人間と動物の違いは時間軸と思考軸である。
人間は自然の中にある暦を利用して時間を知った。
狩猟や採集の経験から生まれた知識を他人とも共有できた。
そしてそこから言語が生まれた。
動物には時間という観念が無い。空腹になれば餌を求めて行動するだけ。
仲間と情報を共有することもないので言語も生まれない。呻くだけである。
動物は武器も作れないので人間の侵略には無抵抗状態で常に絶滅の危機を強いられる。
心はどこにあるのか?心臓にあるのか?頭の中にあるのか?腹の中にあるのか?
心は経験から生まれた知識とは違い感性から生まれるので「心のあり方」が
重要である。自分の「欲」の為の心でなく「義」の為の心でなくてはならない。
私は昔からなりふり構わずあらゆるものに挑戦して来た。
失敗すると元も子もなくなるのだがそんなことはどうでも良かった。
他人からチャレンジャーとかドリーマーと言われても嬉しくはなかった。
その時の感情で心の赴くままに冒険を重ねて来た。
幸い幸運なことにいつも運がついてきた。この運は行動が無くては現れないし、
どんな状況でも人を憎まず、人を騙さず、人に尽くす、ことを忘れなければ
必ず運は付いてくる。
「多種多様な人間の心がある」
好奇心に飛び込むタイプ、石橋を叩くタイプ、とにかく挑戦するタイプ、
とにかく疑うタイプ、現状を好むタイプ、現状打破を試みるタイプ、etc.
どのようなタイプであったとしても身体の人間はいつか消える。
これは100%の確率で起こる絶対。
では一つの大いなる宇宙を持たされた人間という存在は消える時に
何を思うだろう?
「挑戦して良かった!」と冒険に満ちた人生を振り返る者もあれば、
「騙されなくて良かった」とつつがなく過ごした人生を振り返る者もある。
人生とは未知との出会いであると思う。私は死の間際に前者でありたいと
思うのだが、人によっては後者であろうと世界に対し疑いの目を光らせて
生きる。まるで騙されなかった自分という勲章を彼岸のコレクションに
するかのようだ。
しかし本来の人間というものを考えた時、
人間は一体何に騙されるというのだろうか?
人間は環境の奴隷ではない。環境を作り出す主人である。
それにも関わらず、自分が作り出した対象に騙されるとはどういうことなのか?
ここで人間には二段階の意識の爆発が必要であることが分かる。
一段階、「自分」とは宇宙を創造破壊する
心そのもの(一元)であるということを知ること。
それを知った時、環境の奴隷ではなく環境を統制できる「自分」に変容する。
そして次に二段階へ進む。不二一元の境地である。つまり「自分」の物語を
生きるということ。というのも、一段階で環境を統制できることを
知ったとしても、ただ生きるのでは主導権を環境に呆気なく取られてしまうだろう。
環境を統制するためには、「自分」の物語を積極的に能動的に生きるということが
必要なのだ。それによって生死を超え環境を統制する尊厳として
今ここに立つことができる。
古今東西の英雄と呼ばれる人たちはただ生きた人たちではない。
時代に合った自らの物語を、その主人公として積極的に能動的に生きた人たちである。
彼らを見ていると、環境の奴隷であることを断固拒否し環境を統制しにいく
気概を感じる。
人間の人間たる理由とはここにあるように思う。ただ生きるというと
動物となんら変わらない生き方ではなく、神にも仏にもましては他者にも
隷属しない尊厳の「自分」を演出することこそ、「私は人間である」と
全宇宙に号令をかけられる存在として有ることができるのだろう。
不思議なことにこの文章「多種多様な人間の心がある」は私の作ではない。
まるで文章を読むと自作のような錯覚に陥ってしまった。
私の文章の作り方と構成が全く同じである。
投稿後に見た人から「これは私の文章です」と言われれば素直に認める。
昔から何か事を始めようとすると頭の中にマニュアルが現れる。
自分の記憶にも経験も無いのにやりかたが手に入る。
別段、特別に能力や学力があるわけでも無いのに、
高校も大学も一流会社の就職も高い壁とはおもわずにすんなり進んできた。
そのうえ音楽の素養があるわけでも無いのにプロデューサーになって
ヒット作を連発した。時代の波に乗ったとしか言えない。
勿論、音楽制作は大勢のスタッフがいて作品が作られるので
私の力など微々たるものであるがプロデューサーということで
多くのヒット賞をいただいた。
子どもの頃は勉強嫌いというよりもあまりにも貧しくて勉強する環境が無かった。
さほど劣等生ではなかったが容易に進学できるレベルでも無かった。
いつも進学も就職もここしか行くところが無いという気持ちで臨んだら
その通りになった。決して努力のたまものでは無かった。
学校も会社も色々受けるほどの選択権が無かったからである。
いわゆる「背水の陣」で自ら逃げ場を無くしたのです。
常に心の在り方、心の置きどころ、心の決心、に誰よりも強い思いがあった。
「武士道」新渡戸稲造著から学ぶ日本人の美しい心
「武士道教育の精神について」
日本の一般的な学校には宗教教育がありませんが、海外では「善悪の基準を
宗教による宗教教育」により子孫に道徳教育を授けています。
ベルギーの法学者に「日本人は何をベースに道徳教育を授けているのか?」
という問いに答えられなかった新渡戸稲造が、日本の道徳観を世界に伝えたのが
「武士道」という道徳教育でした。
1900年に英文で発表された「武士道」は世界的ベストセラーとなりました。
「武士道の「義」の精神」
『打算や損得を超越し自分が正しいと信じる道を貫く』武士道の中心となる
良心の掟を「義」の精神といいます。
「義」とは人間としての正しい道、つまり正義を指すものであり武士道で
もっとも厳格な徳目です。
義を貫く…武士道の基本はフェアプレイの精神であり、卑怯なやり方を嫌います。
幕末の志士、真木保臣がいうには「義は体に例えるならば骨である。
骨がなければ首も正しく胴体の上につかず手も足も動かない」つまり、
たとえ才能や学問があったとしても「義の精神」がなければ
武士ではないということです。
「武士道の「勇」の精神」
「勇」とは、義を貫くための勇気、正義を敢然と貫く実行力です。
孔子が論語の中で「義をみてせざるは勇なきなり」つまり、勇気とは
正しいことを実行することだと述べています。
勇気といっても、わざと危険をおかし討ち死にすれば単なる「犬死に」であり、
武士道ではこれを「匹夫の勇」と呼びさげすみました。
武士は幼少の頃から「匹夫の勇」と「大勇」の区別を学びました。
「武士における「大勇」とは?」
「勇気とは、恐れるべきことと、そうでないことがわかること」と、
古代ギリシャの哲学者プラトンはいいます。
「本当の勇気とは、生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことである」と
徳川光圀(黄門さま)もいいます。
以上のことから、勇気の精神的側面は冷静さであると理解できます。
武士にとって「犬死に」はつまらない行為ですが、自分が間違いと思うことに
対しては、ためらうことなく命をかけて戦わなければなりませんでした。
「文武両道の精神」
「勇」をまっとうするためには、肉体的強さが不可欠でした。
義の精神を机の上で学んでも自分より強い相手に怯えて実行できなければ
無意味でした。そのため、武士たちは精神修行と同時に肉体も鍛えました。
武士たちは文と武の両立、つまり文武両道を追求していました。
たまには日本人として心の在り方を「武士道」から学んでみては如何でしょうか?
4月 24th,2025
恩学 |
心のあり方 はコメントを受け付けていません
2000年に米国のレコード会社から突然の契約解除を言われ倒産に追い込まれた。
そして代表者である私は全財産没収で自己破産を余儀なくされ、
身動きが取れなくなった。
不渡りを出した日から銀行や消費者金融の取り立ては昼夜を問わずやって来て
私と家族を悩ませた。
そして親しくお付き合いがあった取引先への未払いも起こりお叱りを受けた。
所属していたアーティストからもいろいろ心ない言葉を浴びせられた。
顧問弁護士の指示に従い家族とも別れることになりました。
後に判明したのですが全く必要のない協議離婚をさせられたのです。
今まで何もかも弁護士が正しいと思い違いをしていたのです。
家族とも別れて完全に無一文になりこれからの事を相談に乗っていただきたくて、
かねてから親交のある哲学の先生のところへ行き事情を説明したところ、
何故か最初に「おめでとう」と言われました。
全て失ったか!これ以上いき場のない底についただろう。
私に頼るな、自分に頼れ!
