形あるものは、形がそのまま心である

 

江戸時代の儒学者石田梅岩の言葉によれば、

「たとえば形とは、ボウフラは水の中では人を刺さず、成長して蚊になってから、人を刺す。
蛙は自然に蛇のことを怖れる。これは蛙の親が、「蛇はおまえを食べる、恐ろしいものだ」と
教えたからではない。こういったボウフラや蚊、蛙の行為や反応からは、
外形がそのまま心の在り方を決めていることがわかるだろう。

人が自身の心を知り、それを本源である性に至らしめるためには、
形に従って生きる必要がある。その形とは何かと問われればまずは職分であると答えよう。

職分とは、「その職務にある者がしなければならないこと」であり、
もっとも簡単な言葉に言い換えるならば、仕事としても良いだろう。
つまり、今ある仕事に励むことは、心を性へと近づける修養となる。」

石田梅岩は貧農の農家から11歳で丁稚奉公に出され、独学で儒学、仏教、神道を学び、
人として心の在り方を説いた人物である。
後に弟子たちによって「石門心学」と名付けられる思想を創始した人物でもある。

「学問とは、ものを覚えることではなく、考える力を身につけること」

学問とは知ることに専念することではなく、実践を以って学ばなければならない、
即ち、知と行いが同時になさなければ意味を為さないと教える。
梅岩は朱子学の「知先行後」を学んだが、この教えの部分は陽明学の「知行合一」である。

従来の学者のようにただ知識を蓄えるだけでは理屈理論に走る「文字芸者」になってしまう、
現状の仕事に専念しながら知識を研鑽することの方がもっとも正しいと説く。

「形あるものは」とは、今ある現状の中でベストをつくせば、
自然に現れて来る姿の事を言っているのである。姿とは「心性」の事である。

学ぶことを私利私欲の為に使うことは愚の骨頂である。

商人出身の梅岩は「利潤は追求すべきだが、公共性を失わない範囲にとどめるべきものだ」
と言っている。近江商人の三方の教え「自分良し、他人良し、社会良し」と同じである。

江戸時代と言えば士農工商の時代である。
武士が偉くて商人は最下位に属し金儲けは卑しいとされた時代である。
しかし裏では多くの武士が商人から金を借りていた時代でもあった。

その為にさまざまな宗教家たちや学者が梅岩に難癖の質問をした。
武士に雇用されていた彼らにとって梅岩は目障りそのものであったに違いない。

一番の批判の原因は、高尚に崇めるべきものである学問を、「心の磨種(とぎぐさ)」として、
平易に誰でもが理解できる教えにしてしまったからである。

「心の磨種」とは心を成長させる為に学問が必要だと言っている。
返して言えば学問をしたから自然に心が成長するのでは無いとも言っているのである。

梅岩自身「人の人たる道」を求め勉学に勤しんだ。

11歳の時口減らしの為に丁稚奉公に出されてから終生自分の家族を持たず勉学に励んだ。
苦労を重ねても私利私欲に走らず、誰でもが学ぶ権利があると無料の私塾を開いたのである。

元々生まれてきた姿に本来の心を見出すことが正しいと信じて疑わなかった。

全ての人の外形がそのまま心の在り方を決めていることを教え説いたのである。