幸せ(四合わせ)
朝の目覚め、午前の学び、午後の労働、浅夜の団欒。
出会いのときめき、結婚の喜び、出産の感動、老後の楽しみ。
平穏な暮らし、波乱の人生、絶望と挑戦、自己の悟り。
一瞬目の前を通り過ぎる風のように幸せの神様が走り過ぎます。
若い時には無我夢中で幸せの神様を抱きかかえようとしました。
逃がしてなるものかと必死にすがったものです。
それでも幸せの神様は、スルリと体をかわして通り過ぎてしまうのです。
幸せの神様を手に入れないと、幸せにならないと思っていたからです。
これを何度も何度も繰り返しているうちに、気付いた事が有ったのです。
それは常に自分が幸せの神様を迎える準備をしていた事です。
実際には手に入らなくても準備している時が幸せだったのです。
調度お祭りや運動会の準備のように、
当日より準備の時間がとても楽しかった事と同じです。
当日の終わった思い出も大変貴重なのですが、
準備をしていた時の興奮も忘れられません。
あの時の興奮こそが幸せだったのかも知れません。
そして少し年を取ってくると、
若い時ほど幸せを無我夢中で追いかける事は無くなります。
幸せの神様が目の前に現れたら握手をすれば良いのだと思うのです。
奇跡のような幸せを望まなくなり、
安定した生活と社会的な責任を果たせれば良いと思うのです。
そして老年期になると、
もう幸せの神様に出会うだけでも良いやと思うようになるのです。
自分にとつての幸せよりも周りの幸せを考えるようになるからです。
家族が、社会が、この国が未来永劫に仕合わせであれば良いなと思うのです。
だから悲しい事件に老人はとても心を痛めます。
老人には「幸せと辛い」の文字がはっきり分かるからです。
たった一本の線で幸せにもなるし辛いにもなる事を知っているのです。
多くの犯罪を起こす人達は、この一本の線が見えないから、
不幸な道を歩き続けるのです。
一つでは満足できない心が罪を作る事になるのです。
人間はこの一本の線を求めて苦労します。
一本の線は何か分かりますか。
これは「正しい」という字の「正」の頭の一なのです。
正しく生きる事は、まさしく「一」で「止」めると、書くのです。
多くの物を望むのでは無くて一つの事をやり続ける事が正しくて、
幸せに繋がるのです。
周りの物に目移りや気移りをせずに、
生きる事がいかに大切かを考える時間も幸せなのです。
日本にはとても素晴らしい四季の季節があります。
春の目覚め、夏の勢い、秋の収穫、冬の休息。均等に季節がめぐり来る四合わせです。