老いるとは




若い時には想像もしなかったことが起きます。
日常の意識の中心は身体のことばかりになり、
思うように動けない、階段が怖い、トイレが近いなど
特に外出時には気になります。
その上に記憶が曖昧になりハッキリとした思考になりません。
好きなことや美味しいものにまで興味がなくなり、
考えるのは老後の不安ばかりで虚ろな日々になります。

私は大の病院嫌いでしたが身体の不調を解決するために3回施術を受けました。
キッカケは海外出張です。単独でアジアの市場開拓に出かけるために
身体にある不具合を3か所切り取りました。
鼠経ヘルニア切除・腸内ポリープ切除・前立腺切除です。
それによって思うように動けない、階段が怖い、トイレが近いなどの
症状が改善されてコロナ禍に3回もカンボジアへ出かけました。

記憶に関しては毎朝ブログを書いているので心配はしていません。
日課の読書も欠かしたことはありません。
それ以外に毎朝ストレッチ運動を40分ほど行い、ウォーキングを1時間。
電車やバスもなるべく利用して遠回りをして足腰も鍛えています。

脳と身体の健康は個人で改善しなければ解決方法がありません。
むやみやたらにサプリを飲んで高額な漢方薬を飲み健康自慢する人と
私を比べたら姿勢の良さと歩く速さに驚かれます。
それと一番の改善は「贅沢を廃止」したことです。
自戒を込めてこの方法を取り入れました。

高齢者には絶対にお勧めします。若い時には暴飲暴食でも内蔵機能が
元気なために気になりませんが、年齢を重ねると贅沢品が心と身体に
悪いと気づきます。粗食にすると驚くほど健康を取り戻します。
「老いるとは足し算ではなく引き算である」ことを肝に銘じることです。

臨済宗「悟り」について
お釈迦様は八十歳で入滅なさいましたが、クシナガラで涅槃に入ろうと
旅を続けておられる時に、喉が渇いてもご自身が川まで行けない程に
老いておられました。やはり、お釈迦様もお年をお取りになったのです。 
中国の漢詩に『少年老い易く学成り難し』とありますが、
老人となって初めて、なにも成していない事に愕然とします。 

しかし、年を取らないとわからないこともあります。
本当に人間は、病気でも怪我でも災害もその時にならないと
本人が心から認識しないものです。体の何処か痛くてたまらない、
思うように動かない、若い時には想像もしなかった身体の老いです。

老いた時に体も心も固くなる人と、
体は老人だけどでも心は、柔らかい人がいます。 
不思議なことに老人になると、個人差が大変開きます。
同じ年齢なのに体も心も人によってかなり違います。
どうしてでしょうか。体も老い、心も気持ちも頑固になって
人の言うことを聞かない人。

それに比べ、心爽やかな、年輪を感じる人もいます。
自分が老人になって、心が傲慢に独りよがりなっていないか。
人の親切な忠告をよく聞けているか。正しく物を見ているかと。
自分が自分自身に気づいているでしょうか。

臨済宗の悟りは、気づくことです。自分が自分に気づく。
何歳からでも良いから自分の周りに自分以上のもっと大きな存在があって、
自分はそれに生かされ、生きている事に気づく。
心静かにおかげさまを感じながら感謝や仏心を持って、暮らしたいものです。 

しかし、年齢を重ねたのに仏心に気づかず、気も止めないで現実の
お金や物に振り回され、波の様に押し寄せる情報に右往左往して
おられる方もおいでになります。『人間の寿命は有限です。
でも、人間の幅を増やすことは無限に可能です。
有限な人生を無限に生きるためには、人間の幅を広げることです』

そしてその窓口は、皆様の菩提寺ですし、本山や菩提寺のご住職なのです。
どんな仕事もプロが要る様に信心にもプロがいます。
プロのご住職に聞きましょう。スマホやネットでは無く、参拝しお寺で
心の幅を広げましょう。ご住職は、法事やご葬儀だけで無く、
一人でも多くの人に禅を伝えようと日々貴方を待っておられます。
年を取って、残された時間を思う時、大切な時間を信心に割きたいものです。

私は今年76歳になります。
色々な企業やNPO法人などの理事を務めております。
ほとんどがボランティアなので収入はありません。
しかしお声がかかれば必ずお引き受けさせていただきます。
私を必要としてくれる方がおいでになるというのは有難いことです。
私の願いは人に役立つことが一番です。
それにこたえるためには心も体も健康でなければなりません。

そして現役のプロデューサーとしても活動を続けています。
若いアーティストの才能を見つけ出し育てることが生き甲斐です。
音楽の捉え方、生き方、情報発信性、メッセージの時代性などと
時代にぶれない心構えを教えています。

現在ロックシンガーの伊丹谷良介のプロデュースを手掛けています。
76歳のプロデューサーが51歳のロックシンガーを世に出そうとしています。
音楽業界初の出来事です。ヒット曲が出ればギネスに認定されると思います。笑い

昔、20代の時に矢沢永吉の担当をしていました。
コンサートや取材の時に、
矢沢は「60~70になっても武道館でコンサートをやる」
この一言に自分も「60~70になってもプロデューサーをやる」と
言った覚えがあります。
当時はロックアーティストの限界は30代までと言われていました。
勿論、音楽プロデューサーの限界も40代までと言われた時代です。

2人ともいまでも現役でロックシンガーとプロデューサーで活動しています。
勿論、矢沢と同列におくのはおこがましいのですが、
私も矢沢も1949年生まれの76歳です。昔では考えられない年齢です。
しかし上には上がいます。
英国のロックバンド「ローリングストーン」は80歳越えの現役です。
現在世界ツアー中です。新曲も発売されました。

米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春」に書かれている言葉です。
「人は年を重ねたから老いるのではなく情熱を失った時に老いる。
20代の若者でも情熱を失った時に老いていることになる。」

現在、様々な団体の理事をお受けしていますが、その中でも最近特に
力を入れているのが「世界動物かんきょう会議」と「老人と孫」です。
未来に生きる子供たちに美しい環境を残すために、
未来に生きる子供たちと平和を一緒に作り出すために、
培って来た経験と叡智をそして人脈を惜しみなく提供するつもりです。

私は老いてますます盛んです。
常に未来に目を向けて生きています。


この世とは




あの世(死後の世界)とこの世(現生の世界)
あの世を知るためには仏教を学ばなければなりません。
この世を知るためには哲学を学ばなければなりません。
この二つの世界を行き来するには感知能力が必要です。
多くの学問は文字を見て覚えることから始めます。
感知能力は何もしないで座ったままでするのです。
禅の世界の「只管打坐」は余念を交えず、ただひたすら座禅することです。

我々人間が現在暮らしていると思っている(認識している)世界、
または、その認識。日本語では「顕世(けんせ)」とも読み書きし、
「この世」とも言い換えられる。
仏教用語としての「現世」は「げんぜ」とも読む。
自身が輪廻転生していくなかで今生きて属している(生を受けた)
この世界のことを指す。彼岸に対する此岸。
現世に対置される世界としては、仏教では、前世、来世(それに加えて
地獄が語られることも)。

神道では常世・常夜(とこよ)、幽世・隠世(かくりよ)などがある。
キリスト教では、天国、地獄(陰府)などがある。
神道では「現世」と書いて古語としては「うつしよ」と読み、
この世や人の生きる現実世界を意味する。それに対峙して、
常世(とこよ)いわゆる天国や桃源郷や理想郷としての神の国があり、
常夜(とこよ)と言われるいわゆる地獄としての死者の国や黄泉の国と
捉えている世界観がある。

ただし、常世と現世として二律背反や二律双生の世界観が基本であり、
常世・神の国には2つの様相があり、このことは常世(常夜と常世は夜と昼とも
表される)が神の国としての二面性を持つことと、荒ぶる神と和ぎる神という
日本の神の2つのあり方にも通じるものである。

古神道の始まりといわれる神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)信仰の森林や山・
岩などの巨木や巨石は、神の依り代と同時に、籬は垣(かき)の意味で磐座は
磐境(いわさかい)ともいい、常世と現世の端境を表す神域でもある。

