子どもは全てが未来だ




現代人間科学研究所所長飛岡健先生が放った一言です。
「子供達は未来から来た留学生」なのだ。
その子達を迎い入れるために大人達はより良い環境を作らなければならない。
この素晴らしい地球の大地を使って「農業」を教えなければならない。
そしてテクノロジー社会の構造を「脳業」として学ばさなければならない。
最後はそれぞれの大人達が持っている職能と言われる「能業」を
全員で話し合い伝えなければならない。この三つの「のうぎょう」を
三耕塾として教えて未来へ立ち向かう子供達を育てなければならない。
この時代に急ぎ三耕人を育てていかなければならないと言われています。

子どもたちの未来を考える時にいつもこの詩が思い浮かびます。
坂村真民先生の「あとからくる者のために」という詩です。

「あとからくる者のために」
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ

あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ

あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々(それぞれ)自分で出来る何かをしてゆくのだ

という詩であります。

この詩は真民先生が六十五歳の時に書かれたものですが、
九十二歳の時に「決定詩」として書き改めたものもございます。
六十五歳の時の詩は、自分に向かって書かれていますが、
九十二歳の時の詩は、人々に向かって書かれているところが
大きな違いだというのであります。

「社会の人々への「それぞれが少し我慢をして、少し苦労をして、
自分にできる何かをしてゆこう」という真民の呼びかけがより届く詩に
なっていると思います」というのであります。

では、九十二歳の時の決定詩「あとから来る者のために」を紹介します。

「あとから来る者のために」
あとから来る者のために
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を
川を
海を
きれいにしておくのだ

ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ

私もこれからは、こちらの「決定詩」を使うようにしますし、
皆さまもそのようにお願いします。

西澤真美子さまの手紙には、愛媛新聞のコピーが同封されていました。
「一〇年目の震災後論」という記事で、若松英輔先生が書かれています。
「つながり育てられず 安心して悲しめる社会を」
という題で書かれています。
若松先生は、あの「震災後、しばらくの間、この国には強烈なつながりがあった。
巨大な痛みをみんなで背負い、みんなで何とかしようとした。」
と書かれています。

しかし、新型コロナウイルスという危機に遭遇し、大切なものを
失っているのではないかと指摘されています。
「物事を自分の見たいように見る「都合のいい個人主義」も横行しています。
自分が無事なら社会全体も無事に見えてしまう人。
「今は自分の面倒をみるだけで精いっぱい」と周囲に無関心な人。」
などが見られるようになったというのです。

震災の写真にも見慣れてしまったのか、もう悲惨な情景は見たく
なくなったのでしょうか。
「そうじゃない人もいるけれど、世間の空気は総じて冷たい」と書かれています。

「この一〇年、どこで間違え、何を見落としたのか。静かに考える必要があります。
「五輪をやるんだ」とやみくもに前に出たつもりで、私たちは迷路に入り込んでいる。
本当に未来に進みたいなら、その扉は過去にある」と指摘されています。

あとからあとから続いてくる者たちのために、このままでいいのだろうか、
何ができるのだろうかと。
臨済宗円覚寺「今日の言葉」より

子どもの自信を育てることは大切なことです。でもそのとき同時に教えて
あげないといけないのは「あなたが今そうやっていろいろなことができるのは、
みんなの協力があってこそなんだよ」ということです。

「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という禅語があります。
「自分の足元をきちんと見なさい」という意味です。
何でも自分の力だけでできているわけではない。
まわりにいるみんなのおかげで、
与えられた環境が恵まれているおかげで、今の自分があるんだよ。
うぬぼれたりしてはいけないよ。調子に乗ったりしてはダメなんだよ。
子どもが大きくなる過程で、私もこの禅語は自分の子どもたちに
きちんと伝えていこうと思っています。

私の祖父・松原泰道禅師も100歳のときにこう言っていました。
「メガネをかけても文字が見えなくなることがある。そんなときに
部屋の明かりを強くしてもらうと、また文字がはっきり見えて
読めるようになる。どんなにいい目があっても、
そしてどんなにいいメガネがあっても、
まわりが暗かったら文字は読めないよ。文字を読めるのは、
照らしてくれる明かりがあってこそなのだよ」と。

それと同じことで、人はどんなにすぐれた能力を持っていても、
まわりからサポートしてくれる人間がいなかったら、ひとりで能力を
伸ばしていくことは絶対にできません。
これはいくつになっても言えることですが、
ものごとがうまくいったとき、自分だけで才能を開花させた……
などと思うのは大きな間違いです。私たち大人も気を付たいものですね。

子どもと向き合うときは「正念相続(しょうねんそうぞく)」の心が
大事かもしれません。
正念相続という禅語は、正しい念を続けると書きますね。
「念」という字は「今」の「心」と書きます。つまりこの禅語は
「正しい今の心を持ち続けなさい」
「今目の前にあることで心を充満させなさい」という意味なのです。
和尚の子育て禅語より

そして重要なことはデジタル社会で生まれた子供たちが気軽に使う
SNSで何気なく多くの人を傷つけてしまうことです。
言葉には力があり、愛や勇気を届ける素晴らしいもものでありますが
時には武器となり人を傷つけてしまう恐ろしいものであることを
忘れないで欲しいという事です。「愛語よく回天の力あり」恩学より