夜明け前




夜明け前が一番暗いと言うが本当は一番明るいのである。
絶望から始まる希望があるとすれば、その時希望が一番輝いているのです。
人の世も苦しみを味わった人達が復活に立ち上がった時が一番強くなります。
貧しい子がパンを修道院に寄付したことで世界中の人々の奉仕の光になったのです。
平和とは暗い恨みを晴らすことではなく、明るい恩を返すところにある。

日本は先の大戦で原爆を落とされて罪なき人が大勢亡くなった。
そしてアメリカに恨みを募らせることもなく、相手の力を利用して経済大国になった。
正しく武士道で言うところの「肉を切らせて骨を断つ」精神である。
これは世界広しといえど類のないことです。

悲しみを悲しみとして受け取るのではなく、悲しみを復興のバネとしたところに
日本人の本当の力がある。暗い恨みを募らせても発展的には進めない、
悲しみの現状を把握して明るく前へ進んだ時に、日本は一番輝いていたのです。

だから日本は世界のどの国よりも「平和を提案」できる国なのです。

東日本大震災の時に家族や家を流されて悲しみのどん底に突き落とされても、
食料や水の配給の列に子供から老人まで整然と待つ姿に世界中が感動した。
奪い合うところに平和はなく、分け与えるところに平和がある。
ここから世界中の支援を受けて復興の10年が過ぎたのです。

夜明け前で思い出すのが島崎藤村の書いた「夜明け前」である。
「木曽路は全て山の中である。」の書き出しから始まり、(中略)
そして、末尾はこのように〆られた。

御嶽のすそを下ろうとして、半蔵が周囲を見回した時は、黒船のもたらす影響はこの
辺鄙(へんぴ)な木曾谷の中にまで深刻に入り込んで来ていた。

ヨーロッパの新しい刺激を受けるたびに、今まで眠っていたものは目をさまし一切が

その価値を転倒し始めていた。

急激に時世遅れになって行く古い武器がある。眼前に潰(つい)えて行く旧ふるくからの
制度がある。下民百姓は言うに及ばず、上御一人(かみごいちにん)ですら、
この驚くべき分解の作用をよそに、平静に暮らさるるとは思われないようになって来た。

中世以来の異国の殻(から)もまだ脱ぎ切らないうちに、今また新しい黒船と戦わねば
ならない。半蔵は『静の岩屋』の中にのこった先師の言葉を繰り返して、
測りがたい神の心を畏(おそ)れた。

人智及ばぬところに時代の夜明けは訪れるのである。

「万里清風」」

昨夜一声の雁は、修行者が長い修行の末、機縁熟して、ある日、忽然として悟りを開くことを意味し、

そして、一夜明ければ、すなわち、悟りを開いて見れば、今までのモヤモヤが消し飛んで、

スカーッとした清々しい気分を「万里清風の秋」と頌したのです。

なにも禅の悟りを待つまでもありません。私たちの日常生活の中で、何か一つ
すばらしいこと、清々しいことを聞けば、残暑厳しい中でも万里清風の思いが
するのです。

こどもたちは、水筒の水をダムのえん堤から一斉に流した。拍手とかん声が起きる。
渇水で水位をさげたダム湖に、水筒の水は消えた。 
この一瞬のためにこどもたちは長い道を歩いた。豊橋をはじめ愛知県東三河地方は、
昨年秋から慢性的な水不足になった。この一帯をうるおす豊川用水の水源である
宇連ダムは、ことしはじめにはカラになった。 こどもたちの家庭でも、
水に対する関心が高くなった。そんなとき、このこどもたちは、すこしでも
水をダムに返してやろうと、近くのお寺の井戸からくんだ水を水筒につめて運んだのだった。……

道元禅師は谷川の水を汲んで杓底の水を元の谷川に還されたといわれます。
茶人は釜から柄杓でお湯を汲み、必ずその半杓の湯をもとの釜にもどします。
水筒の水を水源地のダムに還す、それは量の問題ではありません。水を大切にする
「心の問題」です。

どちらの話にも「万里清風」を渡るように、清々しさを感ぜずにはおれません。

悲しみや苦しみに対して千言万語の言葉で言い尽くすより、小さな行動で気持ちを
表した方が人々の協力を得て神々への祈りにつながる。

ここでも思い出すのが「江戸しぐさ」である。

さりげなく道を譲り、雨水が当たらぬように傘を傾げ、拳一つ空けることで席を詰める、

決して刺し言葉で相手の話を閉じさせないなどです。

江戸しぐさは争いのない平和な町を願って考えられ、そのしぐさや考え方は

現在の生活に大切なものと思います。

江戸しぐさは、その人の思いや考えが「しぐさ」として表現されるということで
「心の在り方」を大切にしたようです。「あい、澄みません」、『板橋を出るときは
「いたばし」、入る時は「いたはし」』と言って心が濁ることを嫌いました。

また、争いをしない平和な生活を送るための「往来しぐさ」や相手を尊重し、
思いやり(惻隠の情)、助け合い、共生、相互扶助の精神の「心」を大切した「しぐさ」
や「言葉遣い」が考えられ実践されました。

夜明け前の自然から受ける「万里清風の風」のエネルギーを受けて、
感謝するところから一日を始めてください。

夜明け前の暗い内から禅僧たちは明るく活動を始めます。