神社神道においても鎮守の森や植栽された広葉常緑樹は、神域を表すと同時に
結界でもあり、常世(神域)と現世の各々の事象が簡単に行き来できないように
するための物であり、禁足地になっている場所も多い。

また、集落につながる道の辻に置かれる石造の祠や道祖神や地蔵なども、
厄除けや祈願祈念の信仰の対象だけでなく、現世と常世の端境にある結界を意味する
といわれる。現世における昼と夜の端境である夕刻も常夜との端境であるとも
考えられ、この時分を「逢魔時(おうまがとき)」といって、
現世に存在しないものと出遭う時刻であると考えられている。

仏教における「三世」の一つであり、前世、今世、来世 のうちの今世に該当する。
また、時間的な前後は別として、浄土教では「厭離穢土・欣求浄土」の概念がある。
「穢土」とは「穢(けが)れた世」という意味で、現世にあたる。
『金剛般若経』では「一切の有為の法は、夢幻泡影の如し」とあり、
現世を夢幻、泡のように儚いものとして把握していたことが窺える。
このように仏教では現世を否定的に捉えていた。

長岡美妃医師投稿
「この世」は、なんて掴みどころのない世界なんだろう・・・。
真実は目に見えず、耳で聞こえず、鼻で嗅ぐこともできず、
舌で味わうことも触れることもできない。
まるで雲の中にいるような輪郭のない世界、それがこの世界。
灼熱の砂漠で見える蜃気楼を実在と思い込み、有りもしない存在に
右往左往されながら生きる人間模様。

自分が見ているものに真実は一切ない。正誤、善悪は元より、
生死を分つ存在すら実在ではない。
雲のように、あったと思った次の瞬間それは消えてなくなる陽炎。
人生は長い旅路だと言うが、そんなものは瞬間の点のような出来事である。
そしてその点すら、実在ではないのだ。

人は世界の儚さを無意識深く知っているが故、
執着という接着剤で世界を確かなるものにしようとする。
しかし実在なきものを止めようとする行為は、
四苦八苦を人に与える結末になる。

いつまで人は四苦八苦のループの中を彷徨のだろうか・・・
それは人が「世界は実在ではない」ことを見抜く眼を開くまでであろう。

時代が人類にwake up callを投げている。
VR-AR-MRを人々が当たり前のように使い始めた時には、
どんなに現実にしがみつきたい人々も
「世界がコンピューターシミュレーション」
となんら変わらないことに気が付くだろう。

「実在でない世界を、実在以上の奇跡として思いっきり生きていけ!」
これが未来世界の合言葉!

如何でしょうか?
消化器外科医長岡美妃は医師と言う立場の中で常に人間の行く末を考えている。
そして令和の哲学者は「世界は実在ではない」と言い切る。
実在の反対は架空である。架空は実在しないことを意味する。
令和哲学主宰者ノジェス氏(来日29年)と共に歩む。
令和哲学カフェ、アモールファティ、BEST BEINGなどの活動を行い、
日本文化の意識から世界を変える活動を行っている。

私も私塾で「恩学塾」「男塾」「経営塾」などを開催したことがある。
今でも「恩学」のタイトルでブログを発信している。
この世に生があるうちは書き続けようと思うが間もなく666作になる。
ときおり全国の読者からお褒めの言葉をいただくので終了のタイミングを失った。

昨年末からは「一日一枚・一日一言」を毎朝投稿している。
土日も休まず投稿しているのですでにあっという間に70作を超えた。
老人が出来る最後の御奉公だと早朝に文章を書いている。
夜と昼の結界の時間である。

本日の「この世とは」いかがだったでしょうか?
あの世を知ってこの世を大切にお過ごしください。


脳は錯覚の臓器である




五感で認識すること全てが真実の出来事と勘違いをしている。
自分の意識を中心に見るもの聞くもの味わうものは直感的で現実だ。
しかし多くの人は教育で受けた人間の意識を元に全てを判断する。
たとえば「羞恥心」という言葉がある。
恥ずかしいという意識はどこから生まれるのだろうか?
江戸時代は一般の風呂屋で男女温浴は当たり前の風習があった。
女性が裸を見せることは「羞恥心」の領域では無かった。
勿論、武家や商人の金持ちは自宅風呂だったので人前で裸になることは無かった。

国や宗教や民族の掟からそれをしてはいけないという戒律がある。
イスラム教では女性は顔を覆い尽くすヒジャブを被り男たちの奴隷になる。
12歳を超えたら女子の教育は禁止される。日常会話と計算ができれば終わりである。
この掟を破ると街中で男たちに囲まれて鞭で叩かれる。
我々の常識から考えられない国が存在していることを知るべきである。
その真実を、その映像を見なければ脳には何も影響がないが
知ってしまったところから脳が勝手に判断をする。イスラム教徒は野蛮だ。

学校の教育で受けた知識が体を縛り付けて自分の意識と違うところで行動する。
自分の意識は自分で見つけなければ人間社会からはじかれる。
この意識が見つけられないからいつしか周りに流される人生が始まる。
一番恐れるのは怒りの発散する姿が想像をできないことである。
脳が「争いから生まれる解決方法はない」と勝手に制御するから、
無能な国会議員たちの不正の怒りをどこにぶつけて良いのかが分からず
民衆は財務省の前で右往左往するだけになっている。

ゲシュタルト崩壊・・・女性医師長岡美妃
バリのウブド、ベリーダンスのリトリートでの出来事だった。
「鏡の前で一番セクシーな顔、セクシーなポーズをして立つ。
そして5分間、その顔を見つめなさい。」

はじめは恥じらいや照れ臭さが脳を占めていたが、時間が経つにつれ
その考えに留まっていられなくなっていく。
そして鏡の中の自分を見つめることへの集中が高まる。2分経過、3分経過、
脳は私の姿形の全体像を捉えられなくなり、目の前の私が私ではなくなっていく。
「あなた、誰?」こちらをじっと見つめる鏡の中の私に尋ねる私がいる。
この時がデカルトの言う「我思う、ゆえに我あり」の我がベールを
潜って出てきた瞬間なのだろう。

小さな身体が私だと思っている。また小さな身体の中から世界を見ていると
思っている。しかしそれは錯覚であり、自分の身体を含む世界、
それを見つめている意識だけがあった。
世界とは鏡に映し出された模様であり、言語機能を持った
意識は鏡の中の模様を切り取り、各々に名前をつけて分割していく。

では「世界を映し出している鏡とは何か?」である。
意識が鏡を見つめている、と言ったがそれは本当だろうか・・・
いや、そうではない。それもまた錯覚であり、実は鏡そのものが
意識だったことに気づく。鏡に映る存在の最小単位の点が眼であるかのように、
存在の深淵から世界を観ている。つまり、意識即存在、存在即意識なのだ。

こうしてみると人間は幾重もの錯覚に陥っていることが分かる。
この深い錯覚世界の中では、自他の分離があり、身体の私がいるという
強烈な思い込みが起こる。
その為、私という存在は存在孤独と存在不安に陥るのだ。

大雑把な五感覚と言語のトリックを見破る時、人間は錯覚から
目覚めることができる。その為には「存在の最小単位」=「言語(要素命題)の
最小単位」を知ることなのだ。

21世紀になった今、その新学問が完成した。
それこそ、私たちがBest Being塾で伝えたい「認識技術 nTech」なのだ。

視覚で捉えたものを脳が認識をして判断する。
全ての人が同じ対象物としてとらえているわけでは無い。
信号機の赤や青・黄色も色盲の人には違う色に見えているだろうし、
虹の色も我々は七つと教えられているので七色の虹と認識するが、
海外では五色に見えたり、三色にしか見えないということもある。

言語も同じように脳で捉えるのだが発音によって感情の錯覚がおこる。
初めて韓国や中国へ行った時にこの国の人達は不機嫌な人ばかりだと勘違いした。
韓国語のパッチムの発音はとげとげしく、中国人のところ構わずに大声で叫ぶ
声は五月蝿いだけであった。
逆に海外の人達から見たら日本人はみなひそひそ話で、他人の悪口を
言い合っているように見えるらしい。