これでお前も「底に落ちて着いたから落ち着く人間となったのだ」、
これからは浮かれる事なく人生を落ち着いて歩めるぞ!
だから「おめでとうなのだ」と言われました。
変に倒産の事情を聞かれて慰められるよりその言葉がなぜか腑に落ちました。
底に着いたから上がるしかない人に救いを求めるのでなく
自力で這い上がれ、そうしなければまた同じ過ちを繰り返す。
凄く的を得たアドバイスに気持ちが楽になりました。
とりあえず生活費を稼がなければなりません。
今までの経歴も見栄もかなぐり捨ててとりあえずゼロからのスタートです。
どうせなら「下座業」もかねて自分が一番苦手な仕事を探すことにしました。
日当払いの夜中の道路工事の旗振りや、操業前の工場のLED蛍光灯の交換をしながら、
次の就職先を探したのです。辛い作業も希望への一歩と思えば楽しくやれました。
私は敢えて得意な音楽業界でなく違う業種で探していたところ、コンピュータのシステム
会社から、声がかかり入社しました。上場に向けての戦略室長の立場です。
100%絶望をすることが二度と絶望することのない希望となる。
中途半端な絶望は中途半端な希望を見出し人はその偽物の希望に縋りつく。
目の前のラッキーが次のアンラッキーとなることはよくある話で、またその逆も然り。
これは、中途半端な絶望と中途半端な希望が次々とループの中で起こっているのだから
当然のことである。
例えば、誰かに誤解されたとする。悲しみに打ちひしがれている時、
自分を理解してくれる人が現れる。このようなことはよくある話で
「捨てる神あれば拾う神あり」と世間では言う。
実はここに目覚めを妨げるトラップがある。自分を理解してくれる人と
思ったその人もまた、次の瞬間誤解していることが判明するのが世の常である。
そして人間の弱さは無意識に一縷の希望に縋らせる。
「もしかしたらあの人なら、あの人なら分かってくれるはず」
「世界は広い。自分を分かってくれるひとは必ずいる」などと
自分に言い聞かせながら。世間もその人も無責任に慰める
「きっとあなたを分かってくれる人が現れる」と。
しかしこの自分の内外で囁かれる囁きはトラップなのだ。
このトラップに掛かっているうちは、人間は100%の絶望ができない
宙ぶらりん状態に居続けることになる。
Hit the bottom!という言葉がある。1mmの希望も入る余地なく絶望し切った時、
ベクトルが変わる。その100%の絶望は五感覚の絶望ではなく、哲学的思惟による
絶望である。
「人と人とは100%分かり合うことはできない。」だ。
この「100%分かり合えない」という絶望と出会えた時、この世界に
散りばめられた「偽」のベールが剥がれ「真」を追求する一歩を踏み出すことになる。
そこから始まるのだ。そこからループからの脱出の流れが生まれるのだ。
そしてその流れにさえ乗れば、人は必ず100%希望そのものの世界と
出会うことができる。
剣を扱うサムライにとって体は、剣の延長であり剣同様に道具であるという
認識を持つ。剣の切先で世界を感じ、宇宙を感じ、相手の心を感じ取る。
切先の一点に己の全宇宙を没入させ、他者との境界線を解かしていく。
だから五感覚よりもはやく、光の速度よりもはやく反応することができるのだ。
それは柔道や空手とは違う剣独特の世界、サムライが禅に傾倒していく心は
そこにあるのだろう。
では、体が道具ならば道具を動かす主体は何か?という問いが生まれるのは
当然のこと。そしてその問いを持つサムライに悟人が多く輩出されるのも頷ける。
第一段階、体が自分ではないことを、剣を扱う者ならば誰もが感覚的に会得する。
もし剣のみを道具として扱うのなら五感覚の世界に捕われ、瞬時に負けが決まるだろう。
宮本武蔵が記した「観の目強く、見の目弱く」とはまさにこのことなのだ。
そして第二段階の思惟が始まる。体を道具として扱う主体、その主体は体と
剣だけではなく宇宙森羅万象をも動かしている・・・「お前は一体何者だ?」と。
「何者だ?何者だ?・・・」その問いが究極に達したその瞬間、何者もないことを
「知る」。自分と自分の宇宙が静かに消え、涅槃寂静を観る。
人間には2通りの生き方がある。
生命体として生きるのか、はたまな精神体として生きるのか。
その違いは「体が自分」と思っているのか、「心が自分」と思っているのかの
違いである。
ホモ・サピエンスの言語の発達により人間が動物を制圧してからは、
地球は人間の星である。その人間が生命原理で世界を認識している限り、
つまり物質世界として世界を見ている限り、地球は物質である。
現に人間は地球を物体として捉え、物質の開発開拓に力を注いでいる。
その象徴が科学技術である。
人類は今分岐点に立っている。ここで生命体に留まるか、
精神体へジャンプアップするか。
精神体へのジャンプアップは認識の変化から始まる。
有だったものが無に、無だったものが有に。さらには有もなし無もなし。
この認識で人類は「有限」の概念を突破できる。突破した先は心だけが実在する
精神体の視座である。
(令和哲学より抜粋)
何もかも失った時に見えて来るものがある。
そこでは自分の人間性を演技することも弁解することも無い世界である。
守るものがあるから見栄を張る。言葉で弁解するから嘘が生まれる。
過去の記憶が蘇るから苦悩が始まる。
「おめでとう底に着いたのだな」この言葉で吹っ切れた。
哲学的思考にシフトチェンジした瞬間である。
その後、悩みを抱えた経営者にアドバイスをする機会が何度かあった。
私と同じで金融関係と取引先から追い込まれて自殺まで考えていた時に
逢うことにした。その時に最初に発した言葉が「社長おめでとう」である。
「鋼は叩かれて、叩かれて名刀になる。しかし叩いているハンマーはいくら叩いても
名ハンマーとは言われない」今社長を叩いている人たちに感謝しなければならない。
絶望の時、悩みや苦悩に溺れてはなりません。浮き上がる事だけを考えれば
ほぼ問題は解決したと思ってください。
4月 24th,2025
恩学 |
落ち着くとは はコメントを受け付けていません
君に問いはあるのか?
君の問いは正しいのか?
常に問いをもて
生き方の問いをもて
人としての問いをもて!
何が大切で何をしなければいけないのか真理を探し出すのだ。
人はだれしも使命を授かりやらなければならないことがある。
生き方の問いなき者は生を楽しめず死を恐れることになる。
その苦しみから逃れる為に短絡的な快楽へと逃れる。
そこに人間としての尊厳は生まれて来ない。
問いは疑問である。現状を疑うことから始まる。
そして疑問が生まれて好奇心が生まれる。
科学の進化はすべて疑問から生まれた。
自問自答の精神から始めよう。
問いかけをしない若者たち、彼らは現状の世界に絶望している。
環境も経済も大人たちが壊すだけ壊して、次は君たちがバトンを
受け取るのだと言われても呆れ果てて言葉を返えせないのだ。
大人たちはそれを見て今の若者は無気力だと言い切る。
これではますます世代間のギャップが起こる。
ニュースで国会議員の不正や大企業の不祥事で騒いでも、
一切正式に裁かれない現状をみて呆れ返っている。
無意味な謝罪会見ばかり開いても改善は見られない。
報道の在り方までもが議論の対象になっている。
ましてやメディアの不祥事は報道に対する信頼性を著しく落とし込め、
芸能界との癒着も次々に暴かれていき、いった全体この国に真実の報道は
あるのかと白けてしまっている。
今や検索とシェアが当たり前の世代はチャットGPTを使いこなす。
疑問は全て生成AIから聞き出す。所要時間はわずか2~3秒である。
大人の嘘をここで見破る。そして未来に絶望する。
こんな世界にしても大人は一切責任を取らない。
トランプとゼレンスキーとの和平交渉決裂の顛末は全世界に恥を晒した。
アメリカンファーストはモラルもコモンセンスも関係なく
金・金・金の世界の行き着く果ての姿を見てしまった。
この中に人道支援の言葉は無かった。平和を使ったただの取引だけだった。
就職しても友達と話しても金・金・金の一辺倒である。
国を憂いる前に信用できるのは金儲けである。
しかし欲を満たすための金をいくら集めても尽きることはない。
挙げ句の果てに投資話に騙されて一文無しになることもある。
人生の貴重な時間の無駄遣いである。タイパもコスパも関係ない。
ここで令和哲学の会・長岡美妃医師の投稿を紹介したい。
世界に対して「問い」を投げる。
人間と他の存在との決定的な違いは「問い」を持てるかどうかである。
人間以外の存在は環境に依存するため、環境に対していかに反応するかが
存在の宿命である。しかし人間は違う。
環境を自らが統制することができる唯一の存在である。
その為には五感覚脳の初期設定を超克しなければならない。
なぜなら、初期設定は環境に隷属しているからである。
目で見て見える。耳で聞いて聞こえる。手で触って触れる…
これらは環境に対して受動的な反応であり、環境が主人となる。
それ故、必然的に人間は環境の奴隷状態となる。
だから「問い」を放て!と古今東西の賢人たちは言う。
「この現実とは何か?」「人間とは何者か?」「世界とは何か?」、
この「問い」こそが主客逆転の端緒となる。そして気づくの。
「問い」を放った自分は、、、現実世界の中にいなかったということに。
環境から独立していたからこそ、「問い」を投げることができたのだと。
では、現実世界の中に自分はいないのなら一体、どこに自分はいると
いうのか?…デカルトはそれを「我、思う」と言った。我、我、我、、、
そう!思う「我」こそが実在!我こそ、完全独立!
