社会への属性




アブラハム・マズローの「欲求五段階説」の下から三番目に
「所属の欲求と愛の欲求」がある。
生理的欲求と安全欲求が満たされた場合は次に社会の中における存在である。
地域社会や会社、学校などのコミュニティに所属したい。
友人や家族、恋人との関り受容されたいといった欲求です。

しかし人は集団や組織に個性を潰されると思うのは無理ないことである。
というのも、一人一人が自由闊達に行動したら、必ず摩擦衝突が起こるの。
だから暴力やお金の力を使って人は他者を黙らせることで秩序を保ってきた。
人は皆、違う世界を見て違う物語を生きており、忍耐我慢の結果として
共同体は作られるというのが当たり前だった。

そして今や「忍耐・我慢はしたくないから集団や組織には属さない」
という若者たちが増えたのも確かだ。
しかし人間は一個人になった時にはあまりにも弱い存在となる。
社会が安定しているうちは社会システムが守ってくれているかもしれないが、
完全な社会システムなどお金同様に幻なのだ。そこに実在はない。
故に個人の不安や孤独は増し、社会システムを批判しながら
そのシステムに依存するようになる。

しかしこれから来るAI時代は待ったなし。
そんな捻くれも通用しなくなる。
存在の局所実在はあり得ないことが証明された今、
個人では生きていけないことを知る。
人間を人間らしくするのは、2人以上の集団になった時である。
1人でいる時は何も始まらない。どんな高尚なる思想を得ようが、
どんな悟りを得ようが、1人ならば何の意味も持たない。
それを他者に伝達してはじめて動きとなる。
なぜなら2人以上で「間」が作られるからだ。
人間とは「間」こそ重要で会って、進化発展の登竜門である。

ではここで本題に入る。
集団や組織に個性を潰されない方法はあるのか?
一人一人が自由闊達に行動しても摩擦衝突が起こらないことはあり得るのか?
ある。そのたった一つの道は一人一人が一元を悟り知ることである。
実在するものは心しかないことを「知る」ことである。
そのことを「知った」時、世界を見え方が一変する。
人生の意味価値が変わる。

この世界に「自分」はある。しかし真の自分はこの世界には属していない。
見ても見ていない。聞いても聞いていない。喋っても喋っていない。
生まれても生まれていない。
だから、世界とは誰にとっても自分の個性を爆発させる遊び場となる。
摩擦衝突は起こりっこない。
なぜなら誰もが何をしても何も起こっていないことを「知っている」からだ。

一元を悟り知るコンテンツは完成されている。これは修行で開眼するものではなく、
論理体系的な教育として誰もが悟り知る時代になったのだ。
だから世界ではじめて真の共同体の完成が作られる日も遠くない。

貧しくて能力のない人間が一般的な社会へと馴染むことは容易ではない。
自分のプライドと自分の真意を押し殺してでも虚像の社会へ溶け込むしかない。
いわゆる人気者となり衆人環視の中で実績を残さなければならない。
例えばボクサーやロックシンガーなどは社会に馴染めないがチャンピオンになり
スパースターになれば社会の方からすり寄ってくる。

驚くのは野球の大谷翔平や将棋界の藤井聡太である。
劣悪な環境からではなく恵まれた環境から類いまれない才能が開花されたのである。
野卑な驕りもなく、偉そうにするのでもなく、インタビューでは優等生の回答をする。
大谷翔平は両親の愛情から指導者の教えから素直に学び、その中で将来の夢を
プランとして書き出し、忠実に守り切った。
藤井壮太はAI将棋と戦う内にAIの思考を学び、その裏をかくことを訓練してきた。
現在の将棋中継はAIの予想も入れるので解説者はそれを説明する。
しかし、何度もAIの予想を裏切り藤井聡太は土壇場で逆転勝利をつかみ取る。

古い社会の属性に入り込むより新人類たちは全く違った価値観の
社会の属性を生み出しているのである。
アナログ思考の大人たちの意見よりもデジタル思考のAIに頼る方が満足をする。
子供たちの大好きな鬼滅の刃を残虐だとかグロテスクだとか言う大人は、
彼等の属性には絶対入れないのである。

つまり、以前は愛情や友情などには無関心で見向きもしなかった人でも、
ひとたびこの欲求が頭をもたげれば、孤独であることや仲間外れにされること、
あるいは他者に拒否されることだったり存在価値を見出せる場所がないこと、
頼れる人がいないことなどに非常に苦痛を感じるとマズローは言っているのですね。
これも多くの方が同意できる話なのではないでしょうか。

孤独感や疎外感に悩まされたこと、誰かに否定されたり拒絶されたりして
傷ついたことなどは、誰しもに経験があると思います。
あるいは、表向きはそれを出さないように我慢してはいるものの、心の奥底では
真の信頼関係で結ばれた誰かとの繋がりがないことをずっと苦痛に感じている人も
珍しくありません。
「一人ぼっち」自体が悪いことではありませんが、そのことに恐怖心や不安を
感じやすいのが我々人間です。

つまり、どのような関係性であれ、人との繋がりを求める欲求が
「所属と愛の欲求」であると解釈できるでしょう。
そういった意味では、これは広い意味で「人間関係の欲求」とも言えるかも
しれませんね。
いずれにしろ、これは人間が社会的な生物であるがゆえに他の生物に比べ
特に顕著に求める欲求であると言えそうです。

また、あえてこの欲求を感情と紐づけてみると、「寂しい」「淋しい」という
心情に結びつくものと言えるのではないでしょうか。
そして、このような感情もおそらくほとんどの方が人生で一度は経験した
ことがあるものだと思います。
そういった意味でも、「所属と愛の欲求」とは、これまで生きてきた
どこかのタイミングで、誰しもが一度はつまずいたことのある欲求で
あるとも言えるでしょう。

むしろ、もし一度も「所属と愛の欲求」を切望した経験がないという人は、
それはただ単に自分の中にあるその欲求を見て見ぬふりをしているだけなの
ではないでしょうか。
もちろん、人によってその頻度の差やスパンの長さや強弱の度合いに個人差は
あるにせよ、その欲求と向き合うことを放棄しなければ、人生において必ず
一度は深く関わらざるを得ない欲求が、この「所属と愛の欲求」なのだと思います。

というか、この欲求は長い人生において環境や価値観の変化に伴いどんどん
形を変えるものなので、向き合う回数は一度や二度ではすまないといった方が
正確かもしれません。

仕事かプライベートかは問わず、大切な人や愛しい人との死別・離別や、
お気に入りのコミュニティから離れざるを得なくなったり、大事にしていた
チームやグループ自体が無くなってしまうことは人生において往々にしてあり得る
ことです。むしろ人によっては、物心ついてから今までずっと苦悩し葛藤し続けて
きたのが「所属と愛の欲求」であったという人もいるでしょう。

社会は生き物のように姿かたちを変えていきます。
喜怒哀楽に包まれた人間がデジタルと手を組むようになって無機質な関係に
成ろうとしています。効率を求めるあまりコンピューターに感情を預けて
好きか嫌いかの判断も検索で求めるようならば「所属の欲求・愛の欲求」も
現代版に書き換えなければなりません。

近年マズローはこの欲求の五段階に二つ書き加えています。
それは「認知の欲求」と「審美的欲求」です。
ここに新たな欲求を加えたのにはどのような意図が隠されているのでしょうか?
みなさんで考えてみましょう!


