為に憧れの先輩に成り切ることを決意しました。
私の場合はビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンとマイケルジャクソン
のプロデューサー、クインシー・ジョンズでした。
日本で初めて70年代に音楽プロデューサーの形を作り始めたのです。

歌舞伎でいわれるように「型があるから型破れ、型が無ければ、それは単なる形なし」
18代目「中村勘三郎」の言葉

形を決めることがいかに大切かお分かりになったでしょうか?
人から薦められた型ではなく、自らが望んだ型ならば、自分なりの型破れが
出来るのではないでしょうか?

形は強い意志と過去を学ぶ意識が無ければ作ることが出来ません。
その上に新しい時代の風を吹き込むアイデアが必要です。

他人の評価を意識せずに自分なりの形を作ってみてください。