そしてここで「問い」の終焉。「問い」が斬られる。
考え卒業、人間卒業、錯覚卒業。次のゲーム、スタートのベルが鳴る。
このブログをお読みの皆様はこの内容をどのように受け止めたでしょうか?
「問い」は千差万別あるのです。
一方が正しくて他方が間違っているというわけではありません。
「問い」は哲学的に考えるか、宗教的に考えるか、先人たちの言葉で考えるか
常識と言われる知識で考えるかによって回答は変わるのです。
環境から独立していたからこそ、「問い」を投げることができたのだと。
長岡医師の環境は自然の環境ではなく身の回りの生活環境である。
私は今「世界動物かんきょう会議」の一員として席を置いている。
広い意味での地球保護と人間が生存する為の新思考「動物になって考える」です。
デジタルの対極にあるアナログは自然環境を知らなければ始まりません。
我々人間社会はSDGsを謳っているが、いくら人間のエゴで考えても答えは無い。
そこに問いかけをしたら「世界動物かんきょう会議」にたどり着いた。
子供たちが動物になって環境を考えるとこのようになるのだという
ワークシップを各地で開催している。専門のインストラクターも養成して
学生から社会人まで環境について真剣に話し合っている。
デジタルを神のように崇めることを辞めにして、もう一度自然との共生を
考えなければ世界は何も変わらない。経済を発展させるために自然を破壊して良いなど、
神への冒涜であることを知らなければならない。
さて皆様は何に対して「問い」放ちますか?
問いは脳への刺激剤です。
問いは心の栄養剤です。
問いは共通認識の清涼剤です。
問いは人生の活力剤です。
私は毎日問いかけながら生きています。
皆様も多いに問いを放ってください。
4月 13th,2025
恩学 |
問いを放て はコメントを受け付けていません
友情とは「友」とは語源からお話しましょう。
人間関係の基礎となる「友」という言葉。この漢字一文字には深い意味が
込められており、日本の文化や社会において重要な役割を果たしています。
常用漢字「友」の起源から現代における使われ方までを深掘りしその魅力を探ります。
漢字「友」は、古代中国にその起源を持ちます。「右手」と「又」(または)の
組み合わせで、「手を携(たずさ)える」という意味があり、互いに支え合う
関係性を象徴しています。この漢字は、信頼と協力の精神を表しており、
古来より人々の間の絆を意味する重要な文字として使用されてきました。
「友」という漢字は、「友人」や「友達」として、親しい人との関係を示す
言葉として用いられます。また、「友好」や「友愛」といった言葉にも
見られるように、国家や集団間の良好な関係を指す場合にも使用されます。
心を寄せ合う、信頼し合う、共に時を過ごすといった意味合いを持ち、
日本語における人間関係を表す上で欠かせない漢字です。
小説における「友情」を描いた作品をいくつか紹介します。
太宰治(だざいおさむ)
冒頭の「メロスは激怒した」のフレーズが有名な『走れメロス』は、
太宰治の代表作の一つであり、国語の教科書にも収録されました。
『走れメロス』は、人間の根底にある心理を巧みに描きながら、
信頼とは何かを問う物語です。
まずは、あらすじを簡単に解説していきます。
妹の結婚準備のためシラクスの市を訪れたメロスは、人づてに聞いた
国王による残虐な行いに激怒し、城へ乗り込みます。王に歯向かった罪で、
メロスは処刑されることになります。メロスは処刑を受け入れるものの、
妹の結婚式のため3日間の猶予がほしいと述べ、親友のセリヌンティウスを
人質にすることを提案し、認められます。
そして無事に妹の結婚式を見届けたメロスは親友の待つ城へ向かって走りだします。
肉体的疲労や自身との葛藤、度重なる障害を乗り越えて約束を守ったメロスの
姿に、王は改心します。親友の為に命を投げ出すセリヌンティウスに頭が下がります。
処刑場でセリヌンティウスの縄がほどかれた後、メロスは途中で約束を
諦めそうになったことをセリヌンティウスに伝え、自分を殴ってほしいと頼みます。
うなずき、友の頰を力いっぱい殴ったセリヌンティウスも、
メロスを一度疑ったと告白し、同じく自分を殴ってほしいと彼に頼みます。
お互いを殴り合った後に「ありがとう、友よ」と言って抱きしめ合う2人の姿を
見たディオニスは改心し、自分も仲間に入れてくれるようお願いしました。
そしてそれを聞いた群衆は、「王様万歳」と歓声を上げたのでした。
「三国志」
陳寿(ちんじゅ)桃園の誓い(とうえんのちかい)は、桃園結義(とうえんけつぎ)
とも称され、『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、
宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、
生死を共にする宣言を行ったという逸話のことである。
これは正史の『三国志』にない逸話であって創作上の話であるとされており、
劉備が2人に兄弟のような恩愛をかけ、関羽・張飛は常に劉備の左右に侍して
護り、蜀漢建国に際して大いに功績があった、という史実に基づいて作られた
逸話である。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして
助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。
同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん。
皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。」
シェイクスピア『ヴェローナのニ紳士』はイギリスの代表的な劇作家
シェイクスピアの作品。16世紀末に制作された。ヴェローナの二人の紳士は親友だ。
一人がミラノへ旅立つ。もう一人は恋人のためにヴェローナに留まろうとするが、
まもなくミラノへ旅立つ。二人の紳士はミラノ公爵の娘に恋する。
すでに恋人のいる紳士は、彼女への愛と、親友への友情を犠牲にして、
公爵の娘にのめり込んでいく。その果てに待つものとは・・・。
プロテウスの父は、プロテウスの将来を案じている。
(この時代、旅には人を成長させる教育の役割があると考えられていた。
10代の若い貴族が特に教育の重要な段階として旅にでた)。プロテウスの父は
プロテウスを旅にいかせて、成長させるべきだと考えた。
そこで、プロテウスの父はプロテウスをミラノへ旅させることに決めた。
プロテウスはジュリアへの
未練があったが、しぶしぶ旅立つことに同意する。
ジュリアとは、変わらぬ愛のしるしとして、指輪を交換する。
(長文のために一部割愛した)
プロテウスは男装したジュリアと会う。「彼」がジュリアだと気づかない。
シルヴィアに贈り物を渡してほしいといって、変装したジュリアに指輪を渡す。
それは、かつてプロテウスがジュリアと愛を誓いあった時に交換した
指輪だった。ジュリアは深く傷つき、そのまま言う通りにしようとして、
これを引き受ける。
だが、それでもプロテウスを諦められなかった。ジュリアは言う通りに指輪を
シルヴィアのもとにもっていく。 だが、ジュリアはシルヴィアに
この贈り物を断るよう仕向ける。正体を明かさないまま、これがプロテウスへの
ジュリアという女性のプレゼントしたものだったことを知らせる。
シルヴィアはそれを聞いて、指輪の受け取りを拒否する。
シルヴィアは友人とともに、マントヴァへの移動を開始する。
だが、森を通っている時に、上述の無法者の集団に捕まる。友人は逃げてしまう。
公爵はシルヴィアがいなくなったのに気づき、捜索隊を組織する。
プロテウスとトゥリオ、変装したジュリアがこれに参加する。
そこに、公爵やトゥリオたちがやってくる。トゥリオはシルヴィアを
自分のものだというが、ヴァレンタインの威勢に怖気づく。
公爵はヴァレンタインに頼もしさを感じて、シルヴィアとの結婚を許可する。
ヴァレンタインとシルヴィア、プロテウスとジュリアの結婚式が行われることになる。
友情にまつわる話は古今東西山ほどあります。
思春期から青年期には同性の友と夢を語り合い異性の友には人生を語ります。
手紙しかなかった時代に想いを伝える時に重宝だったのが「詩集」でした。
最近ではどこの本屋でも見かけることがありません。
ゲーテやハイネ・牧水を愛読していた私にとっては寂しい限りです。
音楽が一般に普及していなかったころは「歌声喫茶」へ友と一緒に出向く人と
怪しげな「ジャズ喫茶」へ一人で出向く人と二派にわかれていました。
私は後者のタイプ一人でジャズ喫茶へ出向きニューヨークジャズの魅力に
取りつかれました。飲めないウイスキーと苦手な煙草をくゆらせて、訳の分からない
デカルト・ショウペンハウアーを読み、大声上げて学生街を
「デカンショウ、デカンショウで半年暮らせ、あとの半年は寝て暮らせ」