批判と嘲笑




批判を恐れるな やり続けることが大切だ!
嘲笑を甘んじて受け入れろ やり続けることが大切だ!
自分で挫折を引き込むな 乗り越えろ やり続けることが大切だ!

挑戦しても直ぐに諦めると笑われる
しかし何度も失敗しても立ち上がると誰も笑わなくなる
成功者の大半はなんども失敗を繰り返して来た人そのものである。

モンスターペアレントに代表される日本人の勘違い
親の期待に添える子供を作りたい
その為に我が子を特別扱いにする
我が子の競争は勝つことしか頭に無い
我が子の喧嘩は我が子が正しいという前提から入る
学校にも教師にも文句をつけてマウントを取る
いつでも子供の意思は無視されてことが進む
子供は自分が無視されていることが気に入らない

モンスターペアレントの子育ては見栄の世界である
批判されると阻害されていると言う劣等感が芽生え上気を逸する
両親から過保護に育てられた親に多いのはそれの繰り返しである
嘲笑される原因は親が作り勝手な思い込みから劣等感が芽生える
子どもはそれの被害に遭い身動きが自由に取れなくなる

中国人のわがままを批判するけど一人の孫に八人の大人が面倒を見る。
我儘し放題の育てられ方をするので全員がリトル裸の王様になる。
以前、中国の飛行場で到着直後に機体が滑走路を走行しているにも関わらず、
息苦しいからと非常口の扉を開けた中国人の乗客が話題になった。
過去には韓国の航空会社のオーナーの娘がわがままを言い機体をゲートに引き帰らせた。
ことの発端がピーナツだと言うことでピーナツ姫と揶揄された。
ここまで来ると親達の責任は大きい。過保護は百害あって一利なし。

「批判と嘲笑」に耐えられるようになるのは、
やはり正しい知識を身に着けることである。その上に経験が大切である。
他人と比べてのコンプレックスは、自分の欠点を意識すぎるあまり
精神的に脆くなることである。
その孤独の壁を突き破るのは「ひとり」に耐えることである。
誰も助けてくれる人もいない世界へ飛び込んで精神を鍛え直すのである。
基本は「生きる」を知ることである。

私は音楽ビジネス以外の知識を常に求め続けていた。
主に心理学に伴う市場分析である。他国の現状を知ることで、
日本の未来がよく見えるからである。
誰も興味を持たない分野ではライバルも存在しないし、
批判も嘲笑も起こらないからである。

子どもの頃からテストや競技で優劣をつけられことを極端に避けて生きて来た。
貧しいからとか試験の結果で人間のよしあしが採点されるからである。
他人の勝手な思い込みで人間的価値を評価されるのが何よりも腹立たしかった。
その為に数量で決められない「人間力」を高めることに専念してきた。
その為に経験に勝る方法は無いと挑戦し続けた。

コンセプター坂井直樹
なぜ寒い国の人は、背が高いのか?街を歩いていて、ふと思うことがある。
北欧の人は背が高く、がっしりしている。中国でも北京の人たちは高身長が多く、
南の方広東や雲南の人々は小柄で細身が多い。
なぜだろう。植物であれば、日差しと水に恵まれた南のほうがよく育つはずなのに。

人間も同じではないのか?そう思っていた。
だが調べていくうちに、むしろ逆だった。
寒い土地では、身体の熱を逃がさない形が求められる。
つまり、体が大きく、皮膚の表面積が少ないほうが有利なのだ。
これをベルクマンの法則というらしい。

それに対して、暑い国では熱がこもってしまう。
だからこそ、小柄で手足が長い体型のほうが、熱を発散しやすい。
アフリカのマサイ族、東南アジアの漁民、インド南部の細身の人々……。
なるほど、体というのは「気候への返答」だったのか。

そこに、食文化と生活スタイルが重なる。
オランダやスウェーデンでは、古くからチーズや肉を中心とした
高タンパク食が続いている。
北京周辺の黄土高原では、馬に乗り、広大な平野を移動する民族のルーツが
ある一方、華南や日本の南方は、稲作文化と水田作業。屈みながら、
泥に足を取られながら、生きてきた体の記憶がある。
それでも、私たちは均一化しようとする。
伸びたい、痩せたい、同じサイズになりたいと願う。
けれど、本来、私たちの体型には“土地の声”が宿っている。

それを知ることは、単なる体格を超えた、ひとつの「風土との和解」なのかも
しれない。小柄であることも、がっしりしていることも、背の高さも、
骨格の違いも、すべてが「生き延びてきた証」なのだと思う。

「批判と嘲笑」の原稿を書いているときに以前一緒に仕事をした
コンセプター坂井直樹氏の日記的エッセイが気になり掲載した。
勝手に使うなと叱られそうですが読んでみてください。

コンセプターが考える現状と分析、そこに潜む思考の原点、
あらゆる角度から物を見極める達人の芸のなせる業です。
坂井氏は多くの開発商品を手掛け世界的に名を知られた。
しかし、そこに至るまでは何度も失敗をして「批判と嘲笑」を浴びた。
今回この文章を取り上げたのはコンセプターの視線の捉え方を、
知ってもらいたいからである。

因みにコンセプターとは自分の職業欄に記載する時に色々な名前が浮かんだのが、
ある記者からコンセプトプランナーだからコンセプターというのはどうですかと
言われてそれ以来使用しているという。
私が、音楽プロデューサーという名称を始めて使ったのも、
新しい時代の新しい仕事を始めるために言葉の鎧として使ってきた。

坂井氏と同等に並べるのは奥がましいが我々の共通点は好奇心である。
あらゆるものに興味を持ち追求して文章にまとめ上げる。
次の世代へ少しでも助言をして伝われば本望である。
これこそまさに「老人と孫」である。

