寒椿

 

庭に椿の花が咲きました。

椿は照葉樹林の代表的な樹木です。
冬のさなかに咲く早咲きの椿は「寒椿」遅咲きの椿は「花椿」として希語としても使われます。

椿の花は花弁が個々に散るのでは無く、多くは花弁が基部につながって丸ごと落ちます。

その様は首が落ちる様子を連想させるために、お見舞いの花として持って行く事は
タブーとされています。

地上に落ちた椿は「落椿」と表現され春の季語としても使われます。

競争馬の世界では椿の落ちる様が落馬を連想させるとして、又、
江戸末期には武士達も首が落ちる連想として嫌ったそうです。

深緑色の葉の中に真っ赤な椿の花は
凛として美しいものです。

そして朽ち果てるまで咲き続け、その後一瞬にして
散る様は日本人の大好きな桜の花とは趣を異にします。

桜は恥じらう乙女の花です。
椿は成熟した女性の花です。

恥じらう乙女の花の下ではわいわい騒ぎながら酒宴を繰り広げます。
成熟した女性の花の前では酒は飲まずに黙して語ります。

明け方の縁側から見る庭先の椿と
目が合えばハッとする美しさに息を飲みます。

桜はナルシスとの男達の象徴でした。
美しさに憧れそして未練を惜しむ男達の潔い花です。

薄桃色の花弁を杯に入れて一期一会の人生を語るのも趣が感じられ素敵です。

椿は寡黙な男達の象徴です。一途に真っ向勝負です。
花を咲かすだけではなく、実(み)は食用油や薬としても役立つのです。
また椿の炭や灰はとても珍重されるのです。

「寒椿」も素敵ですが、どちらかというと私は「寒梅」が好きです。

私の書斎に中国西安で購入した寒梅の墨絵があります。

京畳一畳分程の大きさです。中央に古木の梅の木が描かれています。

梅の花は葉っぱが無くて木から直接花を咲かすのです。

月下の中で雪が舞い見事に咲いた冬の梅の絵です。

中国の人は寒梅の絵が大好きです。
貧しい農村生活の中で生きる力と希望を与えてくれるからです。

風雪をしのいで、どの花よりも一番先に咲いた梅を「寒梅」と称し、
苦節試練に耐えながらも、争わず、無理をせず、
終始ゆとりを持つ自然体で生き抜いている姿に親しみを覚えたのです。

中国の漢詩の中にも「寒梅」は多く使われています。

又、日本人では明治の宗教家であり同志社大学の創立者として有名な
新島襄が「寒梅」の漢詩を発表しています。

庭上一寒梅

笑侵風雪開

不爭又不力

自占百花魁

(訳)
庭先の一本の梅の木、寒梅とでも呼ぼうか
風に耐え、雪を忍び 笑っているかの様に、平然と咲いている。

別に、争って、無理に一番咲きを競って 努力したのでもなく、
自然にあらゆる花のさきがけとなったのである。

まことに謙虚な姿で、人間もこうありたいものだ。

現在放映中の、NHK大河ドラマ「八重の桜」は、
新島襄の奥方山本八重の話である。

梅と桜の運命的な出会いが、この物語を生んだのである。

黒沢明監督映画「椿三十郎」三船敏郎主演

次席城代家老の悪だくみに立ち向かう若侍たちに
手助けをする素浪人椿三十郎。

悪の手先であるお目付け役の侍達をばったばったと斬り捨てる。

その見事の殺陣さばきと噴き出す血しぶきに観客は驚いたのである。

黒沢監督の噴き出す血しぶきのアイデアは
その後の時代劇では欠かす事が出来なくなった。

助けた城代家老の奥方から名前を聞かれた素浪人が
咄嗟に思い付いたのが「椿三十郎」であった。

その目の前の垣根には真っ赤な椿が咲き乱れていたのである。

今夜は越後の銘酒

「越乃雪椿」か「越乃寒梅」で顔を赤らめよう。