と友と肩を組みながら練り歩いたものです。
中学生の時に唯一無二の親友がいました。
彼の父親は大きな化学工場を経営していて裕福な家庭でした。
私は市営団地に住む貧乏人の子供です。
彼は顔も性格も勉強も申し分のないタイプで学校中の女子生徒の憧れの的でした。
そんな彼が何故私を友人に選んだのかが分かりませんでした。
放課後、学校帰りに誘われて彼の家に行きお手伝いさんが持ってくる赤い紅茶と
青い缶に入っている外国のクッキーがあまりにも美味しくて驚いたことがあります。
それから学校は別々でしたが高校・大学と長年仲良く親友として付き合っていました。
しかし悲劇が起こったのです。それは同じ女性を好きになったことです。
最初、彼女は私に好意を寄せている素振りを見せたので仲間内で公認の中になりました。
しかし後で分かったことですが、彼女は僕を踏み台にして友達に近づこうとしたのです。
その後二人が交際していることが発覚して長年の友情が壊れてしまいました。
まるでシェイクスピアの物語風ですが苦い青春の思い出の一ページです。
「友情は静かな月のように、太陽の現れない前の大空に輝く。
だが、恋の光を受けるとすぐに色褪せてしまう」リュナール侯爵
4月 13th,2025
恩学 |
友情とは はコメントを受け付けていません
何故、世界から詩人が消えてしまったのか?
様々な通信手段の進化にともない言葉までも簡略化されてしまい、
平易な言葉とマニュアル的な指示型言葉で人々を誘導する。
普段、目にする文章は広告のキャッチコピーの
羅列にしかみえない文章ばかりである。
ここには大人としての教養や知性などまったく存在しない。
あらゆる詩人の言葉のように短い行数で印象に残る文章に触れると
読み手側の想像力と知性が引き出されるのである。
「詩」とは文字の裏がわを読んで作者の真意に問いかけるのである。
詩人は時には怒り、時には難問を吹っ掛け、時には休息を与える。
人々は文字が創り出す世界に自分の意識を織り込むことが出来る。
時代に応じた読み手側の知性と感情の起伏を織り込み、そこから
あらたなる創造力がカラフルに生まれてくるのである。
私が好きな詩人として茨城のり子や谷川俊太郎がいる。
茨城のり子は怒りをストレートに表現してとても共感する詩人である。
谷川俊太郎は子供からお年寄りまでファンが多く心をつかむ詩人である。
お二人は何度か私のブログでご紹介したので、
今回は最もポピュラーな中原中也を取り上げてみた。
日本で最も読まれてきた詩人の一人と言っていいだろう。
1907年・山口に生まれた中原中也(なかはら ちゅうや)は、
時代を越えて読み継がれている数少ない詩人だと思う。
有名な詩「サーカス」は、
『幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました』とはじまり、
ブランコの揺れる『ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん』という印象的な擬音で結ばれる。
その独特な感性は、今も愛唱される数多くの詩を生みだした。
もっとも、繊細な詩風とは違って、私生活では周囲に迷惑かけまくりの人だった。
学校を落第し、家族から乞われても定職に就かない。
三角関係でモメては失恋して、独特な人間関係の築き方のせいで
作家仲間からも嫌われた。
中原中也の「空気を読まない」ノリには、太宰治も犠牲になっている。
晩年には精神の病も経験し、結核性脳膜炎によって、30歳の若さで亡くなった。
短すぎる生に、ありあまる詩才を燃やした生涯だった。
中原中也の代表作には、「秋」の気配がただよっている。
一人ぼっちの心細さに、乾いた風が落ち葉とともに吹きつける。
高い空が澄み渡り晴れていても、そこには途方もないさびしさがある。
いくつかの詩から、断片的に抜粋すると――
港の市の秋の日は
大人しい発狂
私はその日人生に
椅子を失くした
(「港市の秋」)
飛んで来るあの飛行機には
昨日私が昆蟲の涙を塗つてをいた。
(「逝く夏の歌」)
あ〃 おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
(「帰郷」)
中也の詩では「秋」の切なさが、日本的な自然描写を含んで表現されている。
それは今もなお多くの読者を引きつける魅力の一つだ。
けれどもう一つ強調したい作風に、「夏」的な熱度と息苦しさもある。
国語の教科書には載らないタイプの詩で、静けさとかナイーブな心境とかでない、
怒りと悲鳴による言葉がある。
わが生は、下手な庭木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
(「つみびとの歌」)
私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
(「夏」)
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
(「少年時」)
「ギロギロする目で諦めていた」ってどういうことだろうか。
意味としてはわからなくても、感覚としてはわかる気がする。
中也には詩一つとってみてもいろいろな作風があり、俳句、散文詩、
また訳業もある。中原中也の世界は、底知れない。
私も個人的には未熟だが詩人だと自負している。
勿論、歌の歌詞は山ほど書きその数は500作を超えていると思う。
プロデューサーが担当アーティストの歌詞を書くのは賛否両論があった。
アーティストが可哀そう!気に入らなくても受け入れなくてはならない。
プロの作詞家たちも私達の職域を荒らしていると批判の声が上がった。
その上社内からも社員のアルバイトは認めないと声が上がった。
なんとも情けない話である。日本人らしい島国のひがみ根性である。
中学生の時にハイネやゲーテを読んで最初の詩に触れた。
その後、若山牧水や志賀直哉・高村幸太郎も読み詩人に憧れた。
職業として詩人なりたかったがその方法が分からなかった。
今なら検索すればすぐに教えてくれる。
日本ではヨーロッパほど詩人が文化人として注目されることは無いが、
フランスやイギリスでは画家も作家も詩人も文化人として国から援助を受ける。
貴族などのパーティーでは何人文化人が参加しているのかが一流の証になる。
お隣の韓国でも国策として文化・芸能人を援助していると聞いている。
何故か日本では政府から職人の技術も画家も詩人も助成金の対象にはならない。
近年大企業もメセナに予算が組まれなくなった。
株主からのクレームで文化芸能関係に協賛金を支払うのが無駄だということになり
展覧会やイベントなども作家自身が自力で開催する羽目になる。
これじゃ詩人どころか素敵な文化人が日本からいなくなる。
残念な国である。
4月 13th,2025
恩学 |
詩人はどこへ消えたのか? はコメントを受け付けていません
西洋哲学と日本哲学の難解さには大きな違いがある。
西洋哲学の追求は宗教(特にキリスト教)の教えに抵触しないかの
壁が立ちはだかる。
たとえば地球が宇宙の中心にあり、すべての天体が地球の周りを回っている
とする天動説と、太陽が宇宙の中心にあり、地球や他の惑星がその周りを
回っているという地動説。
日本のアニメ「ち」を見ると、いかに真実を広めるのに教会が壁となって
邪魔をしていたかが分かる。天動説を唱えていたキリスト教にとって地動説は
神の教えにおおきく反するもので全てが異端で犯罪人、国中の隅々まで異端審問官を
派遣して拷問にかけて殺してしまう。現代でも全ての戦争の原因がこれに付随する。
聖書に出て来る「天地創造」この世は六日間と安息日を入れて七日間で作られた
という説も何人たりとも疑ってはならぬ。疑うイコール異端児として扱うのである
過去の常識がすべて正しいとする考えには無理がある。
それに反して日本哲学は仏教に影響されていることがおおうにある。
人間の真理を追究する時に西洋では科学の進化が大いに役立ったが、
東洋では精神論に起因する曖昧な物語が多い気がする。
しかし、そこには修行僧の英知がこめられていて大方の悩みは解決する。
もともと神仏習合のおおらかな国であるから宗教もオープンである。
勿論、昔から宗派同志のいざこざはあったが相手方を殺すほどではなかった。
哲学の謎解きは「無一物」最初から何もない、「不立文字」文字で表せない、
「只管打坐」座禅を組んで座り続けろ。何も考えるな!心を解放しろ!である。
日本の禅を通じて英語で日本人の哲学思考を書き表した鈴木大拙の功労は大きい。
それ以外に西田幾多郎、田辺元、九鬼周造、三木清、和辻哲郎、森信三などが
挙げられる。昔は哲学に嵌ると気が狂うから読むなと言われていた。
ここに令和哲学の長岡美妃先生が書いている文章がある。
とても分かりやすく書かれているので全文を紹介したい。
私の哲学論は「生きる為の自分への手引書」である。
なぜ哲学が貧しい人々に響くのか?