人生の長さ




あなたに人生の長さを教えてくれた人がいますか?
昔ならお爺さんか親戚のおじさんが家族の系譜を見ながら教えてくれました。
私は6歳の時に家族兄弟と別れ、預けられたお寺の住職から
「泣いても笑ってもわずか70年の人生」と教わりました。
お前はこれから笑って生きるか泣いて生きるのか選びなさいと言われ
「僕は笑って生きていきます」と答えて初めて人生の長さを決めました。

そこからいつも70年を逆算で生きてきた気がします。
逆算の方程式を身に着けると試練が試練でなくなります。
逆境が当たり前で順境は避けるようになります。
何をするにしてもゴールからスタートを見る様になりました。
一般的にスタートからゴールを見ると問題ばかり目につきます。
しかし不思議なことにゴールからスターを見ると何も問題はありません。
麓から頂上見るのと頂上から麓を見るのと同じです。
下から見ると難攻不落な山も上から見ると多くの抜け道のルートが見えるのです。

そして自分の目的を決めて歩き出す時にどこを目指しますか?
スタートからワクワクだけを期待しながら歩き出すとかならず失敗します。
学生時代に故郷を目指して京都から栃木まで歩き出したところ
45kmを超えた時点から足に水膨れの豆ができて歩けなくなりました。
裸足でスニーカーを履き肩掛けのバッグと手にはギターを持っていたのです。
見た目にはカッコ良いのですが思いがけない落とし穴があったのです。
真夏の炎天下で常に頭から水を浴び足にも水をかけて歩いていたところ、
足裏全体が水膨れではれ上がり一歩を踏み出すことが出来なくなりました。
とりあえずその日は街道のガソリンスタンドの裏で野宿をして一泊を過ごしました。

翌朝から名古屋を目指して歩き出したのですが、これほど過酷な旅になるとは
思ってなく自分の計画の甘さに後悔をしました。足を引きずりながら
歩く姿を見てトラックの運転手から「途中まで送るから乗れ」と言われて
人生初めて味わった親切に涙が出るほど嬉しかったことを思い出します。
それからは体力のある時には歩いて限界が来たらヒッチハイクで旅を続け
横浜までどうにか辿り着きました。

早朝疲れ果ててベンチで寝ていたところ見知らぬ女性が弁当とお茶を
差し出してこれ食べなさいと声をかけられました。
その言葉を聞いて今までの疲れと嬉しくて泣きながら弁当を食べた
記憶が今でも鮮やかに思い出します。朝まで働いていたという女性ですが、
ベンチで眠る私を見て疲れ果てて食事もしていないんだろうと
思って近くのコンビニで買ってきたということでした。
親切は理屈でも打算的でもなく感情で行うもので、そこに羞恥心や
躊躇いなど一切なく心の豊かさで行うものだと気づきました。

東京を抜けて埼玉を抜け一気に栃木県小山市まで辿り着きました。
6歳の時に出た町ですから19歳の記憶には朧げにしか分かりませんでした。
勿論、自宅のあった場所も分かりません。商店街と神社と魚屋が家の近くにあった
ことしか思い出せませんでした。ギターを抱えた薄汚れた青年に誰も見向きもしません。私は故郷に足を踏み入れたことで満足でしたので、しばらくブラブラして
京都に帰ろうと思っていたのですが、突然目の前に少女が立ちはだかり
私の顔を見て走り出しました。
あとで分かったのですが私が6歳の時に別れた妹だったのです。
当時彼女は3歳の時ですから兄だという確信が持てなかったのでしょう。
しばらく商店街をブラブラしていたらいきなり腕を掴まれて
「たっちゃんだよね」と生き別れた母親と再会したのです。

人生の長さが分かれば一日も無駄にできません。明日が来る約束は
誰もしてくれません。自分に悔いのない生き方をしなければ勿体無いと
思いませんか。6歳の時から一人で笑って生きる決心をしたから
何も怖いものが無くなったのです。自分を守っている人は失うことに
恐れを持っている人です。何もなければ目の前の景色をしっかりと
見ることができるのです。

人生を80年として考えた場合、27年間が睡眠・10年間が食事・5年間がトイレ、
残り38年間が仕事と個人の時間。仕事は1日8時間×5日間(週間で40時間)
22歳から働き65歳の定年で43年間、ここに大切な個人の時間が加わると
あっという間の80年の人生です。

私は私の人生を誰から指示されることもなく一人で歩いてきたのです。
流石に、小学校・中学校・高校までは引き取ってくれた親父に頼らなければ
無理でしたが、大学からはバイトをしながら自立して生きてきました。
大学を中退して英国へ渡ったのも帰国後に一流会社に就職したのも、
学生時代の彼女と結婚したのも全部自分ひとりで決めて歩んできました。

その後40歳を過ぎてサラリーマンを辞めて独立をしたのです。
無我夢中で10年間頑張ったのですが私の判断ミスで契約が切られ倒産をしました。
自己破産して家族とも別れて行き場を失い路頭に迷ったのもつかのま
次の就職先が決まりシステム会社へ入社して新しい人生を歩みました。
そのシステム会社の出資で韓国に映画の配給会社を立ち上げて韓流映画ブームの
先駆けとして日本へ紹介したのです。
それと同時に中国の音楽会社からデモテープが届き北京まで新人に会いに行き、
出会ったのが女子十二楽坊でした。私はプロデューサーとして参加して
世界的大ヒットを作ることが出来たのです。

私は人生に追い詰められると自然に次のチャンスに恵まれます。
子どもの時から自分で判断してすぐに行動をすることを、
モットーとしていたので何も怖いものはありません。「感即動」です。
勿論私だけの力ではなくいつも誠実に対応すると応援者が現れてくるのです。

紆余曲折アップダウンの激しい人生でしたが判断ミスの後悔は一度もありません。
自分の決めたことは良くも悪くも全部自分の責任であると思っています。
私は2011年3月11日東日本大震災から生き方が変わりました。
自分の理想の為に生きるのではなく少しでも困っている人たちに
自分をサンプルとして多くの方々に勇気を与えることが出来ればと
ブログ「恩学」を開始しました。
セミナーや講演会にもゲストスピーカーとしても数多く参加しました。

自分には財産も無いのですが積極的に寄付活動とボランティア活動に
参加して子供たちからお年寄りまで幅広く相談に乗ることにしたのです。
いまでもビジネス上の色々な大型案件が届きますが、残り少ない人生を
ただのプロデューサーとしての役割で時間を使うことはしないことにしています。

昨年から今年にかけて毎朝投稿を開始した、「一日一枚・一日一言」
四文字熟語でひもとく日本語の勉強です。
温故知新、時代に応じた言葉の意味の変化を私の経験から教えていく塾も始めました。
子供たちとの対話集会も「たつじいと孫たち」で始めています。
老齢期になり残り少ない人生の長さを無駄なく過ごしたいと思います。
皆さまとは勉強会で再会できることを願っています。


叶う夢叶わない夢




私もセミナーや講演でこの質問を度々受けます。
「スターはどうしたら生まれるのですか?」
「ヒットするのはどうしたら作れるのですか?」
その答えは「ウサギと亀」の話の中にあります。
と応える。この物語の中の二つのキーワードがとても重要です。

「かなう夢とかなわぬ夢の違い」というお話です。
夢をかなえる人と、夢がかなわない人の違いとは、
一体何なのでしょうか?

