心の時代




モノからコト、コトからサービス、サービスからココロ、物質世界から精神世界へと変わる。
啓蒙思想ルソーが定義したフランス革命「自由・平等・博愛」とは、
人間本来の理性の自立を促す。「尊厳」とは、原義はラテン語の「光で照らされること」です。

人々の心の中を光で照らすということは「夢と希望」が存在しなければなりません。
尊厳を必要とする18世紀西洋文明の時代がいかに暗くて陰湿であったかが
よく分かります。

人間の尊厳の再認識「人間らしさとは?」

人間とは二足歩行、道具を使う、言葉を話す、知識を使う動物である。

我々の学問は一般的に見えるものを対象に繰り広げられる。(唯物論)
疑問があっても目に見えないものは全て心の問題となる。(唯心論)

そして答えの無いものは全て「神の領域」だと教えてここから逃げの学問が始まる。

科学が追求する領域にも限界を感じる。宇宙無限の解明がなされないまま現在に至る。
近代哲学分野の「国家と民衆」人間が中心に国家を作り上げる。(過去は神を中心に国が成立とした)ホップス・ルソー・ロックが中心人物で、この考え方を提案した。

そしてあらゆる問題は目に見えない「絶望の壁」である。
人間が理解できないことは全て「絶望の壁」が立ちはだかるからである。
一体「壁」とは何か?自分の心を持たずして神に仕える奴隷の時代の名残である。

人間として恐怖心から生まれた心と恥を知る脳(無知蒙昧)が見えない「壁」を作る。

元々そこに問題がなかったとしたら知識がいつも邪魔をしていたことに気づく。
我々はいつも頭で考えるから答えが見つからず、心で捉えなければ解決の糸口は無い。

空回りするのは「心」というアクセルと「脳」というブレーキを同時に踏み続けているからである。心の原点に立ち戻らなければ闇夜の世界をたださまよい続けるだけである。

縄文時代に「壁」は存在しなかった。
自然の中で人間という生き物が単純に存在したからである。
自然と共に生きることが「壁」を取り払う要因かを研究する時代に入った。

縄文時代の豊富な食料と文化の存在が重要なカギになる。
文化とはすべて神に繋がっていて、古代宗教アニミズムによる万物に存在する、
全てのものに畏敬の念を持ち、神が存在するという概念を知るところから
始めなければならない。

縄文時代を語るにはアニミズムと山岳信仰は切り離せないのである。
万物の神々と一緒に暮らしていたから争うことも奪い合うこともなかった。
ここに心の時代の糸口が見つかるはずである。

都市化が進み、自然は「ない」ことにされた
木や草が生えていても、建物のない空間を見ると、
都会の人は「空き地がある」というでしょう。
人間が利用しない限り、それは空き地だという感覚です。
空地って「空いている」ということです。ところがそこには木が生えて、鳥がいて、虫がいて、モグラもいるかもしれない。
生き物がいるのだから、空っぽなんてことはありません。
それでも都会の人にとっては、そこは「空き地」でしかないのです。
養老孟子「ものがわかるということ」より

心の時代だと知りながら心をコンクリートで固めてしまうのはどうかと思うのです。