哲学をするということ、すなわち真理を追求するということについて。
「なんでそんな難しいを考えるのか?」と言われる。
もっと世間一般的なことや感覚的なことよりも、知りたい「問い」が
あるのだ。病とは何か?人間とは何か?生死とは何か?苦しみとは何か?
現実とは何か?…その「問い」が私を哲学的思惟に誘う。
ヴィトゲンシュタインの哲学をまとめ出会った言葉がある。
彼は言う。「人間の体には水面に浮かび上がる自然な傾向があって、
水の底へと潜るには努力しなければならない。
それと同様に、哲学的に思考をするためには、その自然の傾向性に
逆らって水の底へと潜っていく努力が必要である」と。
逆もまた真なりということか?
人間の初期設定のまま、つまりは世界に投げ出された状態のまま、
目で見て、耳で聞いて、世界というモノサシを当然と思って生きるだけでは
何も分からなかった。水面に浮かび世間一般の楽しみや感覚的な満足に
浸るより、水の底にある真理を知りたいという渇望がうごめく。
だから私は哲学的思惟を起こす。
人は誰もがいずれスピリチュアルペインに出会う。
その時、何者かに向かって叫ぶように問う。「人間とは何か?」
「この苦しみとは何か?」「生きるとは何か?」「死ぬとは何か?」を・・・
その問いを投げるのが今なのか、先なのかの違いだけ。哲学は特別な人が
する学問ではない。人間の根源を問う、人間にとって第一優先にされるものない
人間はみな孤独である。
それを自覚したくないが為に日常に埋没する生き方を選ぶとハイデガーは言う。
世間話や薄っぺらい好奇心や曖昧な話に終始し続け、そこになんら責任は
発生しない関係性を続けるのだ。
そしてそれでも感じる孤独の穴を埋めようと、悲劇のヒロインを装い
人の関心を引こうとする。「自分はこんなに酷い状態だ」「自分は可哀想な存在だ」
「自分は慰められて当然だ」というストーリーを作り出し、
食肉植物のように誘い込む。誰かがストーリーに乗ってきたならば、
「よし掛かった!」とばかりにストーリーを炸裂させ、相手からエネルギーを
吸い取っていく。そしてこれが生きる活力源となる。
このような関係性は共依存であり、どちらかが完全に目を覚さない限り同じ
ループを永遠に繰り返す。なぜならこのループには
ある種の悦びが付き纏うからだ。それは人間の根源的な痛みである孤独を
麻痺させてくれるという甘い蜜。この蜜の味を締めているため蜜を
取り上げようとするものなら、強烈に抵抗する。孤独と対峙させられる
からである。
しかし人間は孤独なのだ。「体が自分だ」と思っている限り、人と人とは分かり
合うことはない。この絶望を受け入れられるかどうか・・・もし受け入れる
勇気を持つならば、永遠ループから抜け出せるだろう。甘い蜜を「偽物だ!」
と喝破して真の犯人を探しに行く。「こんなにも孤独を生み出す張本人は
誰なのか?」と自らの内に問うていく。そしてそれが真の問いのスタート地点となる。
非本来的な生き方から本来的な生き方に変わる瞬間。
そして真の問いのスタート地点に立ったならば、後は哲学的思惟で問いを
投げ続ければゴールに辿り着く。「はじめから何もなかった」のだと、
「なにもはじまっていなかった」のだと、「すべては一元であった」のだと、
「孤独は幻想にすぎなかった」のだと。
人間は孤独でもある。しかし「知った」瞬間、目の前の現実は
何も変わらないのにすべてが変わっていることを認識する。
以上。
この話の真意は理解できたでしょうか?
米イエール大学助教授成田悠輔がバンタン卒業式での言葉に哲学が存在する。
2000年前ローマ帝国のマルクス・アウレリウス皇帝が言った言葉に
「投げられた石にとって登っていくことが良いことでもないし
落ちていくことが悪いことでもない」この哲学的な言葉の意図は何か!
「ご卒業おめでとうございます」は何がおめでたいのか?
ゲストの成功話をする人がお決まりのパターンである。
人生はどんなに頑張ってもたいしたものにはならないのです。
たまたま運と出くわし、運が良かった人が成功しただけで、
そんな人の話は聞いてもあまり意味が無い。
上手くいくかは分からない未だ試されていない領域へ足を踏み出してみる。
一歩踏み出す勇気、それにはコンプラ社会で実験てきなことを試してみる。
その方法は「幼児性」・「異国性」・「武士性」の三要素が重要である。
幼児性、子どもであるとか子供になる。裸の王様という物語を知っているか。
もともとのタイトルは「王様の新しい服」です。
詐欺師集団が王様に「世にも不思議な透明の服」を作りましたと差し出す。
大人たちは王様が偉い人なので裸のままに歩いていても、素晴らしい服ですねと
見えない服をほめちぎる、しかし一人の少年が「王様は裸だ」と言ってしまった。
みんな馬鹿になれ、無知になれ、世間に迎合するな。
異国性、外国人は好き勝手に言える。日本に忖度しない。外に属している。
この二つは外から変革を求めている。
日本人の同調主義は「空気を読む」という風に反論はご法度なのです。
そこを異国性でズケズケとものを申さなければならない。
内に属していない外から勝手にものを申す。
武士性、社会を変化させるには内側から変える。周りと一緒に没落しよう。
この潔さが武士性である。明治維新のときのように在野の下級武士が集まり
徳川幕府を倒そうとした精神=武士性は、外に変革を頼るのではなく
自らから死を覚悟して変革に臨んだのである。
「成功するより没落しよう。ニコニコと没落しよう」
当時大蔵大臣であった渋沢栄一にGHQから財閥解体の指令が来た。
協力すれば渋沢財閥だけは助けてやろうと言われたときに、構わない
我々も他の財閥同様に解体して「笑って没落する」といった回答をしたという。
「ニコ没」、ニコニコ笑って没落しよう。潔い破壊からしか創造は生まれて来ない。
社会や経済を次のステージに持っていくために自分達も解体していく。
自分達の成功や成功システムを解体していかなければ次に向かえない。
「投げられた石にとって登っていくことが良いことでもないし
落ちていくことが悪いことでもない」卒業生はこれから投げられて石になる。
合言葉は成功するより没落しよう。
世の中が常識として捉えている事柄に反抗しなければ真実は見えてこない。
知識は迎合であり、哲学は苦悩である。疑問を持ち悩むことから始めよう。
成田悠輔は変態であり、個人主義であり、屁理屈屋である。
村おこしの時には「若者・よそ者・馬鹿者」がいなければならない。
絶対的に馬鹿者の部類だが彼のように人間からしか新しい社会は生まれない。
どちらかというと私も同じ部類の人間であることは確かである。
3月 27th,2025
恩学 |
哲学への誘い はコメントを受け付けていません
I AM A DREMER
夢という字は夕暮れに遠くを見ることを言います。
視線の明らかならざるなり、夕に従い、瞢(ぼう)の省聲。
将来の夢はと聞かれるとハッキリとしない目標を述べるのが一般的です。
今時の若者には夢がないと発言する大人が大半です。
そんな大人も若い頃夢を持っていたのでしょうか?