斎藤一人さんの著書に【かなう夢とかなわぬ夢の違い】というお話があります。
「こういう夢があります」
「ああいったことを実現したい」など、夢を語る人は多いものです。
でも、「この人の夢は、絶対にかなわないな」と私が思うものがあります。
それは、人様の役に立たない夢。誰からも感謝されない夢です。
夢というのは、人から「ありがとう」と言われるとか、神様の役に立つとかいった、
自分以外の誰かに役立つものでなくてはならないのです。
自分勝手な目標は、夢などとはいいません。

他人が視野になくて、「こうなりたい」「ああなりたい」というのは、
単なる願望というか、野心です。 そんな目標には誰も協力しない。
うまくいっても、途中ですっころんで、落ちる。人様のことを考えない夢なんて、
うまくいきっこありません。 そんな夢、自分はうれしいかもしれないけれど、
誰が「ありがとう」と言うの?大きい仕事になればなるほど、「ありがとう」と
大勢から言われなかったら成功できません。

今、さまざまな法律があるけれど、その法律の間を縫ってお金を儲けようと、
いろんな手段を考える人がいます。
そういう人は、「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」
という言葉を知っているのでしょうか。 天の網は粗く見えても、一人も逃さない。
それと同じように、自分だけの身勝手な願い事などは通らないのです。
(「普通はつらいよ」斎藤一人 著 / マキノ出版より)

「なるほどなと感心しました。」

「他人が夢をかなえるのを手伝いなさい。
そうすれば、あなた自身の夢もかなうでしょう」
そう言ったのは、アメリカの作家であり講演家のレス・ブラウン氏です。
自分だけじゃなく、人が喜ぶ夢が叶いやすい。
しかも、喜ぶ人が多ければ多いほどに・・・。
そしてもし今、あなたに夢がないのなら、とってもいい方法があるよ。
自分の夢をかなえようと必死になるのもいいけれど、
もしまだ夢が見つからないのなら、人の夢を応援してみたらいい。
僕の大好きな【祈りの手】というお話があります。

いまから500年ほど前、ドイツのニュルンベルグの町に 「デューラー」と
「ハンス」という若者がいました。 2人とも子沢山の貧しい家に生まれ、
小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。
2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、
毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。
思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、
絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、
働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。

ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。
「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。
でも、僕にいい考えがある。2人が一緒に勉強はできないので、
1人ずつ交代で勉強しよう。
1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。
そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強できるから、
もう1人は働いてそれを助けるのだ」 どちらが先に勉強するのか、
2人は譲り合いました。

「デューラー、君が先に勉強してほしい。
君の方が僕より絵がうまいから、きっと早く勉強が済むと思う」
ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。
ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。
デューラーは「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」 と
ハンスのことを思い、 寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。
一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで重いハンマーを振り上げ、
今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。

1年、2年と年月は過ぎていきましたが デューラーの勉強は終わりません。
勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。
ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」との手紙を書き、
デューラーにお金を送り続けました。数年後ようやくデューラーは
ベネチアでも高い評判を受けるようになったので、 故郷に戻ることにしました。

デューラーは「よし今度はハンスの番だ」と急いでニュルンベルクの町へ帰りました。

2人は再会を手を取り合って喜びました。
ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。
そして、泣きました。 なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、
絵筆がもてない手に変わってしまっていたのでした。
「僕のためにこんな手になってしまって」と言って
デューラーはただ頭を垂れるばかりでした。

自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。
彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。
その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、
「何か僕に出来ることはないだろうか」 「少しでも彼に償いをしたい」
という気持ちになり、もう一度、ハンスの家を訪ねました。
ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。
でも、確かに人がいる気配がします。 小さな声も部屋の中から聞こえきます。
デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。

するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。
ハンスは歪んでしまった手を合わせ、 一心に祈っていたのです。
「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。 自分を責めています。
神さま、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。
そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。
あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」

デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。
デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていたハンスが、
妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーのことを一生懸命
祈ってくれていたのです。
ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、 祈りが終わった後、
彼に懇願しました。「お願いだ。君の手を描かせてくれ。
君のこの手で僕は生かされたんだ。君のこの手の祈りで 僕は生かされているんだ!」
こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった 「祈りの手」が生まれました。

ドイツの画家、版画家である“アルブレヒト・デューラー”氏の描いた
「祈りの手」のエピソードです。 夢を叶える人、喜ばれる人になっていきたいですね。
※魂が震える話より

私は本も沢山読みますが人の話を聞くのが一番好きです。
作家が書いた文章を翻訳者が日本語にする。
その翻訳者の感情が入らないように直訳の文章を読む。
それを読み手が自分の解釈で理解する。
語り手は自分の経験と知識と自分の感情の調味料を加えて感動的に読み上げる。
「おいそこはおかしいぞ」と思っても物語は立体的な方が伝わりやすい。
良い話を観たり聞いたりしたら必ず誰かに伝えてください。
「スターになる人」はそんな応援者に恵まれている人です。

「ウサギと亀」に出て来た二つのキーワード「目標と目的」
目標は個人の目指す位置です。ライバルを意識した感覚です。
目的は夢が叶った時に社会貢献が出来るかの位置です。
ヒットを喜ぶのではなく沢山の人が聞いてくれたことを喜ぶのです。
それが夢を叶える最大の秘訣です。


日本語表記




老人と孫2004年12月12日(木)
中澤弘幸&窪塚陽介編「備忘録」

中澤談
日本の昔話
昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
西洋ではお父さんもお母さんも出てくるが何故日本では出てこない?
日本の考えでは一世代前が子供たちの面倒を見るのが一番良い。
西洋では親が子供の面倒を見るのが当たり前の文化。

そして日本ではその昔は神社やお寺の庭が子供達の遊び場だった。
自然に神や仏に触れ合う事ができたので正しいと言う事が理解できていた。
西洋では聖書で学び人間を形成していくのが正しいとされる。
性悪説では生まれた子供は悪を抱えており正さなければ罪人になる。
性善説では生まれた子供は天使のように純真であるとされている。