脳は一定の情報量で判断するので教育や暮らしの中から得たデーターで分析をする。
これは人工知能AIと同じである。過去のデーターの分析で判断するから
認識が間違うと危険な答えが出てきてしまう。
アメリカで空港や政府機関の出入りに顔認識機能を取り入れたところ、
白人より黒人の方が、警告音が出てしまうという統計が出された。
白い肌は安全で黒い肌は危険と認識しているからである。

人間の能も同じように統計的の答えを出してしまうのだが、
科学者や芸術家や設計者は統計に逆らえる能力を有している。
自分の能に知識より感覚で捉えることを優先させているからである。
SNSを頻繁に見ている若者たちや一般人はフェイクと分かりながらも
いたずらに拡散してしまう。脳がうける話に逆らえないからである。
常識ある大人は自分の興味のないところに手を出さない。
子どもは欲望でモノを欲しがり大人は必要なものを欲しがる違いである。

子どもがおもちゃ売り場で駄々をこねるのは本人の欲望を訴えたら
親がそれにどう反応するかを経験値として取り入れているのである。
これが成功すると子供は我儘なままに育ってしまう。
デジタル社会になり子供たちが簡単に犯罪や薬物や詐欺行為に加わるのも、
謝れば大人は赦してくれると勘違いしているからである。

脳科学者中野信子
「残念な脳」というのは、学校の成績や学歴とは別な問題です。
もちろん、ある程度は個人差もありますが、知性とは何か、もしそれを得たいと
思ったなら、どうすればいいのか・・・
退場な脳を持った私たちには、一生の課題かもしれません。

書いてあることを正確に読み取れないのも、快楽に溺れて冷静な判断ができなく
なるのも、たしかに「能のせい」ではあります。努力すれば改善するかというと、
もちろん限界もあります。これは、必ずしも「あなたのせい」とは言い切れない。
努力できるかどうかも人によって差があります。
そもそも人間には、毎日毎日24時間努力し続けるということは難しい。
努力し続けることが寿命を短くする可能性さえ指摘されているくらいです。

どんなに恵まれている人でも、天才でも、富裕層でも、脳内における快楽の仕組み
というのはそう変わらないというのはある種の福音かもしれませんね。

苦しい時にはだれでも苦しい。幸せな時にはだれでも幸せです。客観的な
物質の多寡にはよらず、脳内の化学物質のダイナミクスで決まるものですから、
外から見た境遇と、内的に感じている幸不幸は一致しないこともしばしばです。

「脳は錯覚の臓器」である。錯覚しないように注意して下さい。


うたライブ自然




「自然」がテーマの時に伊丹谷良介と新曲の話し合いをしました。
その中で初めてライブでカヴァー曲を採用しました。
我々がこれしかないと選んだ曲がボブディランの「天国の扉」でした。
私の友人が環境問題を取り上げた一冊の本を出版したことも大きな要因です。
その本のタイトルは「どうぶつに聞いてみた」アニマルSDGsです。
人間の暮らしをよくするために自然界ではたくさんの犠牲が払われています。
その商品を製造販売している会社も購入している消費者も同罪です。

昔から善い人は天国へ悪い人は地獄へ行くとされていますが、
本当に我々現代人は天国へ行く資格を持っているのでしょうか?
西洋的な考えの天国ヘブンと東洋的な考えの涅槃(ニルバーナ)です。
偶然ですが、この歌は伊丹谷良介が高校生の時に初めて覚えた曲と、
私がロンドンの地下鉄で歌った曲もこの「天国の扉」でした。
今回は作詞家である私が日本語詞とナレーション文章を担当しました。

昔は死ねば誰でもが天国に行けるという定説がありました。
それが人類は自然界から受けてきた恩恵を忘れてしまい、
我が物顔で大地を掘り返し森林を伐採して地下の資源も使い果たしてきました。
その上に多くの動物を殺して食糧や衣服として使用して、用がなくなれば
燃やしてしまうという愚行を繰り返しているのです。
我々の快適な暮らしは多くの自然界の犠牲から成り立っています。
あらゆる犠牲に対して謝罪も感謝もなく搾取つづけているのです。
このままじゃいくら祈っても神様は天国の扉を開けてくれません。
いくらノックしても天国の扉は開かないのです。

毎回ライブ終了後のアフタートークでお客様と対話をします。
今月のテーマ曲はいかがだったでしょうか?から始まります。
伊丹谷良介のロックサロンはメッセージと歌声による対話の場です。
この日は中国の仲間たちも多数参加してくれました。
右脳と左脳を大いに刺激したことだと思います。歌声には国境がありません。
人々の心にも国境が無いのです。そして鳥たちにも国境は無いのです。
この活動を日本から中国へと広めていきたいと思います。
何故なら日本文化のルーツは中国にあるからです。「恩」は返さなければなりません。
ジエッカさん、ざやさん、ちょうくん、しゅうさん、お友達に拍手をお願いします。

日本の伝統文化と自然
日本の伝統工芸には西洋工芸にない異質性があります。
純化され切った感、突き抜けた感、浮揚した感、超自然感・・・。
理屈では説明できないなんとも言えない特殊性が宿っています。
それは数学的な世界観がベースの西洋人には「何か得体の知れないもの」
として伝わっているように思います。

実際欧州に住んでいて分かるのは、「日本」の立ち位置は、かなり特殊である
ということ。欧州人には神秘的に写っているということです。
ではどうしてそこまで違って写るのか。哲学的に分析するなら、
やはり「人・文・知」のあり方の違いではないでしょうか。
西洋知と比較して、明らかに日本知で際立っているのは、自然との「対話」の
在り方ではないでしょうか。日本の方が自然との距離が近い、逆に西洋は理性
(アカデミズム)を介在させる。日本知には体系化された座学はない。
実感ありきである。

そして工芸単体では成立せずに、生活様式の美しい在り方の追求に
捧げるためのものである。この生活様式の美しい在り方の追求したもの、
西洋的にいうなら「美学」が、茶道、華道、書道、そして武士といった
「道学」である。そしてこれらの統合したのが宗教であり、それは向こう側への
世界に繋がるための方法。いわゆる彼岸の世界、桃源郷、真美真実の宿る世界。
超自然が、この「向こう側」で西洋と日本では大きな違いが生じます。

一般的に寺院建築は、普通「反り(そり)」屋根ですね。
反りの反対は、桂離宮の屋根で有名な「起り(むくり)」屋根です。
自然の風景の中に荘厳さと風格(安定感)を創り出す建築手法です。
もともとは中国の寺院から起こった建築様式です。

古代の音楽を追求すると自然界の物で石や木を叩くから始まり、
幽玄的な音を作るために太鼓に皮を張り叩き、響板に絹糸を巻き付けて弾き、
竹に穴を開けて吹く、そこに人間の声が重なり、日本の音楽が始まったと
思われます。幽玄的な舞も取り入れた雅楽の始まりです。
ルーツは中国大陸や朝鮮半島からきた演奏スタイルです。
そして西洋科学が理論的に音色を創り出し多くの楽器を生み出してきたのです。
特に金管楽器のホルンやチューバ・フルート・トロンボーンなどです。
それは宗教的であり一部の貴族たちのための娯楽として取り入れられてきた。
しかし一部は戦いのためのマーチとして世界中の軍隊が取り入れたのである。

先祖代々自然と共に歩んできた先人たちの想いが西洋文化に侵食されて
近代化という化け物の中に取り込まれてしまったのである。

先日友人のエンジニアと話をしていて驚いたことがある。
最近の若者はレコーディングという作業を知らないというのです。
スタジオにミュージシャンが集まって譜面を見ながら一斉に音を出して
作ることは過去の行為であると思ってしまっている。
その為にスタジオミュージシャンという職業も無くなってしまった。
自宅録音で簡単にグループ演奏が作れるというからである。

他人とのコミュニケーションが無いので気が楽だというのです。
その上にお酒の飲めないロックアーティストも増えてきました。
ロック本来の姿は社会や体制に対してメッセージを送ることでした。
世間から異端児扱いされてきたロックアーティストはいなくなってきたのです。
コンピューターによって一流の音がフリーソフトで提供されているので
古い精神論から蘊蓄を垂れるプロデューサーは不要になったのである。

1987年ごろに音楽の世界にコンピューターが入り込み大幅に録音スタイルが
変わりました。人間の判断は不要になり全てメモリー任せで行われてきたのです。
しかし音楽のスタイルは変わっても人間の心までは変えることは出来ませんでした。
田舎くさい韓国のドラマや、祭事用に使われてきた中国の民族楽器が、
日本でこれだけのヒットになったのは何故でしょうか?

