盥(たらい)の水




マズローの5代欲求の最上階に位置するのが「自己実現」です。
生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現。
最近ではその上に自己超越的の「利他心」が加わると言われています。
「自己実現」は人々から感謝されたいということで、
学校や図書館を建設して地元に還元するということです。
(アメリカでは個人名を記した大学や図書館・病院が多いのはそういうことです)
さまざまな寄付をして尊敬を得たいという欲求です。

更にその上に加わるのが自己超越的「利他心」奉仕の心です。
金銭的援助だけではなく貧しい人々へ教育や仕事の斡旋や病院の手配などを通じて、
宗教家的な自己を超越した中で人々を救いたいと願う欲求です。
奪う事ばかりの半生を振り返り、最後は分け合い分配に徹する、
地球愛に目覚め一生を終えるということです。

「人生というのは、たらいの中の水と同じようなものです。
たらいに水を張って、自分の方へもってこようとすると、
水は向こうへ逃げていってしまいます。
逆に、相手方に与えよう、与えようと向こう側に押せば、
水は必ず(こちらに)返ってきます。人生とはそういうものです。
ですから是非、自分のできる範囲で精一杯、人のために尽くしてみてください。
すぐに返ってはきませんが、やがてドーンと返ってきます」

日本が世界に誇る「おもてなし」
「お客様が心地よく過ごせるように心を込めて準備し、最大限の歓迎の気持ちを
持って対応すること」相手を思いやる日本人の気質や文化が息づいています。

しかし形だけの「無理強い」する「おもてなし」が多いのも事実です。
日本旅館へ泊った時に仲居さんが荷物を部屋まで運んでくれるのは良いのですが、
ながながと旅館内の施設の説明をすると、長いドライブや、列車などで到着した時は
とりあえず荷物をほどき、普段着に着替えてさっとお風呂に入りたいと思うのに、
お客様の気持ちを無視しています。これは「おもてなし」の規則から外れています。

その上に女将さんが来てご挨拶されると迷惑もいいとこです。
そして夕食になるとこれでもかという程お料理がお膳の上に並べられて、
年寄りや子供達には量が多すぎて迷惑千万です。
特に海外の人はハラールやビーガンの人もいるので見た目に美しい料理でも、
お出しするのは気を付けなければいけません。

「おもてなし」とは手の内側を中心に行う作法です。
手を添えて「どうぞ」という行為は「盥に水」を押すしぐさに似ています。
相手に向かって水を押し出せばおのずからと水は手前に戻ります。
間違った「おもてなし」は自分たちの利益優先に行っているという、
失礼にもなりかねません。相手を思う気持ちと相手の望むスタイルで行うように
心がけてください。

石田三成がまだ寺の小姓だった頃、寺に立ち寄った豊臣秀吉を3杯のお茶でもてなした
「三献茶」の挿話は有名な話です。
後頭部が突き出た少年が持ってきた大きな茶碗には、ぬるめの茶が入っていた。
鷹狩で喉が渇ききっていたので、秀吉は一気に飲み切った。
「小気味よし!さらに一服所望じゃ」
二杯目の茶碗には前に比べると小さめで、湯はやや熱めで量は半分ぐらいであった。
秀吉はそれを飲み干し、もう一服命じた。
三杯目の茶碗は高価な小茶碗で、湯は舌が焼けるほどの熱く量はほんの僅かであった。
秀吉はこの少年の気配りに感心して長浜城へ連れ帰ったという。

これが「おもてなし」の代表例です。
「気配り・目配り・心配り」が揃っています。

「情けは人の為ならず」
「情けは人のためならず」とは、よく耳にする諺でありますが、 
よく意味を勘違いしている人が多い諺としても知られています。
「情けをかけることは、結局その人のためにならないので、すべきではない」
という解釈と
「情けは人のためではなく、いずれ巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、
誰にでも親切にせよ」という全く正反対の2つの解釈が成り立つというのです。

「善悪種蒔鏡和讃」(ぜんあくたねまきかがみわさん)白隠禅師法語全集

「情けは人のためならず、即ち孫子のためとしれ」情けは相手のためにだけではなく、
自分の孫子に恩恵が帰ってくると思って誰にでも親切にせよという意味になります。
すなわち、見返りを求めてはいけないという白隠禅師の思いが込められている。
「見返りを求める心」が少しでも残っていると「恩を仇で返された」とか
「恩知らず」などと「恩着せがましい」を生じかねないからです。

スティーブ・ジョブズの禅の師匠乙川弘文はジョブズに式師を頼まれて
1991年にジョブズの結婚式を禅宗様式で執り行った。
彼は大成功しているジョブズには興味が無く、常にアドバイスを求めにくる
一人の禅の弟子としてしかとらえていなかった。
ジョブズから自分の豪邸を好きに使っても良いとの誘いにも興味を示さなかった。
弘文の禅僧の何も求めない禅の心に寄付や協力が山ほど集まったのです。

アップル社の商品デザインには「禅」の精神が生きています。
乙川弘文に助言を求めたジョブズは無駄をそぎ落としたシンプルにこだわりました。

弘文の最大の魅力は心がいつもオープンであったことと周りの弟子たちは言う。
しかし弘文は俗にいう「破戒僧」で、家庭も持ち酒も飲み、肉も大好きであったという。
近しい人の話によると、彼は純粋無垢な少年のような性格で誰からも愛された。
特に女性信者たちからは言い寄られることが多くそれを断れない性格だったと言います。
弘文は破戒僧であったが「私利私欲」で生きていなかったのでシリコンバレーの
若者たちには絶大の人気であったのは分かるような気がします。

我々の日常の生活にも「盥の水」は多く存在しています。
日本人の好きな「しんせつ」を押し付けるのはやめにしましょう。
「しんせつ」の裏返しは「めいわく」です。

野に咲く綺麗な花を誰かに見せるために摘み取る必要はないのです。
そっとしておくことも大切です。