老人という言葉は歳をとった人という意味ではなく、人生を悟った人を称して
使われるのが正しい。中国では老師と言えば尊敬される人を敬う為の言葉で
使われる。簡単には老人にはなれないのである。

正直者のこうべに神宿る
正しい人の頭の中には神様が宿っていると言われて来た。
これは褒め言葉ではなく正直に生きていけという意味を持つ

お天道様が見ているよ!
何か悪い事をして秘密にしてもお天道様が見ているからねと親から言われた。
他人を騙せても自分は騙せないからね。

世界広しといえど言語の表記が五つあるのは日本だけである。
漢字、カタカナ、平仮名、数字、アルファベット
今ではこれに絵文字が加わって六表記になっている。
その上に音読みと訓読みがある。表現の国である。
右から左から、上から下へと書き順があるのも珍しい。
それを義務教育の期間九年間でマスターする。
その為に高校では何も学ぶ事がなく受験のための勉強になる。

親という字は木の上に立って見ると書く。
親は不安定な状態で子供のいく末を見ている。
親切はその親を切る(離れる)子供の心なのである。
親子はライバルになる。

平等は無い、平和も無い、仲良くも無い、お花畑は存在しない。
現実を見て前に突き進むしか無いのである。
現実は目の前にある世界を言うのだ。

窪塚談
浦島太郎の続きはかぐや姫である。
竜宮城お姫様が浦島太郎を追いかけて地上に来た時に
大好きな太郎はお爺さんになっていたので、
それではと竹の中から孫として現れたのがかぐや姫であった。
そして最後には空から迎えが来て宇宙に帰っていった。
これには深い意味がある。国産みの伝説です。

中澤談
安心と安全の矛盾は情緒と理論は別々のものである。
都知事の小池百合子が言い出した。みんな言葉の響きに騙されている。
安心はそれぞれ精神的な受け取り方が違うし、安全は構造上の問題で
橋やビルや道路が整備されている事を言う。

窪塚談
公平と平等の違い
三人の男がいて背の高い人の間に低い人が混じっている場合、
低い人に台座を置いて三人一緒の高さにする事を公平と言い
三人一緒に一台の台座を置いてバラバラの高さにすることは平等である。
「平等」と「公平」。この言葉について、皆さんは違いを説明できますか?
同じようだと思う方が多いでしょうが、平等は「偏り・差別がなくそれぞれの特性や
能力を全く考慮しないこと」、公平は「特性や能力を考慮した上で同等に扱うこと」で、

意味が異なります。

中澤談
差別と区別は人間生まれた時から差別はある。均一では無い。
先に生まれて長男・長女と言われて家督相続者になる。
同じ家に生まれても二番目以降は待遇が変わる。
それぞれが区別されて生きていかなければならない。
小学校のクラス分けは区別である。そこから出来ること出来ない子を差別する。

お年寄りと好きになる方法はありますか?
無理に嫌いな人を好きになることはない。嫌いな人には近づかず、
好きな人とは親しくなりなさい。
しかし、嫌いな人は色々な意味で気づきを与えてくれる。
保育園や孤児院の先生は子供好きな良い人ばかり、
本当はこれではいけない、子供嫌いな人、意地悪な人も入れていた方が
保育児には良いのだ。現実の社会を教えるべきである。

このほかにもたくさんのお話がありました。
2人の軽妙なトークに惜しみない拍手が鳴り響きました。

私も「老人と孫」の主要メンバーとして活動をしています。
普段は円座になり対話を中心に参加者と話し合いをします。
参加者は多い時には70人を超す場合もあります。

今回は「老人と孫」の初の試みとして俳優の窪塚洋介を迎えて中澤先代との
討論会を開催しました。100人を超す大盛況で今後もっと発展が期待される
会となる事が予想されます。

何よりもこの会は老人たちが面白い!
中澤弘幸:文化人(黄檗売茶流先代家元)
稲葉瀧文:音楽&ビジネスプロデューサー(恩学塾主宰)
今野絢:アーティスト(世界的著名な画家)
田畑瑞穂:スパーサラリーマン(環境エネルギー&美と健康)
田辺鶴英:女性講談師(介護講談・音楽講談)

政財界や大学で活躍した老人たちも参加希望の依頼あり。
これからもアッと驚く老人たちが皆様の前に現れます。
乞うご期待ください。





この時代に生きる




あまりにも時代にあった名文なのでそのまま掲載をします。
SNS上に投稿されていたので原文をそのまま使いますが、
敬意を表した上での行為で、さらに営利目的でも無いので、

クレームは出ないと思いますが、

何かあった場合にはすぐに削除します。
このブログをご覧になるみなさまにはご理解いただけると思います。

「この時代に生きる私たちの矛盾」

ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり

お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり

より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか
憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができる
この唯一の宝物には 
1円もかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し話し
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

アメリカのコメディアン「ジョージ・カーリン」が、
彼の最愛の妻が亡くなったときに、
ボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用し、
友人に送ったメールの一部抜粋だそうです。


漱石と書




成功のための3つのキーワード
①誰も見ていない方へ目を向けろ(たとえ九十九人が向こう岸で騒いでいても)<道理>
➁自分が本当に好きか判断しろ(アイデアが浮かぶか)<愛出合う>
③これは時代が求めているのか(三方よしが成り立つか)<市場>

経営者の勉強会で必ず聞く質問があります。
「会社を大きくして何をしなければならないか?」
多くの経営者はステークホルダーの為に会社はあるのだという。
だから客を騙して、税金逃れをして、株価を上げて会社を売り払う。
大手企業も似たり寄ったりだから恐ろしい!日本の未来は暗い!
経営の基本は「国に税金を納め社会を良くする」ことが目的だ!

「プロデューサーの信念!」
1974年日本で初めての音楽プロデューサーを名乗る。
プロデューサーはアーティストの面倒見てくれる人ではなく
アーティストと一緒に夢を見てくれる人。
そして一緒に頂上へ登ってくれる人。
基本は良き音楽を作り社会を明るく照らすことだ!

