絶望の先から光が見える




「五里霧中」という言葉がある。
五里のあいだにわたって
立ち込める霧
状況がつかめず
まわりが一切
見えない状態
先の見通しが立たず
困惑している様子
追い詰められて
逃げ出す場が無い
戦争で、病気で、貧困で
いわれなき迫害で
弱き民が
小動物たちが
絶望の先へ
追いやられる
微かな光を頼りに
五里霧中の中から
活路を見出すために
悩み苦しむが
その先は
きっと霧が晴れると
願いたい
「一日一言」より

「井戸に落ちたロバ」
ある農夫のロバが、枯れ井戸に落っこちた。
ロバが哀れな声で鳴き続ける間、農夫はどうしたら良いか考えをめぐらせた。
結論はこうだ。
ロバはもうかなりの歳で、この井戸はいずれ埋めなければならない井戸だ。
ロバを引っ張り上げることに、意味はない。

農夫は近所の人々全員を呼び集め、手伝いを頼んだ。
人々はショベルを手に取り、土を井戸に放り込み始めた。
初めの頃は、ロバは何が起こっているのか気付いているようで、
ひどく鳴いていた。
ところがその後 …皆が皆驚いたが… ロバは静かになった。

その後、何杯か土を放り込んでから、農夫は井戸の中を覗いてみた。
すると、驚愕(きょうがく)の光景がそこにあった。
ショベルで落とされた土がロバの背中に当たる度に
ロバは体を震わせて土を落とし
踏み固めて登っていたのである。

農夫の隣人達がショベルで土をかける度に、
ロバは土を振り落としてまた登る。
そのうちにロバはついに井戸の縁にまで達し、
嬉しそうに地面に駆け降りたのだった!

教訓:
人生はあなたの上から土を落としてくる。
土の種類は様々だ。
井戸から脱出するためには、土を振りはらい、踏み固めて登るのだ。
全てのトラブルは、踏み台であると考えよう。
休まず、あきらめなければ、どんなに深い井戸からでも脱出できる!
振りはらって登るのだ。

幸せになるための5つのルールを覚えておこう。
1. あなたの心を、憎しみから解放してあげよう。敵を許すのだ。
2. あなたの心を、不安から解放してあげよう。不安な事の大半は、
実際には起こりはしない。
3. シンプルに生きよう。そして、あなたが持っているものに感謝しよう。
4. 自分からいくらでも与えよう。
5. 人々に期待を寄せるのを控えめにしよう。
その代わり、神様にもっと期待しよう。
私たち全ての者に、神の恵みがありますように。
By: Hormuzd J Dadinath

「陰極まれば陽に転ずるまた逆も然り」

これが相対世界の真実である。
動きでしかない世界は一瞬たりとも止まることはない。
しかし脳は、部分だけを切り取って見るために事事物物に
意味価値を添えてしまう。
成功者を見ればその栄光の姿だけを切り取り、
失敗者を見ればその敗北の姿だけを切り取り、
あーだ・こーだと意味価値を添えていく。
その見方は自分自身にも向かい、過去の失敗をクヨクヨと嘆き続けるという
勿体無い時間を過ごす。

それ故、よくよく思惟を深めていくことが必要なのだ。
なぜなら、人間は放っておけば脳の癖にハマるからだ。
陰極まれば陽に転ずる、また逆も然り、それは個の力ではどうにもならない
宇宙森羅万象の理ならば、その理を引き受けていく姿勢が賢明ではなかろうか。
ニーチェがアモール・ファティ(運命愛)を語ったのは、そのことであろう。
どうにもならない運命が来る。それも一度ではなく何度も何度も、しかし
それを退けようとしたりするのではなく、能動的に引き受け尚愛してしまえ!
と言った。

人生にはどうしようもないどん底の時を耐え忍ぶ時もある。
それは人間として生きていれば避けられない運命だが、
どん底があるからこそ必ずベクトルが変わる時が訪れるのだ。
止めることなく現実を眺めよう。人生は陰陽の波を渡る冒険なのだ。

「艱難辛苦」
「艱難辛苦」は仏教でよく使われる言葉です。 由来は類語である「艱難」と
「辛苦」で、組み合わせて意味を強調しています。
「艱難」の意味は「非常な困難にあい苦しむこと、そのさま」です。
「艱」は「むずかしい」「なやみ、くるしみ」といった意味を持つ漢字です。
「辛苦」の意味は「辛い目にあって苦しむこと、そのさま」です。

戦国武将山中鹿之助は戦いに臨む前に「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
と気合を入れて戦場へと向かったのです。

山中幸盛(やまなかゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての
山陰地方の武将。尼子氏の家臣。通称は鹿介(しかのすけ)。
巷間では山中鹿介の名でよく知られる。
幼名は甚次郎(じんじろう)。尼子三傑の1人。
優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。
尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。

私も困った時には井戸の底へ落ちるタイプです。
自分の経験ないことに恐怖を持たないようにしています。
たとえ罵詈雑言の砂をかけられても背中で振り払い何度も地上へ駆け上がります。