人間の一生




人間の一生とは「生老病死」の移り変わりです。
「生」とは生まれる先を選べず神に委ねるしかありません。
できるなら幸福な家庭に生まれてきたいと思います。
しかし不幸な家庭に生まれたとしても偉大な学者や成功者は大勢います。

福岡伸一先生提唱のエントロピーの法則では、
なぜ、私たちの体は絶え間なく合成と分解を繰り返さなければ
ならないのでしょうか。シェーンハイマーはその答えを出していません。
その後、「どうして生物が秩序を守り続けていられるか」について考察を
巡らせた物理学者のアーウイン・シュレディンガーも、そこには重要な
秘密があると感じていましたが、それを明確な言葉にはできませんでした。

現在の私たちも明確な言葉をもっていません。ただ、次のようには言えます。
生命現象は、例えば人間なら60~80年は生命の秩序を固体として維持することが
できます。それに対して、宇宙の大原則「エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)」
があります。エントロピーは「乱雑さ」という意味です。

その中で、生命現象は何十年も秩序を維持し続けています。
これは法則の例外でしょうか? いいえ違います。生命現象は、
非常に特殊な方法で「エントロピー増大の法則」と必死で闘っているのです。

ある秩序を維持しようとする場合どうしたらいいか。
工学的な発想に立てば、頑丈にすればいいわけです。
高層マンションは「エントロピー増大の法則」から免れるため、
強力なパイルを地中深く打ち、風雪や風化から守るために腐食しない
セラミックタイルで覆います。しかし、どんな建物も20年ほどすれば、
大規模な修繕を行わないと立ち行かなくなります。

ところが生命は、もちろん徐々に老化はしますが、メンテナンスフリーで長期間
生き長らえます。それは生命が「頑丈につくる」という選択を諦めたからです。
生命現象は最初から「ゆるゆる、やわやわ」につくり、あえて自らを壊し続ける
ことを選択したのです。

全てが生まれ変わると新しい細胞が生まれて古い細胞は排出されるのです。
生まれた時から死に向かって生きていることこそ人生の醍醐味です。

「老い」とは一年一年歳をとります。20代をピークに老いることになります。
20代に社会へ出て仕事を覚えます。30代には会社で地位につき家庭を
持つことになります。40代になると大勢の部下を持ち指導者の立場になります。
50代になると社会へ貢献しなければならないと考えるようになります。
60代になるといよいよ老いを感じて慎重になります。
70代は肉体的には衰えが来ても精神的には円熟みを増して
人生を楽しむことが出来ます。

「病」とは長いようで短い人生の中で一番怖いものです。
今はいつ起こるかわからない不慮の事故も怖いですね。
病気は生まれつきのものと生活習慣から起こるものと二つあります。
生まれつきは致し方ないのですが、それ以外の病気には医療が発達して
長寿が当たり前になり、今や人生100年時代になりました。
私たちは肉体の病気も怖いのですが精神的な病気はもっと怖いです。
アルツハイマーや認知症などになり過去の記憶が失われるのは耐えられません。

「死」とは人生最後の場面ですが、これはもういつになるか
運命に任せるしかありません。
どんなに大成功しても死だけは避ける事が出来ないのです。
多くの偉人たちは異口同音に死と健康を結び合わせて辞世の句としています。
アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブスも
最後に「もっと健康について学んでおけばよかった」と言葉を残しています。

脳科学者中野信子さんの対談の時の言葉をご紹介します。

人間の一生というのは、気づいたら高速道路を走らされている、
そんな状況に似ていると思う。ときどきおそろしくハイスペックな車に
煽られたり、ルールがわからないために馬鹿にされたりして、
もう走りたくないと思っても高速から降りることは絶対に許されず、
出口もわからず、どこまで走るんだろうと思いながらハンドルを握っている。

見よう見まねで交通ルールを覚えるんだけど、それも走っていくうちに
変わってしまったりする。出口を降りるときは、人生が終わるときでも
あります。でも私は、仮に自分が望んだわけではないにせよ、
せっかく走っているのだから、つまりどういうわけだかせっかく生というものを
与えられたのだから、その利益は最大化したいんですよ。
私はすごくケチな人間なので(笑)、
その生の価値を最大化する工夫はしたいと思っているんです。

自己責任という言い方に、なにかネガティブな結果に対してはペナルティを
負わないといけないといったようなニュアンスが含まれるとしたら、
それはちょっと違うかもしれない。後悔したっていいと思うんですよ。
失敗というのは、してはいけないものだからこそ、
それを失敗と言うわけですが、その定義も自分で決めて良いし、
実はとてもフレキシブルなものなんですよね。

例えば、私がなにか失態をおかして仕事を失ったとしたら、周囲からは
失敗だと見られるんでしょうけど、自分はもともと裕福な育ちではないから、
貧乏になったらなったでその生活を楽しむだけだし、
そんなに怖がることではないと思っているんです。

人間の一生と言えばモーパッサンの「女の一生」を思い浮かべる人も多いと思います。
1883年に発表したされた、ギ・ド・モーパッサンの長編『 女の一生』を紹介します。
モーパッサン(1850年〜1893年)は、ノルマンディーで生まれ、
パリで活躍した自然主義の作家です。短編小説が有名ですが、6つの長編小説を
残していて、日本では島崎藤村などが影響を受けたと言われています。
今回紹介する『女の一生』は、ロシアの文豪レフ・トルストイが、
「モーパッサンの著作の中で最高の小説というだけでなく、ユゴーの『レ・ミゼラブル』以降で最高のフランス小説」と絶賛した作品でもあります。
 
この物語の主人公ジャンヌは、12歳から修道院に入り、浮世のことを知らずに育ちました。17歳になり、恋や結婚に憧れを抱いて修道院を出ると、両親の所有している
海辺の街レ・プープルの家に住み始めます。そして間もなくミサで出会った子爵の
ジュリヤンに求婚され、結婚します。憧れの生活に入ったのもつかの間、
ジュリヤンの不倫や身近な人々の死によって、ジャンヌは徐々に人間への嫌悪を増し、
絶望していきます。苦難の人生をたどったジャンヌに、どのような結末が
待ち構えているのか、是非最後まで読んでほしい作品です。

この本を読むと「人の一生」とは中野信子さんが行っている言葉と重なります。
人間の一生というのは、気づいたら高速道路を走らされている、
そんな状況に似ていると思う。ときどきおそろしくハイスペックな車に
煽られたり、ルールがわからないために馬鹿にされたりして、
もう走りたくないと思っても高速から降りることは絶対に許されず、
出口もわからず、どこまで走るんだろうと思いながらハンドルを握っている。

自分で作り出していると勘違いしている人の一生は、運命に抗うことのできない
決められた道路を走り続けているのと同じである。
私も好き放題に自分勝手に生きていたと思っていたのは決められた道路上を
必死に走り過ごしてきただけである。
「生老病死」私に残されているのは最終章の病と死です。

少しは人の役に立ち潔く最期を迎えたいものです。
惜しまれて散りゆく桜に未練なし「恩から始まり恩で終わる」