昭和の初期には男の子は「末は博士か大臣か」という立身出世の憧れがありました。
女の子は「デパートガールかスチュアーデス」がなりたい職業の定番でした。
今は「ユーチュバーかインフルエンサー」が圧倒的に多いそうです。
一般的に使われる夢の意味は睡眠中に現れる意識の映像を指します
夢を分解すると「 寬 かん 」+「夕」となります。
「寬」は「眉を太く大きく描いた神に仕える女性が座っている様子」、
「夕」は「夜」を表しています。 その女性が夜の睡眠中に現れると
されていました。 そこから転じて「ゆめ、ゆめみる」の意味となったようです。
私が夢で思い出すのがジョン・レノンの曲 ‘imagine’ の中に出てくる歌詞 。
‘You May say I’m a dreamer. But I’m not the only one’
「( 平和な世界を信しる) 私の事をあなたは
夢見がちというかもしれないけれど、きっと私は一人じゃない」
暗いニュースが続く中でも、明るい未来を信じて、夢見ていたい。
私は一人じゃないし、みんなで夢見た世界が、きっと未来になって
行くんだと信じて。 平和は身近な行動に現れる。
今の時代にピッタリの曲であり平和を求める人たちのテーマでもある。
アーティスト達は全ての武器を楽器に置き換えて活動に参加しなければならない。
音楽は国境のない共通言語です。何もせずに待っていても平和は来ないのです。
We shall over come 私達は勝利に向かい乗り越えていかなければなりません。
いまこそみんなが声を上げて歌わなければならない。愛する人のために!
「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」
この太宰治の名言は、時代を超えて多くの人々の心に深い影響を与え続けています。
文学の巨匠である太宰治が、この一言に込めたメッセージは、
人間の本質的な欲求や社会変革への願いを鮮明に表現しており、
その言葉の力強さは、今も色褪せることなく現代に生きる私たちに共鳴します。
太宰治の作品は、常に人間の内面に深く迫り、複雑な感情や生きる意味を
描き出してきました。この名言もまた、彼の思想の集大成といえるもので、
個人としての愛と社会に対する変革の意志が一体となった、生き方に対する
根本的な洞察を含んでいます。
太宰治が「恋と革命」という言葉を残した背景には、
彼自身が生きた激動の時代が深く影響しています。
彼の時代は戦後日本の混乱期であり、人々が個人の自由と社会的な変革を
求めて揺れ動いていた時代でした。
太宰はその中で、自分の内面と向き合いながら、
時に社会の枠組みを超えた普遍的な真実を追求し続けました。
「恋」とは、単に恋愛関係を意味するだけではなく、人間同士の深い繋がりや
感情的な絆を指し示しています。
そして、「革命」とは、社会や文化の変革を象徴しており、より良い未来を
切り開くための挑戦を意味します。
この二つの要素が、太宰治の文学作品においては重要なテーマとなっており、
彼の生涯における葛藤や挑戦が深く反映されています。
「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」という太宰治の言葉は、
個人の情熱と社会的責任の両方に対する呼びかけです。この名言は、
私たち一人ひとりが自己を見つめ直し、同時に社会に貢献する生き方を
選ぶべきだという普遍的なメッセージを投げかけています。
ここで「夢」が物語になった作品を紹介します。
「白日夢」
(はくじつむ)は、谷崎潤一郎の戯曲。全四幕から成る。歯科の治療を
受けに来た青年が同じ患者の美しい令嬢を見るうち、麻酔と昏睡の中で
白日夢を見る物語。1926年(大正15年)、雑誌『中央公論』9月号に掲載された。
1922月(大正11年)発表の戯曲『白孤の湯』と『白日夢』を元に書いた
ヌードショーのレビュー白日夢』は、1959年(昭和34年)2月から5月まで、
谷崎のお気に入り女優・春川ますみ出演で、日劇ミュージックホールで
上演されました。
「古代ローマ貴族の夢」
本作は元来、『ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建
教皇リベリウスに夢のお告げを明かす古代ローマ貴族ヨハネと妻』
(プラド美術館) と対をなしていた。
両作ともローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建にまつわる
物語を表している。古代ローマ貴族ヨハネの夢に聖母マリアが現れ
エスクイリヌスの丘(画面左側の雪に埋もれた部分) に教会を建立せよ、
そして、そこに行けば、雪の上におのずと建物の配置がわかるであろう、
と告げる。穏やかで静謐な場面に光を伴なって現れた聖母は、
円熟期のムリーリョの画風を特徴づける非常に軽く淡い筆致で描かれている。
人物の衣装はムリーリョの時代のもので、画家は絵画を古代ローマに
設定していない。
落語の「芝浜」は三遊亭圓朝の三題噺が原作。三題噺とは、寄席で客から
三つのお題を貰い、それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。
ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。
3代目桂三木助は「三遊亭圓朝が作った『笹飾り』『増上寺の鐘』『革財布』の
三題噺」と噺していた。ここから生まれた三題噺がベースとなって、
その後本作が成立したとされているが、『圓朝全集』に収録されていない
ことや圓朝以前に類似の物語があることから、この説を疑問とする声がある。
現在のものとはストーリーも異なっていたという説もある。
川戸貞吉は、8代目林家正蔵からの聞き書きとして、「昔の『芝浜』は、
男が財布を拾った後、長屋の連中が財布を拾ってめでたいってのんで、
みんなで歌を歌って騒ぐだけの話で、軽い話だったよ」と述べているが、
8代目正蔵が生まれる以前に口演速記された落語本では、すでに現在と
同じ人情噺になっている。少なくとも19世紀中には「芝浜」として
演じられた記録がある。
夢か現実か分からない状況での夢物語「白日夢」。
夢に現れたマリアのお告げに従い教会を建てる「ローマ貴族の夢」。
夢か現実か道で拾った財布の大金で長屋の住人に散財をした「芝浜」。
若い頃、私の夢は「日本一のプロデューサー」であった。
毎週業界紙のヒットチャートを賑わし社内でのヒット賞の常連であった。
それなりの努力をしたつもりでいたが、ある時に先輩から
「ヒットはお前ひとりで作れたのか?」と言われた。
会社のスタッフも工場のスタッフも放送局などのメディアの関係者も
レコード店の店員も大勢の人がかかわったことを忘れるなと叱責された。
それなのに周りからおだてられて91年に独立をしてしまった。
そして10年後大失敗をしてから夢から目が覚めた。
それまで手に入れた地位も名誉も財産もすべて失った。
その上に愛する家族までも失ってしまった。
高い事業料を払って人生の勉強をして完全に夢から目が覚めました。
3月 27th,2025
恩学 |
夢を追いかけて はコメントを受け付けていません
ここから第三章が始まります。
ゲスト参加(伊丹谷良介)
現在私がプロデュースをしています。
伊丹谷良介をご紹介します。
彼には五つの魅力があります。
「歌手・作曲家~画家~講師(出版)~中国語通訳」
この才能を花開かすために協力しています。
経歴
197311月生まれ。 大阪出身
1987ライブハウスにてライブ活動を開始。19歳の時、ニューヨークに滞在。
帰国後、アジア人を意識したバンド活動、映像製作、美術作品制作を開始。
1992FRIDE EGG JAM(10人編成のファンクロックバンド)結成。東京、横浜、
名古屋、京都、大阪にてライブ活動を行い、CDアルバム『FRIDE EGG JAM』で
CDデビュー
1998宝塚造形芸術大学大学院修士課程終了。バンド活動を停止させ
ソロアーティストとして作詞作曲作業に専念。
1999日本で中国人プロデューサーと出会ったのをきっかけに中国へ渡航。
伊丹谷良介 black dragon elechestra「中華人民共和国 全国ツアー1999」に
おいて、中国にて大規模なロックコンサートツアーを外国人として初めて
成功させる。(天津、常州、蘇州、南京、等 中国北部都市 7ヶ所約4万人動員)
2000昆明で行われた世界音楽祭に日本代表として中国政府より正式招待され、
伊丹谷良介 black dragon elechestra「中華人民共和国 全国ツアー2000」を
成功させる。(上海、昆明、雲南、広東、等中国南部都市10ヶ所約5万人動員)
2002大阪から北京に移り、中国大陸での本格的な音楽活動を開始。
2003中国の実力派ミュージシャンを集め伊丹谷良介チャイナバンドを結成。
中国公演300回記念ライブを上海ARKにて3days行う。読売新聞等、
日本のメディアでも中国での活動がとりあげられる。