私は究極の素人なのかも知れません。専門家の人たちが勧めるものを
全て鵜呑みにして信じることができないのです。
自分の目と耳とで確かめなければ取り入れることはしません。
韓国で映画配給会社をつくり中国で音楽事務所を作り、そこでも
ヒット作品を生み出したのです。

人間は頭も使い、心も使い、言葉も使い、道具も使います。
自然界はもう我慢の限界です。
動物たちも生態系を壊されて人間の生活圏に近づいて来ています。
27年前から世界動物かんきょう会議というチームがあります・
「アニマルSDGs18番」動物思考によるサスティナブライフデザインを
考える時期に来ています。
私はそのチームの役員として活動を開始しました。
伊丹谷良介とともに音楽による貢献を果たすつもりです。
私の経験が活かされて世界に「We are the one」を鳴り響かせてみたいと思います。


青年への教え




ある若きバレリーナに対しての助言より

言葉の重みを感じる大人になりなさい!
言葉を大切にする人は良い言葉の重みを感じる事ができる
しかし言葉に鈍感な人は良い言葉を聞いても羽のように軽い
重みを感じる言葉はいつまでも心に残り忘れることはない
重みのある言葉をいくつ言えるかが成熟した大人の証なのだ
バレエも同じように上手な人ほど重力を感じている
何故か下手のバレリーナは技術に捕らわれて重力を無視する
重みを知っているからこそ鳥のように舞う事ができる
我々は地球の上に暮らしていることを忘れてはならない
尊い重力の中で生きているのだから

生きる目的!
人それぞれだから他人が言うことを気にしなくても良い
教師は検定を受けた人で必ずしも経験者では無い!
その方達は能力育成ではなく統率することが仕事だ
プロとしての練習の辛さや技術を取得したものでは無い
苛酷な社会を生き抜いてきた経験もない
しかし蔑視したり無視したりしてはいけない
常に自分の身体に忠実であれ!
あなたの生きる目的を明確にして忠実にその道を歩のだ

他人と比べる!
周りの生徒と同じレベルに合わせる必要はない!
バレリーナとして心身ともに活躍できる時間は短い
自分の意識が高い内に、体力が限界に臨めるうちに
無謀と言われても挑戦をしなければならない
その分だけ世間から抵抗は受けるが笑って聞き流す
しかし自立はしても孤立はしてはならない
孤立からは集団演技が生まれて来ない
引き込む力を養いなさい

一人で歩き出す!
海外のオーディションを受け続け自分の適性に合ったところを探す
コミュニケーションの為の語学は後でついてくるので気にすることはない!
多国民族で構成されているので正規の文法まで正しく言う必要は無い
要するにパフォーマンスは万国共通である事がポイントである
それを苦痛では無く笑顔でやり過ごすことが一番難しい
肝心なのは日本の文化を正しく伝えられるかで教養が判断される
日本人のバレリーナを自覚して世界へ向かって歩き出して欲しい

うまくと上手になる!
上手(うまく)くなる必要はないが上手(じょうず)になる必要はある
うまくなるは他人と比べて言う言葉で気にすることは無い
誰・誰よりもうまくなったと言われても正しい評価ではない
自分が望む技術に対しての評価なら受け入れる
しかし上手になると言うことは手が上に向く技術の向上を言い
そうあなたの手が上に向くように努力する事が上手になる方法である
上手になれば舞台の上手(かみて)に立つこともできるようになる

ここからは言葉の捉え方を教えました
バラバラが良いんだ!
養護施設の園長がスタッフを集める時に言っていた言葉
子供好きな人ばかり集めると現実社会へ出て行った時に対応できなくなる
親から捨てられた子は甘えのない強い子に育てなければならない
そのために敢えて子供嫌いな人を数人・入れ込んでおく必要がある
優しい人の保護から甘えの意識が芽生えてしまう。

公平と平等!
差別のない国作りはあり得ない
人間は生まれた時から差別を受けている
たとえば双子の子は先に取り上げられた方が長男か長女になる
誕生が同時刻でも次に取り上げられれば次男か次女になる
その時点で家族内の待遇が変わる
背の高い人と背の低い人が並んで立っている
低い人の下に台座を置いて高い人の高さに合わせる事が公平で
両方の足元に同じ高さの台座を置く事が平等である
だから所得の少ない人に平等に義援金を配る発想はあり得ない
政府は綺麗ごとばかりで現実の対応が出来ていない証拠である

チャンスChanceとチェンジChange!
二つの単語の違いは一カ所cとgの部分である。
GはCにtの文字が載っていると言われています。
Tはtimingのtである
チャンスとチェンジにとってタイミングが重要だと言われています。
チェンジからチャンスに向かうか、チャンスからチェンジに向かうかは
あなた次第です。タイミングを外さないことが大切です。

親という字と親切とは!
親と言う字は木の上に立ち見守ることをいう
常に不安定な状態で子供をハラハラしながら見る
子どもが心配をかけるのは仕方ないことなのである
それが親の務めだからです
又親切は子供が親を切ることをいい親から自立することである
親子はある時期から離れる事が正しい
反抗期はそれの表れでいたずらに騒ぐ必要は無い
子どもを手放さない親は最悪な親である
大学生になっても一緒に風呂へ入る親子がいるが
子どもを手放さない親は子供を殺しているのと同じである

成り切るとは?
禅寺の教えに「もの」に成り切れという指導がある
例えばトイレ掃除は便器になりきれという教えです
モップで上辺だけを綺麗にすると言う意識を捨てて
便器に雑巾で手を突っ込んで掃除をしろという事です
トイレの気持ちになれば洗剤をかけて
モップで顔をごしごし洗われても
喜ばないし綺麗にはならない
箒で庭の掃除をするときにもただ掃くのではなく
塵取りの気持ちになって
小石の間に挟まったごみを取り除けと言う教えです

価値の位置!
どこの位置に価値基準を置くかが重要
沢山の情報社会にいると勝手にレールを引かれて生きていかなければならない
その沢山のレールの乗り方を間違えれば人生から転落する恐れがある
自分の生き方が決まっていると最適なレールを選ぶ事ができる
早く目的に到着することではなくて自分に合ったスピードで到着すれば良い
夢の計画を立てながら目標の位置に印をつけて目的に向かう
マイルストーンは時間に添った計画表である

恐れない!
「人」と描いて「他人」という意味のこの国は
ヒトを恐れて生きてきたけれど「人」の「間」にあるものは
不安や恐れじゃなくて愛だと子供達に教えたい
「何か」が終わってしまったけれど
それは同時に「何か」が始まって
「始まり」はいつでも怖いけれど
だからこそ「僕ら」は手を繋ごう

私のブログ「恩学」にはこのような文章が600以上あります。
機会があればお読みください。
最近ではFBとInstaで「一日一枚・一日一言」を始めました。


友情とは




「友」とは語源からお話しましょう。
人間関係の基礎となる「友」という言葉。この漢字一文字には深い意味が
込められており、日本の文化や社会において重要な役割を果たしています。
常用漢字「友」の起源から現代における使われ方までを深掘りし、
その魅力を探ります。