忘れてならないのは吉田松陰のこの言葉
夢なきものに理想なし
理想なきものに計画なし
計画なきものに実行なし
実行なきものに成功なし
ゆえに夢なきものに成功なし
常に理想を描き情熱を絶やさない人になれ

「ちょうだいの人」
致知出版編集長藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
夏目漱石(そうせき)の書は何とも言えない気品があって、誰もが欲しがった。
漱石門下の某氏もその一人で、かねがね何度か所望(しょもう)したが、
一向に書いてくれない。

ある時、夏目邸の書斎で某氏はついに口を切った。
「前から何度もお願いしているのに、どうして僕には書いてくださらないんですか。
雑誌社の瀧田(たきた)にはあんなにお書きになっているのだから、
僕にも一枚や二枚は頂戴(ちょうだい)できそうなもんですな」

漱石は静かに言ったという。
「瀧田君は書いてくれと言うとすぐに毛氈(もうせん)を敷いて、
一所懸命に墨をすり出す。紙もちゃんと用意している。
都合が悪くていまは書けないというと、不満らしい顔も見せずに帰っていく。
そして次にやってくると、都合が良ければお願いします、
とまた墨をすり出すんだ。
これじゃいかに不精なわしでも書かずにいられないではないか。

ところが、きみはどうだ。
ただの一度も墨をすったことがあるかね。
色紙一枚持ってきたことがないじゃないか。
懐手(ふところで)をしてただ書けという。
それじゃわしが書く気にならんのも無理はなかろう」
◇『小さな人生論 5』致知出版

自分では何の努力もしないのに、「ちょうだい、ちょうだい」と、
何かをせがむ人がいる。
例えば、親が亡くなるまで、音信不通で介護もしなかったのに、
亡くなっていざ相続の話になると、
我先にやってきて権利を主張するような人。

自らの損得や利害に敏感な人、つまり自己中心的な人だ。
「ちょうだいの人」は、何かを得られなければ、ふて腐れたり、
逆恨みしたり、まわりのせいにしたりする。
人と比較し、少しでも自分に不利が生じれば文句をいう。

努力なしの、棚ぼた式の「ちょうだい」は見苦しい。
自らの損得を考える前に、人の利や得を考える人でありたい。

「豊かな国では不幸なニュースが多く、貧しい国では幸せなニュースが多い」
これが国家権力と政府に癒着したメディアのやることである。
上級政治家は自分たちの利益を隠し国民を騙して税金を吊り上げる。
そして不幸なニュースを流し続けて虚偽の幸福感を植え付ける。
国が借金だらけだからこのままでは国が破産してしまうと国民に脅しをかける。
これに逆らうと企業に国税庁の査察が頻繁に入り仕事の妨害をする。
国民は税金が上がり物価が上がって身動きがとれなくなる。
挙句の果ては戦争の映像を頻繁に流して気休めの幸福を演出する。

それでは何故「貧しい国では幸せなニュースが多いのか?」
それは国民の不満が爆発しないように楽しいニュースだけを選び電波に乗せる。
単に金持ちの暮らしを憧れるのではなく、貧しい暮らしでも人間らしく
生きることを強調して自然界の動物たちと共存共栄の暮らしを映像で流す。
その上にあらゆる宗教で国民に耐えるだけの幸福感を洗脳していく。
その為に世界で起こる現実のニュースは流さずに自国の発展のみの話題にする。

「新しい幸福感」
「ちょうだい」の時代は終わりで、「あげるよ!」の時代が来る。
自由主義とか自由経済とか自由謳歌で頑張れば誰でも金持ちになれると
信じて一億一心で経済発展が遂げられた。自分達の欲しい物は次々に買いこんだが
ローンという鎖につながれて一生奴隷の生活に入る。
そして気がつけば年を取り余生を楽しむ為に貯金していたお金が治療費と介護費に回る。
マズローの「欲求の五段階」の最後には「自己実現の欲求」と書かれている。
日本人が一番苦手な社会奉仕への貢献「あげるよ」を、次世代の子供たちへ
美術館や博物館、各種施設で残していくべきである。

「漱石と書」に書かれているように何もしないで
「ちょうだい」を待つ時代ではない。
常に人生計画を立てて必要なものと不必要なものを書きだして準備をしておき、
自分達の現実に添った欲しいものを手に入れるために過ごすべきである。
目標のターゲットに絞っただけの知識と情報を取り入れて
自分なりの「あげるよ」の道を歩めばよいのである。
人生とは苦手な道にこそ思いがけない幸福が待っているものである。

そして老人たちよ!自分たちの経験と判断を孫世代に引き継ぐべきである。
それはあくまでも強制ではなく任意で行わなければならない。
孫たちが聞きたい事柄のみに答えるべきである。
過去のテクニック論ではなく未来に向かう方法論である。
孫たちに答えは不要だ!やる気意を起こさせて背中を押すだけで良い。

良い教師とは「教えない、仕切らない、纏めない」ことを守り
個人の自立を促すだけで良い。
老人たちよ!死ぬまで社会にお返しをしていくのだ。
私は個人的にも「老人と孫」の対話集会をやり続けることを決心した。


日本と宗教




子どもの頃に浄土真宗系のお寺に一時預けられました。
将来は龍谷大学へ入り寺を継げとまで言われたのですが断りました。
その後父親から中学の時に強制的に創価学会に入信させられ、
何故か立正佼成会の会合にも連れていかれ訳が分からなかった。
当時多くの庶民が不安を取り除くために何らかの宗教団体に属していた時代です。
しかし赦せないのは幸福を名目に貧しい人から浄財を搾り取る新興宗教です。
創価学会も統一教会も集金の為の強欲団体でした。

また大学の時に歌の関係で知り合った友人が天理教の偉い人の子供でした。
奈良の教会へ行くと信者たちが全員一礼をして出迎えてくれるほどでした。
彼が奈良でフォークソングの団体を作りたいので援助するから、主宰者に
なってくれと頼まれ「奈良パークジュビリー」という名称で立ち上げました。
あの頃、京都には加藤和彦がいて、大阪には高石友也がいて、
神戸には谷村新司がいました。学生フォークソング全盛の時代でした。
奈良パークジュビリー第一回目のコンサートに杉田二郎が駆けつけてくれて、
「戦争を知らない子供達」を歌ってくれました。
わたしもユニットを組んで「ひとりぽっち」というグループで参加しました。

余談ですが、イギリスで有名なデザイナーから薦められてキリスト教の洗礼も
受けました。節操が無いと言えば、それまでなのですが基本的に
どの宗派も抵抗感が無く受け入れます。勿論それぞれの宗派の教義に違いがありますが、
それで幸福感を得られのであれば有難いことです。

子どもの頃は家の近くの神社が唯一の遊び場でした。神社へ行けば誰かが必ず
遊び相手をしてくれるからです。昔からお寺の庭や神社の庭は子供たちの
地域のコミュニケーションの場として解放されていました。
子供心に自然界の全てに神様は存在している、わたしたちは八百万の神々さまに
守られていると教えられました。周りにいる見知らぬ老人たちも温かな微笑みを
かけてくれるので子供たちは安心して暗くなるまで遊んでいたのです。

