清濁
一本の川の流れにも清らかな部分と濁っている部分がある。
また、人の心の中にも美しい部分と汚れた部分がある。
そしてひとつの言葉の中にも真実の意味と虚偽の意味がある。
<意思が濁れば意地になる。口が濁れば愚痴になる。徳が濁れば毒になる>
福(ふく)に徳(とく)あり、河豚(ふぐ)に毒(どく)あり
「濁りなき 心の水にすむ月は 波もくだけて 光とぞなる」 道元禅師御製
○ お釈迦様は、ある時弟子たちに
「水面は、泡立っていたり、濁っていては、その姿を正しく映し出せない」
と浄なる心を説かれました。
○ 世の中は澄むと濁るとの違いにて
福(フク)に徳(トク)あり、河豚(フグ)に毒(ドク)あり、
意思(イシ)も濁れば、意地(イジ)となり、
口(クチ)も濁れば、愚痴(グチ)となる 。
呼吸を整え、身と心を整えると濁りは消えていきます。光真寺法話より
どのような大義名分があろうとも上辺だけの「意思」を貫き通すと
濁って「意地」となるのです。
「智に働けば角が立ち、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ。」草枕
教訓を「口」から出まかせに他人に伝えるといつしか濁って「愚痴」にもなるのです。
愚痴を重ねて年取れば手を差し伸べてくれる人がいなくなります。
「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」武田信玄
要らぬおせっかいで「徳」を重ねたと錯覚して、その親切がいつしか「毒」となる。
一回限りの寄付やボランティアの活動だと徳にはならず「毒」となります。
人間関係において様々な規制(きせい)が増え濁ると犠牲(ぎせい)が出ます。
お気を付けください。