漢字「友」は、古代中国にその起源を持ちます。「右手」と「又」(または)の
組み合わせで、「手を携(たずさ)える」という意味があり、
互いに支え合う関係性を象徴しています。
この漢字は、信頼と協力の精神を表しており、古来より
人々の間の絆を意味する重要な文字として使用されてきました。

「友」という漢字は、「友人」や「友達」として、親しい人との関係を示す
言葉として用いられます。また、「友好」や「友愛」といった言葉にも
見られるように、国家や集団間の良好な関係を指す場合にも使用されます。
心を寄せ合う、信頼し合う、共に時を過ごすといった意味合いを持ち、
日本語における人間関係を表す上で欠かせない漢字です。

小説における「友情」を描いた作品をいくつか紹介します。
太宰治(だざいおさむ)
冒頭の「メロスは激怒した」のフレーズが有名な『走れメロス』は、
太宰治の代表作の一つであり、国語の教科書にも収録されました。
『走れメロス』は、人間の根底にある心理を巧みに描きながら、
信頼とは何かを問う物語です。まずは、あらすじを簡単に解説していきます。

妹の結婚準備のためシラクスの市を訪れたメロスは、人づてに聞いた国王による
残虐な行いに激怒し、城へ乗り込みます。
王に歯向かった罪で、メロスは処刑されることになります。
メロスは処刑を受け入れるものの、妹の結婚式のため3日間の猶予がほしいと述べ、
親友のセリヌンティウスを人質にすることを提案し、認められます。

そして無事に妹の結婚式を見届けたメロスは、親友の待つ城へ向かって走りだします。
肉体的疲労や自身との葛藤、度重なる障害を乗り越えて約束を守ったメロスの姿に、
王は改心します。親友の為に命を投げ出すセリヌンティウスに頭が下がります。

処刑場でセリヌンティウスの縄がほどかれた後、メロスは途中で約束を
諦めそうになったことをセリヌンティウスに伝え、自分を殴ってほしいと頼みます。
うなずき、友の頰を力いっぱい殴ったセリヌンティウスも、メロスを一度
疑ったと告白し、同じく自分を殴ってほしいと彼に頼みます。

お互いを殴り合った後に「ありがとう、友よ」と言って抱きしめ合う
2人の姿を見たディオニスは改心し、自分も仲間に入れてくれるよう
お願いしました。
そしてそれを聞いた群衆は、「王様万歳」と歓声を上げたのでした。

陳寿(ちんじゅ)
桃園の誓い(とうえんのちかい)は、桃園結義(とうえんけつぎ)とも称され、
『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、
宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、
生死を共にする宣言を行ったという逸話のことである。

これは正史の『三国志』にない逸話であって創作上の話であるとされており、
劉備が2人に兄弟のような恩愛をかけ、関羽・張飛は常に劉備の左右に侍して護り、
蜀漢建国に際して大いに功績があった、という史実に基づいて作られた逸話である。

我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、
心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、
下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、
同年同月同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。

シェイクスピア
『ヴェローナのニ紳士』はイギリスの代表的な劇作家シェイクスピアの作品。
16世紀末に制作された。ヴェローナの二人の紳士は親友だ。
一人がミラノへ旅立つ。もう一人は恋人のためにヴェローナに留まろうとするが、
まもなくミラノへ旅立つ。
二人の紳士はミラノ公爵の娘に恋する。すでに恋人のいる紳士は、彼女への愛と、
親友への友情を犠牲にして、公爵の娘にのめり込んでいく。
その果てに待つものとは・・・。

プロテウスの父は、プロテウスの将来を案じている。
(この時代、旅には人を成長させる教育の役割があると考えられていた。
10代の若い貴族が特に教育の重要な段階として旅にでた)。
プロテウスの父はプロテウスを旅にいかせて、成長させるべきだと考えた。
 
そこで、プロテウスの父はプロテウスをミラノへ旅させることに決めた。
プロテウスはジュリアへの未練があったが、しぶしぶ旅立つことに同意する。
ジュリアとは、変わらぬ愛のしるしとして、指輪を交換する。
(長文のために一部割愛した)
プロテウスは男装したジュリアと会う。「彼」がジュリアだと気づかない。
シルヴィアに贈り物を渡してほしいといって、変装したジュリアに指輪を渡す。
それは、かつてプロテウスがジュリアと愛を誓いあった時に交換した指輪だった。
ジュリアは深く傷つき、そのまま言う通りにしようとして、これを引き受ける。
だが、それでもプロテウスを諦められなかった。
ジュリアは言う通りに指輪をシルヴィアのもとにもっていく。
 
だが、ジュリアはシルヴィアにこの贈り物を断るよう仕向ける。
正体を明かさないまま、これがプロテウスへのジュリアという女性のプレゼント
したものだったことを知らせる。シルヴィアはそれを聞いて、指輪の受け取りを
拒否する。
 
シルヴィアは友人とともに、マントヴァへの移動を開始する。
だが、森を通っている時に、上述の無法者の集団に捕まる。友人は逃げてしまう。
公爵はシルヴィアがいなくなったのに気づき、捜索隊を組織する。
プロテウスとトゥリオ、変装したジュリアがこれに参加する。

そこに、公爵やトゥリオたちがやってくる。トゥリオはシルヴィアを
自分のものだというが、ヴァレンタインの威勢に怖気づく。
公爵はヴァレンタインに頼もしさを感じて、シルヴィアとの結婚を許可する。
ヴァレンタインとシルヴィア、プロテウスとジュリアの結婚式が行われることになる。

友情にまつわる話は古今東西山ほどあります。
思春期から青年期には
同性の友と夢を語り合い、
異性の友には人生を語ります。

手紙しかなかった時代に想いを伝える時に重宝だったのが「詩集」でした。
最近ではどこの本屋でも見かけることがありません。
ゲーテやハイネ・牧水を愛読していた私にとっては寂しい限りです。
音楽が一般に普及していなかったころは「歌声喫茶」へ出向く人と
怪しげな「ジャズ喫茶」へ出向く人と二派にわかれていました。

私は後者で友と連れ立って初めて聞くジャズの魅力に取りつかれました。
飲めないウイスキーと苦手な煙草をくゆらせて
訳の分からないデカルト・ショウペンハウアーを読み、大声上げて学生街を
「デカンショウ、デカンショウで半年暮らせ、あとの半年は寝て暮らせ」と
肩を組みながら練り歩いたものです。


人は3回生き返る




アーティストの伊丹谷良介から紹介されてNetflixでプレスリーの映画を見た。
タイトルは「リターン・オブ・キング・エルビス・プレスリー」
その中で「人は3回生き変える」と言う言葉が気になった。

プレスリーの場合は、
①デビュー(動きが卑猥と禁止された)&入隊(髪型の変化)<断念>
②映画トム・パーカー大佐(歌手よりも俳優で儲けようとした)<無謀>
③復活1968年NBCテレビ特番(歌手として復活)<復活>

世界史上最も売れたソロアーティスト、エルビス・プレスリー
(以下、エルヴィス)。彼がいなければ、ビートルズも、クイーンも
存在しなかった。 そんなキャッチコピーに惹かれて観劇した
映画『エルヴィス』。プレスリーという名前は誰もが知るところだが、
ビートルズやストーンズ以降のロックアーティストに比べると、
それ以前を生きたプレスリーを深く知ろうとすることはあまり
無かったように思う。

エルヴィスは黒人に対する人種差別が当たり前のようにあった時代、
ミシシッピ州の黒人居住区にある貧しい白人専用住宅で育った。
映画の中でも描かれているが、エルヴィスのコンサート会場が
白人エリアと黒人エリアに明確に分けられていたそんな時代だ。
いまとなっては信じられないが、黒人が聴く音楽は「公序良俗に害するもの」
としてオミットもされていた。そんな時代にエルヴィスは、
黒人カルチャーの中でブルースやR&Bを浴びるように聴いて育っていく。

そんなバックグラウンドを持ち、黒人音楽であるブルースやR&Bと
白人音楽であるカントリー&ウエスタンを融合し、それまでになかった
斬新な音楽スタイル・ロックンロールを生み出していく。
エルヴィスの中では肌の色の違いにこだわりなどなかった。あったのは自分の音楽
スタイルで歌うのだという強い意志と、それを表現する圧倒的な才能と情熱だ。