上海東方衛視台(衛星放送)の大晦日カウントダウン番組にて、香港のトップスター、
劉徳華(アンディーラウ)と共演。世界4億人の人がこの番組を見る。
2004ファーストアルバム『Hello Mr.Asian』発売。台湾、香港、大阪、
ニューヨークでもライブを行い、香港でのラジオヒットチャートで
”Hello Mr Asian”が7位にランクイン。
2005香港のライブイベント”ROCK ON2005″、香港の人気音楽TV番組等に出演。“Hello Mr Asian Japan tour 2005″公演(大阪・東京)
2006中国の人気実力派歌手・紀敏佳に楽曲「我愛Ni」を提供。
音楽サイトにて1000万件を超えるダウンロード数を記録する。
タップダンサーHIDEBOH率いるリズムパフォーマンスグループ・STRiPESの
香港公演にゲスト出演。“ROCK ON Ten 10th Anniversary”(香港)、
”Hello Mr Asian Japan tour 2006″公演(大阪)
2007『満文軍・北京人民大会堂ライブ』に出演。日本人ロックミュージシャンとして
初めて人民大会堂のステージでプレイする。中国シンセンで行なわれた
「アジア青年芸術祭」に日本代表ミュージシャンとして出演。
CCTV(中国中央電視台)にて全国放送される。
“Hello Mr Asian Japan tour 2007″公演(東京)
2008ライブイベント「JAPAN JAM 2008」にてFRIDE EGG JAM再結成。音楽誌『GIGS』Q-stationに連載開始。“JAPAN JAM 2008″公演(東京)
2009朱孝天(ケン・チュウ)のKEN CHU CONCERT 2009 〜Freedom〜」
来日公演ツアー(東京JCBホール・大阪厚生年金会館大ホール)に参加。
中国大陸モデル出身の男子4人による新ユニット 『風雲組合』(フンユン)の
2009年1stアルバム『風雲』にて 伊丹谷のオリジナルナンバー『ROCK STAR』が『TOP STAR』としてカバーされる。
伊丹谷良介著書「バンドボーカル読本」がシンコーミュージックより全国発売。
ここからトークEVENTが始まります。
私から伊丹谷氏に対して質問です。
① その後の16年間は何をしていたか?
② 何故アジアから活動を始めたのか?
③ 帰国後日本の音楽事情をどう思ったか?
④ 能とロックの組み合わせを能楽堂で2回公演
⑤ 現代の音楽状況(AIとの共存)
⑥ うたライブは何故行なっているか?(ロックサロン+恩学)
歌入り映像「創造」ダイジェスト
本来ならばこのやりとりも文章にしてご紹介したかったのですが、
ご興味のある方は「老人と孫」の事務局へ開催を希望してください。
最後に伊丹谷良介から一曲生演奏を披露いたします。
本日の「老人と孫」たつジイと伊丹谷良介のトークEVENTの話を聞いた
仲間たちが駆けつけてくれました。
冒頭でドラムを叩いてくれたももちゃんと世界をベース一本で駆け回る
葛城京太郎そして長年世界で活躍してきたバイオリニストKATEIを加えて
作詞稲葉瀧文・作編曲伊丹谷良介「友」をご披露します。
この新曲は本日初披露です。「老人と孫」のイベントのために作りました。
お聞きください。
「友」歌詞
友よ 夢はまだ君にあるのかい
友よ その手で愛を掴んだかい
友よ 古い上着を脱ぎ捨てて
友よ 新しい船に乗り込むときさ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
友よ ざわめきが絶え間ない街で
友よ 自由を奪い返す時がきた
友よ 信じた未来へ乗り出そう
友よ 新しい船に乗り込むときさ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
溺れる子供を救いたい
君はいま何ができるのか
この地球(ほし)を
限りなく愛してる
救う命があるはずさ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
LOVE LOVE LOVE LOVE LOVE 友よ
「老人と孫」トークEVENT「未来はいつも音楽に溢れてる」終了です。
本日はお集まりいただき有難うございました。
当日の内容はSNSに溢れていますのでご覧になってください。
いつまでも感動の拍手鳴りやまず。最高でした!
お客様、スタッフの皆様、有難うございました。
皆様との再会を楽しみにしています。
3月 10th,2025
恩学 |
未来はいつも音楽に溢れてる はコメントを受け付けていません
第二章が始まります。
音楽は娯楽ですか?ハイ!そうですと言いながら
でも医療行為ですと答えています。
モーツァルトはてんかん、ベートベンは鉛中毒、ハイドンポリープ、
シベリウスは社会不安の障害を抱えていたのですが
みんな病を癒すために曲を作っていたと言われています。
いわゆる音楽療法です。音楽はそれほど医療に対して効果があるのです。
感動とは、感動は「空間認識」である。対象物と自分の間にある空間で起こるのです。
直接受けた印象に自分の心境を重ねて心が振動した時に感動になるのです。
クラッシックのコンサートホールはその空間を大切にして作られています。
それでは空間がないとどうなるのでしょうか?
すし詰めの電車の中で感動は起こるのでしょうか?多分感じて動くことは
起こらないのです。その空間で重要なことは目に見えない波動です。
恋愛の最初にビビッと感じた!は空間で起こる認識です。
若い人に好きな音楽の話をしたらすぐにアーティスト名を入れて
YouTubeで見始めます。最近の若者たちは2倍速で聞き、アーティストの
雰囲気を見て聞いてフォロワー数を見る。音に反応ではなく記録に反応するのです。
現在は、音楽はモバイルで再生するのが主流になっています。
世界的に見てもCDの再生プレイヤーを持っていない人の方が多くなっています。
これはレトルト料理を食べて本物を食べたと錯覚しているのと同じになります。
マーケティング手法にAIDMAからAISASというのがあります
attention(知らせる)interesting(興味)desire(欲望)memory(記憶)
action(買う)→ Search and share(検索・拡散)
この流れを知っていることは重要です。
それ以外にも、
エバレットMロジャー「イノベーター理論」、マズロー「五代欲求」、
ハーバードビジネスレビュー「ブルーオーシャン」、エリックリース
「リーンスタートアップ」など沢山の教科書があります。
しかしどう解釈するかの答えはありません。
実例が無いと普通の人には理解しにくいのです
「未来はいつも音楽に溢れている」生成AI一辺倒からアナログな世界観が訪れる。
何もかもコンピュータを取り入れたことで便利になったが、その便利さは
必要でしょうか?なになに風と入れれば文章もデザインも写真も音楽も
作られる時代です。本当にメタバースの世界で暮らしたいのでしょうか?
人とのコミュニケーションも便利にして何が残るのでしょうか?
以前から、音楽を通じていきたい場所があります。
アフリカのバカ族という歌しか持たない少数民族と中国雲南省には歌声で愛を
交信する部族がいるということですので死ぬまでには行きたいと願っています。
私は世の中が右を向けば左を向いて生きてきた人間です。マジョリティーの
波が嫌いでマイノリティー波に乗るのが好きでした。
惰性も嫌いでアーティストが売れて安定したら担当を部下に譲っていました。
本当に自分の感性を大事にするために一匹狼的生き方で過ごしてきたのです。
若い人に見習えとは決して言いません。
誰でもやりたいことをやって好きに生きたほうがいいのに決まっています。
私は音楽プロデューサー以外にマーケティングのセミナー講師です。
過去に大学、市民講座、経営者の会、アパレル勉強会などで実績があります。
しかしコロナがスタートした3年前から依頼が突然無くなりました。
今はほとんど無収入です。しかし復活します。そうして人生を乗り越えてきました。
お金のある時にはお金のある暮らしを楽しみ、貧しくなれば貧しく暮らす。
それだけです。人生なんて深く考えて悩む必要は無いのです。
今は経験と知識を組み合わせたブログ「恩学」を始めて10年が過ぎました。
現在、600作以上の投稿になりました。それに加えて昨年末から毎朝
「一日一枚・一日一言」を投稿しています。
今朝も投稿を済ませて参りました。本日の言葉は「則天去私」です。
夏目漱石が晩年に理想とした境地「私心を忘れて天に従う」です。
四文字熟語から始まるショートストーリーです。朝の最初に見た文字は
記憶に残るから不思議です。良い波動を受け取ってくださいね。
私の経歴「レコード会社~独立~倒産~PC派遣会社~韓国映画~中国~アパレル」
英国へ遊学(何かをしなければならない~手探りの状態)
CBSSONY入社(電話で飛び込む~活躍の場~録音~宣伝~制作17年間)
数多くのアーティストとの関わりかた(彼らは何者か?)
