キャッチボール

 

子供にボールを投げるにはどれぐらいの距離が必要だろうか。
少年や青年に投げる距離は、女性に投げる距離は、野球好きな人にはどうだろうか。

勿論、子供には4メートルから6メートルぐらいが安全であり、
少年や青年には10メートル以上でも十分補獲出来るだろう。

女性には5メートルから8メートルぐらいが安全で、
野球好きなら16メートル以上ぐらいなくては練習にはならない。

意思を伝える言葉も「キャッチボール」と同じように距離が重要である。

子供に伝える言葉は優しくて分かり易く説明する事が大切で、
少年や青年には真理を厳しく伝えなければならない。

女性には女性としての立場と役割を理解した上で伝えなければ納得されない。

言葉を使うプロ(士業)の人には、質問者側の考えを明確に伝え、
異論・反論する材料も持ちあわさなければならない。

言葉もボールと同じように緩急と強弱を付けて話をしなければ理解されない。

しかし言葉の距離感がみえない便利なツール、インターネットやメールからは様々な誤解がうまれる。

画一された文字からは受け取る側の理解が違うので危険である。
ビジネス上の連絡事項であれば問題は無いが、人間関係の感情のやり取りでは注意した方が良い。
必ず肉声でやりとりをした後でのメールにすべきである。

またデジタルパネルからのニュースや情報は一方的でそのうえ無機質である。
身近な事件も事故も災害も現実感が無く、何故か他人事のようになってしまう。
悲惨な戦争や貧困や暴動も電源を切れば終わりになるから、
見たくない、受け入れたくない「拒否」が簡単に済んでしまう。

来年消費税が上がれば経済的危機が来ると言われても実感を掴み難い。

街に出れば、着飾った人が溢れ、車も溢れ、店には物が溢れている。
そこかしこにコンビニもあり、ファミレスがあるので食べるには困らない。

自分達がいくら貧困になってもこの国で暮らす限り安全だと錯覚してしまう。
身に迫る危険を知らずに安全を確保するのは無理だと言うことから目を逸らす。

全ては情報の距離感が消えてしまうから現実感が亡くなってしまうのである。
怖いのは人の感情も距離感が大切だということすら忘れてしまっていることである。

出会いの距離感も礼儀にかなった距離がある。

それは、日本人はお辞儀の距離、中国や韓国では握手の距離、中東の国では鼻をこすり合わせる距離、
アメリカ人は抱きしめ合あう距離で信頼を確かめる。

その距離感も知らずにサービスすることが美徳のように報じられる。

日本人が大好きな言葉「おもいやり」のサービスである。
この言葉は一期一会の礼をもって他人に尽くす作法の意味を持つ。

しかし初対面の外国人に対して「おもいやり」を無理強いするのはどうなのだろうか。
相手との正しい距離感を保ちながらの「おもいやり」でなければ意味を為さないのではないか。

いたずらに「おもいやり」を待ちあげる政府やメディアにも疑問を感じる。

親切を強要することに迷惑と感じる人も多いことを知るべきである。
程良い距離感が無ければ「言葉のキャッチボール」もうまくいかないことを知るべきである。

言葉を投げて言葉を受け取る距離感を訓練をしなければならない。

更にその距離感に感情が乗らなければ意味を為さないのである。