エルヴィスが最初にレコーディングし「サン・レコード」からリリースされた
「That’s All Right」。68年の時を経て最近オフィシャルのミュージックビデオが
公開された。
また、それまで見たこともなかった扇情的な腰の動きをさせながら 
オーディエンスを煽っていく姿に、女性たちは歓喜し熱狂した。
興奮したファンが下着を脱ぎステージに投げ入れる現象も巻き起こした。
そんな熱狂が瞬く間に全米へ広がるにつれ、センセーショナルすぎる
ロックンロールと腰振りダンスは大人社会の大きな反発も生んでいく。

また白人が黒人の音楽を歌っているというだけで、テレビ局や保守的な団体、
政治家などから激しい批判を受けたり、エルヴィスのパフォーマンスが
猥褻であるとしてPTAや警察から公衆の前で歌うことを禁止されたりもした。

しかしエルヴィスは自分の信念を変えず、自分だけにしかできない
ロックンロールを追求していく。エルヴィスは〈キング・オブ・ロックンロール〉
と称されているが、そう言われるようになった背景をこれまで深く知る機会は
なかった。

映画『エルヴィス』では、その経緯が見応えたっぷりに描かれている。
またエルヴィスから莫大な金を搾取したと言われる敏腕プロモーターの
トム・パーカー大佐の暗躍ストーリーや、プレスリーの家族への愛、
そして心身ともに困憊していく姿なども知ることができるドキュメント的な
要素も大きい。2時間39分という大作だが、エルヴィスの名曲とともに
描かれているので時間をまったく感じさせないものだった。

中学生(1964年)の時に不良グループが固まって歌を歌っていた。
それまで歌謡曲と演歌しか聞いていなかった学生達には謎のメロディーだった。
英国出身のビートルズの「A Hard Days Night」を箒の柄をマイク代わりに歌っていた。
それまで不良イコール馬鹿だと思っていたのが180度尊敬に変わった。
まるで稲妻に打たれたような衝撃だった。

ビートルズのリーダーだったポールマッカトニーはプレスリーから受けた
影響は計り知れないと発言している。勿論その当時のアメリカの音楽に感化されて
初期のビートルズの楽曲が作られたと言っても過言ではない。
プレスリーを筆頭とする白人のR&Rロカビリーは瞬く間に一世を風靡した。
ビートルズが影響を受けたと思われるアーティストは、プレスリーをはじめ
バディ・ホリー、ロイ・オービンソン、ジェリー・リー・ルイス、
カール・パーキンス、エディ・コクランなどがあげられる。

それぞれのアーティストが独特のR&R・サウンドを作り上げ、チャック・ベリーを
はじめとする黒人勢と並び、ビートルズに、また60年代のポップ・ロックの
世界に大きな影響を与えました。

ビートルズのスタイルといえばマッシュルーム・カットと襟なしスーツという
イメージの人が多いと思いますが、それはあくまでもデビューした後のこと。
デビュー前の「革ジャン・リーゼント」スタイルのビートルズのメンバーの写真を
見たことのある人なら、ロカビリーからの影響はサウンド面のみならず
そのスタイルまでに及んでいたことは一目瞭然ですね。

その頃日本では歌謡曲に交じってGS(グループサウンズ)が登場した。
スパイダース、ブルーコメッツ、タイガーズなども、プレスリー、
ビートルズ、ローリングストーンズ、などのロックンロールの影響をうけた
グループとブルースロックの影響を受けたゴールデンカップスやテンプターズなどの
二派にわかれた。前者はプロの作曲家が作った作品が多く、
後者は洋楽中心でオリジナルに拘りをもつ本格的なグループの存在である。

60年代当時の日本では、長髪やエレキギターといった要素は不良、
若者の非行に結び付けられ、一般社会からの風当たりは非常に強かった。
そのため、グループサウンズのコンサートを見に行った高校生は停学
もしくは退学処分を下される学校もあった。コンサートに行くこと自体を
禁止する中学・高校が続出した。

事故防止のためグループサウンズのバンドにはコンサート会場を提供しないという
劇場や自治体が現れた。今では笑い話のように聞こえるが、当時の日本では
これが当たり前の社会であったことは確かである。

私はグループサウンズには一切興味が無く、英国のフォークシンガー・ドノバンや
米国のボブディランに憧れてハーモニカーを吹きながらギターをかき鳴らした。
勿論、長髪に口髭、破れたジーパンを履いていたので完全に不良のレッテルを貼られた。
1969年大学へ行けば学生デモが盛んな時代、教室にもバリケードが張られて、
何もかも厭になり日本脱出を計画した。

1972年に一番安い北回りでロンドンに入った。
ビートルズやローリングストーンズ、レッドツェペリンなどが育った国は
活気に満ちていて、何もかもが興奮の連続で人生最高の時期だったと思う。
そして1年半の滞在の後に帰国した。
レコード会社CBSSONYに入社してプロデューサーとして第二の人生が始まった。

私にとっての第一の人生は苦労した学生時代音楽に触れた最初の時代である。
そして第二の人生は音楽プロデューサーとしてデビューした時である。
そして第三の人生は一度音楽の世界から出て海外ビジネスを始めた時だった。

コンピューター関係の会社の繋がりで韓国に映画会社を立ち上げたこともあった。
その後中国から呼ばれて音楽事業や知財関係の仕事もした。
2010年に入りファッションスクールの理事や企業の顧問も引き受けた。
そいうわけで私も三回生き返る経験をした。

2025年今また音楽に軸足を置いた仕事に取り掛かっている。
75歳の大胆なチャレンジである。


英霊とは




友人のジャーナリストが昨年SNSへ投稿した内容です。
このような文章もその内に削除される恐れがある。
その上に当局から目をつけられて仕事ができなくなる。
それでもあえて投稿に踏み切ったと言っていた。
しかしジャーナリストの職業を選んだ人間としては当然の行為である。

この投稿は自民党総裁選真っ盛りの時に投稿されました。

自民党総裁選に立候補している高市早苗経済安全保障相は25日の
BSフジ番組で首相に就任した場合も東京・九段北の靖国神社への参拝を 
続ける意向を示した。「適切な時期にきっちりと普段通り淡々とお参りをしたい」
と述べた。

「靖国神社は戦争を美化する施設でなく、外交問題にされるべきではない。
自分の気持ちに正直でありたい」とも語った。
これまで高市氏は春と秋の例大祭や終戦の日に参拝してきた。
小泉進次郎元環境相は「今まで15年間、8月15日に参拝を続け、
安倍政権、菅政権で環境相を務めたときも参拝している」と触れたうえで、
首相に就いた場合の対応については「適切な判断が必要なことだ」と話した。
石破茂元幹事長は天皇陛下が参拝できる環境整備が必要だと指摘しつつ、
自身の参拝については明言を避けた。

お国のために戦士した兵士の御霊に尊崇の念を示すのは、主権にかかわる
問題であり、「歴史認識」「国家観」とも深くかかわる。そこから政治家は
「国があるべき姿」を描く。さらに国が進むべき道筋をつけるのに、
いわば「戦略」「戦術」の策定が必要だが、戦術は状況によって
柔軟に変化させるが、「戦略」はそう簡単に変更すべきではない。
まして、そこにいたる「歴史観」「国家観」をぐらつかせるような
政治家は、その資格がない。
たとえ海外からどんな批判を浴びようと、毅然とした態度で臨むべきだ。

なにが言いたいかというと、このたび民主党代表に就任された
野田佳彦さん。確か小泉政権で、時の首相の歴史認識を問いただした。
靖国神社には戦犯が祀られているとする小泉首相に対し、
野田さんはサンフランシスコ平和条約や恩赦されたことを理由に、
「靖国神社には戦犯は祀られていない」と主張した。
その主張はただしいと思うし、外国に言われて、
その歴史観を歪めてはいけない。
野田さん、ご自身が靖国神社に参拝されたことは首相在任中にはなかった。
今後、政権をとられたら、ぜひ参拝されたし。