海外で仕事をしていると現地の人から「あなたの宗教はなんですか?」と
聞かれる事が多くありました。それと「文化・芸術は何が好きですか?」です。
この質問に多くの日本人は「私は無宗教です」「私は文化芸術には興味がありません」
と応えるのです。そうすると欧米人はこの野蛮人とは仕事以外では付き合えないと
判断するのです。それは、宗教から善悪マナーを学ぶからです。
そして芸術文化に関心がある人は貴族と同じクラスで尊敬されていました。
これを知らずに「私は無宗教で芸術文化には興味がない」と発言すると
野蛮人とみなされるわけです。今でも日本国内で日本人にこの質問をすると
同じ答えが返ってくるのではないでしょうか。

医師長岡美妃の投稿より
なぜ日本はここまで宗教を毛嫌いするようになったのか?
少しでも精神的なことを話しただけで「それ、宗教?」と言って眉を顰める。
まるで目の敵にするかの如く、とてつもなく危険なものの如く、、、
そう言う人たちは「宗教とは何か?」を知っているのだろうか。
ただ「精神的なもの=宗教」という短絡的な結びつきしかしていないのでは
ないかと思えてならない。

上杉謙信、武田信玄、伊達政宗・・・彼らの生き様を追っていると、
日本は精神を何よりも重んじた国だったことがわかる。
目に見えない世界と共に生き、目に見えない世界に支えられ、
それ故生死などをゆうに超えてしまう。物質的なものに執着することを恥とし、
何よりも目に見えない義というものを大切にした。
己の中に神を観、敵の中にも神を観る。もはや物質などないも同然だった。。。
そんな国がなぜこんなにも精神的なものに対して臆病になってしまったのだろうか?

そこには2つの理由が考えられる。一つは人類の集団トラウマ。
第一次二次世界大戦を通して「絶対的真理」を怖がるようになった。
ファシズムが台頭した時代、一人の絶対者に付き従い痛い目にあった経験を持つ。
日本も然り。もう一つはGHQによって発令された神道指令。
国家神道こそが軍国主義・超国家主義思想の源泉だと刷り込まれた。
その時日本は自らの精神性を断ち切り「神道は邪教だ」と変換し、
更に「精神世界=危険思想」にすり替えていった。
世界広しと言えど、日本ほど宗教を毛嫌いする国はない。

しかしこれからの精神文明は、物質やエネルギーは泡であり精神のみが
実在であることを受け入れなければならない。
これだけのトラウマを抱えた人類が特に日本がどのように受け入れていくのか。
現代人の大半はこれだけの情報の海に浴しているため、信仰という盲目的に信じる
無邪気さは霞の如くだ。神、アラー、ブラフマン、空、天、、、
それらに依存させることはもはや出来ない。
ならば宗教を超える知が必要となるであろう。
「不立文字」と言って逃げずに、「語り得ぬものゆえ語るな」と諦めずに、
人間の持つ最上位概念である「有」を突破させる道がある。
その道に信仰は必要ない、疑っても疑っても疑いきれない確固不動な知によって
人間の認識が変わるのだ。

日本が宗教をこれだけ毛嫌いすることは先の2つの理由で理解できる。
しかし、確固不動な知を全人類に伝えようとするNoh Jesu氏はまた別の解析をする。
「日本は真理の魂だから中途半端は受け入れない。日本が100%この道だ!
と思えた時、日本は真の日本に戻る。強く美しい日本に立ち返る。
その時をじっと待っているんだよ。」と。

なるほど、日本の宗教嫌いはそんなところから来ているのかと、
日本人の私が負っている日本のトラウマが癒やされていくのを感じた。

今回の参議院選挙で政局がガラリと変わった。与党である自民党と公明党が大幅に
議席を減らし野党が躍進した。あまりにもやりたい放題の自民党に国民の怒りの
答えが今回の投票で現れたのである。それでは野党の各政党が正しいこと言って
いるのかというと若干疑問が残る。しかし溺れた時に浮き輪を選ばないと同じで
国民はとりあえず無我夢中で浮き輪を掴んだのである。

アメリカの人類学者のルース・ベネディクトが書いた「菊と刀」。
英国人の言語学者バジル・ホール・チェンバレンが書いた「日本事物誌」
この二人の書いた本は全世界で発売されて日本人研究の資料として重宝がられた。
私達は「徒然草」「日本書紀」「国学」などで日本を学んできたが、戦後GHQから
多くの貴重な書物が禁書とされたために日本の歴史と地理と修身が消されてしまった。
この占領地政策が今でも続いていてアメリカへ行くと日本は属国扱いされている。

私達が本当に守らなければならないのは美しいお寺や神社じゃない。
世界の中の日本という地理的位置と歴史に中に潜んでいる真実と
世界がとくにアメリカが一番恐れている「大和魂」である。
国を守るために10代から20代の若者たちが帰りの燃料を入れずに
ゼロ戦で飛び立ち敵国の戦艦に体当たりをする「大和魂」である。

なぜ日本人が宗教嫌いになったのかはアメリカから精神性を
塗り替えられたからである。
でも本来の日本人は決して宗教嫌いではない。
お正月にはお寺にお参りをして、七五三では神社に行って、富士山詣でに行き、
伊勢神宮や出雲大社へもお参りをして、奈良の大仏へも観光で行く。
多くお寺社仏閣と離れられない関係性があるからです。

どんなに西洋かぶれをしても農耕民族としてのDNAは変わらないのである。
祈りをして種を播き、苗を植え、祈りをして収穫をする、農産物の取れ高、
魚介類の豊漁に感謝して秋には盛大に神々に感謝して村祭りが行われる。
その中から能楽の歴史が歌舞伎の誕生が茶の嗜みから世界に誇る絵画が生まれ、
芸術文化が嫌いな民族でないことは証明されている。
これからは堂々と「宗教はあります」「芸術文化は大好きです」と応えてください。
これが日本人の誇りです。


絶望の先から光が見える




「五里霧中」という言葉がある。
五里のあいだにわたって
立ち込める霧
状況がつかめず
まわりが一切
見えない状態
先の見通しが立たず
困惑している様子
追い詰められて
逃げ出す場が無い
戦争で、病気で、貧困で
いわれなき迫害で
弱き民が
小動物たちが
絶望の先へ
追いやられる
微かな光を頼りに
五里霧中の中から
活路を見出すために
悩み苦しむが
その先は
きっと霧が晴れると
願いたい
「一日一言」より

「井戸に落ちたロバ」
ある農夫のロバが、枯れ井戸に落っこちた。
ロバが哀れな声で鳴き続ける間、農夫はどうしたら良いか考えをめぐらせた。
結論はこうだ。
ロバはもうかなりの歳で、この井戸はいずれ埋めなければならない井戸だ。
ロバを引っ張り上げることに、意味はない。

農夫は近所の人々全員を呼び集め、手伝いを頼んだ。
人々はショベルを手に取り、土を井戸に放り込み始めた。
初めの頃は、ロバは何が起こっているのか気付いているようで、
ひどく鳴いていた。
ところがその後 …皆が皆驚いたが… ロバは静かになった。

その後、何杯か土を放り込んでから、農夫は井戸の中を覗いてみた。
すると、驚愕(きょうがく)の光景がそこにあった。
ショベルで落とされた土がロバの背中に当たる度に
ロバは体を震わせて土を落とし
踏み固めて登っていたのである。

農夫の隣人達がショベルで土をかける度に、
ロバは土を振り落としてまた登る。
そのうちにロバはついに井戸の縁にまで達し、
嬉しそうに地面に駆け降りたのだった!