コンピュータが導入されてつまらなくなった(作る興奮がなくたった)
プロデューサーとは(情報・分析・行動・決断)(独自のスタイル)
プロデューサーの時代が終わる(素人でも音楽が作れる)
韓国や中国へ単身乗り込む(映画会社~女子十二学坊)(中国投資失敗)
75歳になっても現役(自分の人生絶え間なく挑戦)
現在に至る(孫世代へ伝言)「SNS・AIに時間を奪われるな~危険な時代」
「昔は白紙の時代~現代は形と通信の時代(孤独)~経済優先(金持ち思考)」
「自分の身の置き場~精神状態~大袈裟に考えるな!~手放す勇気」
現在、高齢者の支援団体、専門学校、環境団体、海外文化交流団体、
北海道地域支援団体、新規事業団体、その他の理事を受けております。
これらは全て無給のボランティアです。
老人としての役目が果たせることが出来ればとお引き受けしました。
私の本職は音楽プロデュースとセミナー講師です。
お声がかかればどこにでも行きます。私の経験が少しでもお役に立てれば嬉しいです。
こちらは有料になります。
それでは第三章をお楽しみください。
3月 10th,2025
恩学 |
未来はいつも音楽に溢れてる はコメントを受け付けていません
3月8日(土)晴れたら空に豆まいて
老人と孫イベント
私は本日過去の自慢話をするつもりはありません。
ただ記録としてお伝えするだけです。
振り返ると全てが縁のつながりから生まれたものばかりです。
打算的ではなく好き嫌いでなく心が感じることを優先しました。
お!心で感じる月並みの答えだなと思われる方も多いかと思います。
それは後ほど詳しくお話をします。
最初にお伝えしたい言葉として「無理は自分で決めた決断」です。
私が工業高校から外国語大学に入った時も、英国から戻りCBSSONYに
入社したのも、アルバイトから制作プロデューサーになったのも、
一般から考えるとあり得ない話でした。
日本の音楽業界へ私がプロデューサーという定義付けをして時代を切り開いたのも
普通に考えると「無理なのです」。
本日参加の若い人に言います。常識で考える「無理」は自分で壁を作り
挑戦から逃げているのです。無理は逆風です。その逆風に乗ると浮かび上がるのです。
有名にも成功者にも簡単になれるのです。そんなチャンスを無駄に捨てているのです。
嫌いなことに時間をつぶすより、好きなことにもっと時間を費やしてください。
私はオーデションに来たアーティストに必ず聴くことがあります。
「好きな音楽と良い音楽と売れる音楽」どの音楽を目指していますか?
これはアーティストがどれを選ぶかが重要なのです。
①好きな音楽と応えた人にはアマチュアでやればいいんじゃないですか?
➁良い音楽と応えて人には音大や専門学校へ行って楽典を学んだらいかがですか?
③売れる音楽と応えて人にはプロデューサーの言ったことは全部従ってくださいね!
と伝えています。
そして「目標と目的の違い」を聞きます。意外とこれに応えられる人は
少ないのですがスターになる人は必ず答えられます。
矢沢永吉も松任谷由実も正しく答えてくれました。
その答えは誰もが知っている「うさぎと亀」に答えがあります。
最後に目標としているアーティストはいますかと聞きます。
その人の何が好きで何に憧れますか?シャウトする歌い方ですか?
弾き語りですか?作詞作曲ですか?それとも音楽性ですか?
それをどれぐらい自分に取り入れていますか?
学ぶは真似るという言葉を知っていますか?
最初はコピーして成り切ることです。そして認められてからオリジナルで
勝負します。それが完成すればレコード会社へ売り込みに行きます。
プロデューサーは売り出しのアーティストを抱えている時は、
そのアーティストのセンス(洋服や持ち物)を自分に取り入れます。
新聞・雑誌・放送局などへプロモーションに行く時印象を強めるためです。
矢沢永吉にも浜田省吾にも久保田利伸にもなりきって行きました。
しかし唯一の例外はおニャン子クラブの時です。さすがセーラー服を着るわけにも
いかず派手なジャケットを着て挨拶回りをしました。
私は音楽業界で初めてマーケティング手法を取り入れたプロデューサーです。
売るためには勢いだけで無く戦略を練って段階的にアプローチをしたのです。
「いちご白書をもう一度」の場合は、
① 大学の映画研究会へ手紙を出して再映推進委員会を設立して
話題作りをしました。委員長は稲葉瀧文です。
➁ 雑誌者を周り、掲載された記事を持って深夜番組に行き毎晩
曲をかけていただきました。
特に文化放送のセイヤング担当の谷村新司さんと
オールナイトニッポンの吉田拓郎さんにはお世話になりました。
② リクエスト順位が上がったところでテレビ局を周り歌番組出演のお願いをします。
CXのヒットスタジオはヒットには欠かせない最強の歌番組です。
④ 最後に映画配給会社ヘラルドへ行き再映の許可を取り付けて鑑賞会を
開催した頃には曲は大ヒットしていました。
⑤ 最後に大手代理店へ行きCM出演の依頼をして完結です。
私の強みは北海道から沖縄までのプロモーションマップを作ったことです。
全国各地の新聞、地元紙、放送局ディレクター、レコード店の店長名、
有線放送局の担当者の名前を書き出してアーティストによっての売り方の
戦略を変えていました。電話一本でお願い出来る状態にしました。
このプロモーションマップを沢山の人が欲しがりました。
それぞれのアーティストの売り出し秘話はまた機会のある時にお話しします。
こういう話を聞いたことがありますか?
白物家電は広島から、お菓子と家具は愛知から、クラッシックは青森から、
歌の上手い人は札幌から、ブルースは大阪、ロックは博多からという
ヒットキッカケの拠点です。これを知っておくことも戦略を組み立てる時には
とても重要です。
先ほどの話「心はどこにある」の続きをします。
日本には人それぞれによって「心」の位置が違います。
はたして心は心臓にあるか?頭にあるか?腹にあるか?
文化人は心臓で、知識人は頭で、武士道は腹で心を捉えます。
文化人は大切なことは湧き上がる情熱だと胸(ハート)を叩きます。
知識人は「知先行後」「知行合一」と言いながら頭を指して言います。
武士は腹をくくれ、腹に力を入れろ、腹に落とし込めと丹田を指します。
そして皆様は音をどこで聞いていますか?耳ですか?
耳はただの集音装置ですよ。最初に入った音を脳が判断して好きか嫌いか
心地良いか不愉快かを判断するのです。その時に脳にある司令塔が素直に判断するか、
世の中がこう言っているからこれは良い音なのだと情報を元に判断して
しまうことです。
そして脳は錯覚の臓器であることを覚えておいてください。
ピアノの音、バイオリンの音、ギターの音、皆さんは周りの人と
同じ音を聴いていると錯覚しているのです。しかし違うのです。
ただ認識がそう捉えているのです。どんな時にも他人の評価など気にせずに
自分の音としてお聞きください。
例えば歯の治療で歯医者へ行き消毒液の匂いを嗅いだ途端に痛みが
取れた経験はありませんか?これは脳が錯覚しているのです。
頭痛薬や打撲などの痛み止めの薬は患部に聞いているのではなく
脳の痛みを感じる部分を麻痺させるのです。痛みが取れたという時は
脳が錯覚をしているときのことを言うのです。
第一章はここで終了です。
3月 10th,2025
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