招魂社=靖国神社に祀られる戦死者が英霊と呼ばれるのは何時から?
明治二年(1869年)6月29日は、東京・九段坂上に幕末以来の戦死者を祀る
招魂社が造営された日です。現在の靖国神社となります。
毎年いろいろな意味で話題になる施設ですが、その始まりや経過については、
あまり大きく取り上げられませんよね。

招魂社が作られたのは、上記の通り明治の最初期。
日付からしても、戊辰戦争の最終局面である箱館戦争が終わった直後です。
戊辰戦争の話題では旧幕府軍側の被害がよく知られていますが、
もちろん明治政府側の戦死者も多くいました。
明治政府としては、新たな国の礎になった人々を手厚く葬らないと、
格好がつかないわけです。

会津などで旧幕府軍側の死者の埋葬をしばらく許さなかったのも、
格差をつけるためという面があったでしょうしね。
実際の遺体は家族や軍に任せるにしても、政府として何か特別扱いを
しなければなりません。
そこで、新しく皇居となった、かつての江戸城のすぐ北に、
戦死者を祀る社(やしろ)を作ったわけです。
ですので、現在の靖国神社にも遺骨や棺はありません。
境内の別の場所に遺品などはありますが、それはまた後ほど。

祀られている対象者は、主に「戊辰戦争~第二次世界大戦、そして戦後、
東南アジアなどの独立戦争に参加した人々」です。
軍人の戦死者・戦病死者が一番多いのですが、準軍属とみなされる人々も
多数祀られています。
例えば、戦時徴用されて軍需工場で働いているときに空襲を受けた女性たちや、
満州開拓に携わった人々、沖縄戦に巻き込まれた一般人などです。
真岡郵便電信局事件で自決した女性たちも含まれています。

何故この事実を教科書に乗せて子供たちに教えないのでしょうか?
正しい歴史認識に基づいて靖国神社を語ってほしい。
そうして毅然とした態度で海外の反日活動家に訴えて欲しい。

情報操作によるプロバガンダはどこの国でも取り入れている政治手法である。
それがその国の歴史認識として教科書に取り入れられて子供の時から
刷り込まれていけば当然名指しされた国へ敵対心がわく。
しかし不思議なのは日本の教科書にそのような記述は一切ない。
アメリカ・ロシア・中国・韓国・北朝鮮などへの批判などである。

第二次世界大戦後に日本は敗戦国として一方的にアメリカの言いなりになった。
その為に「歴史」も「地理」も「修身」も削除されて日本精神が奪われた。
その上に憲法迄アメリカが指導して作ってしまった。
憲法第九条は「戦争放棄」が書かれていて戦後80年間航空圏侵害、海上侵犯、
拉致被害、日本人に対する暴力・殺人まで我慢してきた。

しかしもうそんな呑気なことは言っていられない世界情勢になりつつある。
中国が、北朝鮮が、ロシアが攻め込んでくる恐れもある。
我々は戦争放棄した国ですからと大声で叫んでもミサイル一発が
飛んでくれば平和運動なんて空しくなるのである。
目の前で自分の身内が殺されても戦わないと言うのであれば、
守ってくれる人も誰もいないということになる。

学徒出陣で駆り出されて特攻隊や人間魚雷に乗り込まされた若者達、
我々は「彼等が幸福を描いた未来に住んでいる」ということを忘れてはならない。
僅か20歳前後の世の中を何も知らない若者たちの死を「英霊」として
祀ることを他国の顔色をうかがう必要はまったく無い。

これから先、日本に住んで、日本で家族を作り、日本で働く全員の為に
先祖を敬いながら戦争で亡くなった英霊たちに感謝しながら
建国の意識を高めて行って欲しい。

日本では石破茂が首相になり、アメリカではトランプが大統領になった。
日本人が毅然とした態度で臨まなければアメリカの属国になりかねない。


日本文化の核心




以前から日本文化及び日本人の美意識について関心をもっていました。
音楽プロデューサーとしてヒット曲を量産していく中で、日本人の心の動きが
時代によって変化するものと変化しないものがあることに気がつきました。

70年代日本では歌謡曲と演歌と言うジャンルが支流で、一部の洋楽ファンの
間からは、自分たちが聞きたい日本の音楽が無いと不満が出ていました。
私は72年~74年まで英国にいた強みを活かして、レコード会社に入社後
新しいジャンル「ニューミュージック」という枠組みを提案して採用されました。
楽曲の中に今までと違ったリズム・テンポ・ビートを取り入れたのです。

ヒットの大きな要因は、歌詞の世界は日本風で楽曲は洋楽風という混合です。
一言で言えば「和魂洋才」ということになります。
これはどこの国でもヒット商品を創り出すときに自国の文化と他国の
文化を組み合わせることによって売れる商品になると分かっているからです。
違うものを掛け合わせる「異種交配」と言うべきものです。

私は1949年の生まれです。戦争が終わって5年後に誕生したのです。
教科書の中身は変わったとしても先生方の教え方は戦前の意識のままでした。
よく悪戯をしてビンタをくらい、水一杯のバケツを持って廊下に立たされ、
ひどい時には校庭を100周走ってこいと厳しいスパルタ教育の中で育ちました。

私が特に文字から「日本文化」を学んだのは数多くありますが、
哲学書、仏教書、歴史書(茶道・華道・武芸・国学)などです。
愛読書として丸山眞男、山本七平、小林秀雄、堀田善衛もあります。
こちらは日本文化というよりも日本人の精神論が語られていました。

それらの中でも特に印象に残っているのが明治時代英国から来た御用学者の
バジル・ホール・チェンバレンの「日本事物誌」です。海外から来た
人達が見る日本の日常生活が描かれていました。外から見た日本文化です。
それともう一冊上げるとすれば2011年に入り出版された
松岡正剛氏の「連塾方法日本」です。
日本の面影の源流を解くと題された三冊のシリーズ本です。
これは内側から見た日本です。日本文化の特徴が事細かく書かれています。

生前に松岡正剛氏にお会いして話をしたことがあります。
物静かな学者タイプの印象と身体から沸き起こるマグマのような
印象が強く記憶に残っております。まさに「知の巨人」という表現が
ピッタリの人物でした。

ここに松岡正剛氏の書籍の紹介文がありました。
とても分かりやすいことと基本的な日本文化の核心が書かれています。
記事をそのまま掲載させていただきます。

日本人なのに「日本文化」を知らなさすぎる・・・
松岡正剛が最後に伝えたかった「日本とは何か」
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。
日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているのでしょうか?
昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最後に日本人にどうしても伝えたかった
「日本文化の核心」とは、2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」
をお届けします。

私は「連塾方法日本」三冊を何度も読み、なるほどと感心するばかりでした。

「分かりにくさこそ」日本文化
日本文化はワビとかサビとかばかり言って、どうもむつかしいというふうに
言われてきました。だからわかりやすく説明してほしいとよく頼まれます。
しかし、この要望に応える気持ちはありません。断言しますが、日本文化は
ハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ
真骨頂があるのです。
分かりやすさを求めればいいというものではありません。

空海の書、定家の和歌、道元の禅、世阿弥の能、芭蕉の俳諧、
近松の人形浄瑠璃、宣長の国学、鴎外の小説、劉生の少女像に何か感じる
ものがあるというなら、わかりやすくしようなどと思わないことです。
彼らが放った「間架結構」「有心」「時分の花」「面影」「さび」
「もどき」「古意」「簡浄」「美体」などというコンセプトそのままに、
日本文化を会得していくべきです。

「おもかげ」「うつろい」こそ、ジャパンスタイル。
日本文化の正体は必ずや「変化するもの」にあります。
神や仏にあるわけでも、和歌や国学にあるわけでもありません。
神や仏が、和歌や国学が、常磐津や歌舞伎が、日本画や昭和歌謡が、
セーラー服やアニメが「変化するところ」に、
日本文化の正体があらわれるのです。

それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通してやってくる。
これがジャパンスタイルです。しかし、このことが見えてくるには、
いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画などについて目を凝らし、
そこに浸って日本の歴史文化の「変化の境目」に詳しくなる必要があります。

白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は、その「変化の境目」がどのような
ものであるかを雄弁に語ります。そこは見逃さない方が良い。
それはアン女王が分からなければピューリタニズムがわからにことや、
スペイン継承戦争が分からなくてはバロックが見えてこないことと同じです。

ところがいつのまにか日本文化というと「わび・さび・フジヤマ・巨人の星・
スーパーマリオ」に寄りかかってしまったのです。それでもかまいませんが、
それなら村田珠光の「心の文」や九鬼周造の「いきの構造」や柳宗悦の
「民芸とは何か」や岡潔の「春宵十話」はどうしても必読です。
せめて山本兼一の「利休にたずねよ」や岩下尚史の「芸者論」や中村昇の
「落語哲学」はちゃんと読んだほうがいい。

日本は一途で多様な文化を作ってきました。しかし、何が一途なのか、
どこが多様なのかを見極める必要があります。
日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。
これはムリです。安易な日本論ほど日本をミスリードしていきます。

如何だったでしょうか?
私達は以前に比べて海外の人達と関わることが多くなってきました。
そんな時に必ず聞かれる「日本文化」についての回答に適しています。
難しい海外の言葉も携帯翻訳機を使えば問題ないですよ。
先ずは少しでも日本の文化と歴史を知ってから海外の事に興味を持ってください。

今一度、日本は一途で多様な文化を作ってきました。
しかし、何が一途なのか、どこが多様なのかを見極める必要があります。
日本文化の核心に触れることが大切です。
私にとっての日本文化の核心は読書から体験へと移行していきます。
今後も日本文化への興味は尽きることがありません。


日本の美




美とは何か?
美という漢字は羊が大きいと書きます。
その他、善、義、洋、佯、祥にも多くの羊が書かれています。
いかに羊が大切な動物であったかが分かるかと思います。
漢字の中に秘められた語源を探ることも大切です。
漢字成り立ちの真理が分かります。

日本の美とは?
西洋との大きな違いは、西洋は宗教に基づいた内容で華美で装飾的である。
反対に日本は質素で写実的であり素材や影の部分を大切にしてきた。
それを表す言葉として「ワビ・サビ」と「間と余白」がある。
ワビとサビとは何か?間と余白とは何か?
「ワビ」はわびしいこと。思いわずらうこと、悲しみなげくこと
「サビ」は現象としての渋さと、それにまつわる寂しさとの複合美。

「間」は、構成要素によって作り出されるものではなく、
むしろこれらの要素を経験する人間の想像力の中で認知される。
したがって、「間」は間隔を重視して理解される経験的な場所。
「余白」は、「間」の感覚を背景にして、日本美術とともに発展してきた。
これらは、「引き算の美学」とも言え、余白を美しく感じるために、
草花などが描かれているのではないかと思えるほどです。

北斎の浮世絵に見る「余白」とは色を抜き取り、
見る人の想像力を高めるための技法である。
華美な装飾で飾る西洋人に対して日本人は簡素であり枯れている。
勢いでは無く衰退でも無く物静かなのである。
谷崎潤一郎という作家が書いた「陰翳礼讃」という本がある。
日本家屋は影を取り込みながら、それを活かすことに美を感じる。
床の間にさす朝日が、縁側の日差しが、欄間から漏れるあわい光が
住人の心を癒し、四季の移ろいを家屋の中で楽しむようになっている。

70年代後半から「和魂洋才」という言葉が作られた。
その頃の音楽はこの定義に基づいて作られたものが多い。
街中に日本と西洋をミックスした洋服や雑誌で溢れかえっていた。
今でも若い人たちにはまだまだ西洋文化で作られた衣服装飾に憧れる。
素顔と化粧顔と比べたらもっと美を求めてプチ整形が当たり前になった。
本来の美を求めずに流行りの美を身にまとうことで満足している。

しかし年齢を重ねると一時の流行ものに無頓着になる。
着飾るよりも個人の人間性に重点を置くようになる。
中年になり渋み苦味が少し分かるようになると、
甘味一辺倒の若造が口先青く御託を並べても負けることは無い。
人間関係も派手な人と地味な人ではどちらを好むか?
そう見た目ではなく醸し出す人間性に魅力を感じるようになる。

静かな薄明かりの中でオールドジャズを聴く、出来れば片手にブランディーと
もう片手にハバナ産の葉巻があれば最高です。
イサムノグチの薄明かりが竜安寺の石庭が、嵯峨野野宮神社の白砂が、
上賀茂の太田神社のカキツバタに日本の美の原点を見る。
これこそが侘び寂びの象徴に思えてならないのです。
海外の観光客が一番に訪れる場所が日本の美を感じられる場所です。

更に世界最古の美は何かという質問の答えは、
スペインのアルタミラ洞窟に書かれた壁画ですと答える。
紀元前35,000~前11,000年の後期旧石器時代の
壁画や線刻画が残る洞窟群を登録した世界遺産で、特にアルタミラ洞窟は
その芸術性の高さからバチカン宮殿(世界遺産)の礼拝堂になぞらえて
「先史時代のシスティーナ礼拝堂」と称賛されている。

私見であるが「美」は「空間認識」である。自分と対象物の間にある存在を
空間認識という。その空間で美が漂うのである。美は物ではなく空間にある。
脳は錯覚の臓器です。美しき対象物を情報としてとらえたものを
美しいと感じてしまうから、そこに醜悪が混じり込むと戸惑うのです。

たとえば、
美しい女性が通りの向こうから歩いてくる。それを見惚れていたら
突然噛んでいたガムを道路に吐き出した。美から醜悪へと変わる瞬間。
美しい海辺の朝日に見惚れていたら突然戦闘機が横切った。
これも美から醜悪へと変化した瞬間である。
花壇で育てた美しい薔薇の花の上にカラスの糞が落ちた。
美から憎悪と醜悪が入り混じる瞬間です。

脳は錯覚の臓器である。
美しいと認識しているからモナリザの絵は美しいのであって
チョット表情を変えれば意地悪そうな醜悪の部分が見えて来る。
我々が美を認識するのは小学校の授業からである。
美術の時間、に教師から美術の定義を教えてもらい
脳にその内容が刷り込まれる。
自然は美しい、草花も美しい、朝焼けも夕日も綺麗だ、
子イヌやネコはかわいい、牛や馬もかわいいと覚えてしまうのです。

「道の美」
茶道が、華道が美しいと感じるのは無駄のない美しさがあるからです。
茶道「和敬清寂」
和は調和、茶の道をお互いに分かち合い、楽しむことです。
敬は、自らは謙虚に他者を敬い、自然を敬い、先人達を敬うことです。
静は清ともいい、邪念の無い清らかな心や
清められた道具や茶室のことです。
寂は空や無といった、禅の究極の根本思想です。
この和敬静寂こそ茶道の基本的精神であり、
支柱となる心得なのです。

これを茶道の稽古を通じて求めていく修業が茶道です。
さらに、「一期一会」の精神の元、一度かぎりの茶席の
かけがえのなさを大切にすることも問われます。

華道「引き算の美」
四季折々の樹・枝・草・花などを切って花器に挿して、
その美しさや命の尊さを表現し、観賞するものです。
人と同じ命のあるものとして草花を扱い、
その美しさを花器の上で表現するのです。
花を生ける時に命を感じ、心をみつめ、
理想とする美しさを花で表現することが華道の心得です。

元来、仏へ草花を供える供花から始まったものです。
室町時代の東山文化での書院造りの建築の床の間に、
決められた方法に従って飾られるようになりました。

三流の華人は季節の花を取り揃えても使いきれない。
二流の華人は季節の花を全部いけてしまう。
一流の華人は季節の花を抜き取り空間を意識していける。

美は空間認識です。
正しい知識とそれを捉える自分を意識して楽しんでください。


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