教訓:
人生はあなたの上から土を落としてくる。
土の種類は様々だ。
井戸から脱出するためには、土を振りはらい、踏み固めて登るのだ。
全てのトラブルは、踏み台であると考えよう。
休まず、あきらめなければ、どんなに深い井戸からでも脱出できる!
振りはらって登るのだ。

幸せになるための5つのルールを覚えておこう。
1. あなたの心を、憎しみから解放してあげよう。敵を許すのだ。
2. あなたの心を、不安から解放してあげよう。不安な事の大半は、
実際には起こりはしない。
3. シンプルに生きよう。そして、あなたが持っているものに感謝しよう。
4. 自分からいくらでも与えよう。
5. 人々に期待を寄せるのを控えめにしよう。
その代わり、神様にもっと期待しよう。
私たち全ての者に、神の恵みがありますように。
By: Hormuzd J Dadinath

「陰極まれば陽に転ずるまた逆も然り」

これが相対世界の真実である。
動きでしかない世界は一瞬たりとも止まることはない。
しかし脳は、部分だけを切り取って見るために事事物物に
意味価値を添えてしまう。
成功者を見ればその栄光の姿だけを切り取り、
失敗者を見ればその敗北の姿だけを切り取り、
あーだ・こーだと意味価値を添えていく。
その見方は自分自身にも向かい、過去の失敗をクヨクヨと嘆き続けるという
勿体無い時間を過ごす。

それ故、よくよく思惟を深めていくことが必要なのだ。
なぜなら、人間は放っておけば脳の癖にハマるからだ。
陰極まれば陽に転ずる、また逆も然り、それは個の力ではどうにもならない
宇宙森羅万象の理ならば、その理を引き受けていく姿勢が賢明ではなかろうか。
ニーチェがアモール・ファティ(運命愛)を語ったのは、そのことであろう。
どうにもならない運命が来る。それも一度ではなく何度も何度も、しかし
それを退けようとしたりするのではなく、能動的に引き受け尚愛してしまえ!
と言った。

人生にはどうしようもないどん底の時を耐え忍ぶ時もある。
それは人間として生きていれば避けられない運命だが、
どん底があるからこそ必ずベクトルが変わる時が訪れるのだ。
止めることなく現実を眺めよう。人生は陰陽の波を渡る冒険なのだ。

「艱難辛苦」
「艱難辛苦」は仏教でよく使われる言葉です。 由来は類語である「艱難」と
「辛苦」で、組み合わせて意味を強調しています。
「艱難」の意味は「非常な困難にあい苦しむこと、そのさま」です。
「艱」は「むずかしい」「なやみ、くるしみ」といった意味を持つ漢字です。
「辛苦」の意味は「辛い目にあって苦しむこと、そのさま」です。

戦国武将山中鹿之助は戦いに臨む前に「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
と気合を入れて戦場へと向かったのです。

山中幸盛(やまなかゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての
山陰地方の武将。尼子氏の家臣。通称は鹿介(しかのすけ)。
巷間では山中鹿介の名でよく知られる。
幼名は甚次郎(じんじろう)。尼子三傑の1人。
優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。
尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。

私も困った時には井戸の底へ落ちるタイプです。
自分の経験ないことに恐怖を持たないようにしています。
たとえ罵詈雑言の砂をかけられても背中で振り払い何度も地上へ駆け上がります。


世界がもし100人の村だったら




言葉の勉強会を開催しています。
音楽プロデューサーが考える言葉の使い方。
学術的に攻めるのではなく感性で攻める方法を教えています。
現代人は余分な情報と知識で余分な言葉を使いすぎています。

「もしあなたが毎日100の言葉しか使えなかったら」
家族や友人との会話から始まり、ご近所の人との挨拶、
学校や仕事場で無駄話をすると、夜には言葉が10こぐらい
しか残っていません。

その時に突然電話が鳴り大好きなおばあちゃんの危篤の知らせが
届き病院で最後の言葉を交わします。
しかし残された言葉を見るともう3つしか残っていません。
「大好きだよ」「愛しているよ」「さよなら」で終わってしまいました。
その時に朝から夕方まで言葉を無駄に使っていたことを反省しても遅いのです。

これは人間関係にも当てはまります。
「世界がもし100人の村だったら」
もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。

その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です 
70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません

50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、
相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、
そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは
火をみるよりあきらかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと
感じることができたなら・・・
あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。

もし、あなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの
悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・
あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または
死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・
あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、
寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った
入れ物があるなら・・・
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の
祝福をうけるでしょう。
なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、
その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々より
ずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。
わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。

かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

もし人生が80歳で終わるなら時間をどう使いますか?
27年間が睡眠にとられます。10年間が食事に使います。
5年間がトイレの時間です。
残り38年間で仕事とプライベートで使える時間です。
学業に励んだ16年間22歳で就職をします。30代で結婚する。
家族が出来る。毎日残された時間を日めくりでカレンダーにして
計算すると、あっという間に80年の人生が終わってしまうのです。

万が一不慮の事故に遭ったり、突然病気に成ったり、足が動かなくなったり、
認知症になったり、寝たきりになる場合もあるのです。
食事も気にせずに、夜も寝ないで、仕事ばかりで世界の大富豪になった
アップルのスティーブジョブスは癌になり死ぬ間際に言った言葉。
「もつと食事に気を使い「健康になる本」を読んでおけばよかった」

神様は全ての人に平等に時間を与えました。
人生の時間配分表を作ることをお勧めします。
毎年年齢と共に健康へのリスクは高まるのです。
10年毎に8に区切り全体を見ます。
学ぶに使う時間、仕事を始めて結婚するまでの時間、
仕事と家庭と両親の介護で使う時間、子供たちの成長を見守る時間、
仕事で責任を任される時間、定年を迎えて人生を楽しむ時間、
社会人として地域の事と国の事を考える時間、自己実現に到達する時間。

時間配分表を見ながら常に無駄な時間の使い方をしていないのか確認が必要です。


←Older