ローソクの炎

薄暗い闇をほのかに照らすローソクの炎

観る者の心を映し出すかのように揺れ動くローソクの炎

賛美歌にあわせ歌うように舞うように踊るローソクの炎

天使の小さな息遣いが恥じらうように線を描くローソクの炎

自我を主張せずに何物にも姿形を合わせる安らかなるローソクの炎

「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、

天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

マタイ福音書5章

厳粛なる教会の中で揺れ動くローソクの炎は、観る人によって明るくも・暖くも、
寂しくも感じられる。それは、それぞれの心の波が炎に伝わり、

自分自身の意識が形になって表れるからです。

優しさに包まれたメロディーが心の糸を解くように、
またローソクの炎も苦悩の姿を導き出してくれるのです。

「大聖堂の窓から漏れる、淡いステンドグラスの光に包まれ、
天使は地上から天空へと優しく飛び立って行く。

それぞれの祈りに導かれるよう、それぞれの魂が癒される楽園へ、
天使は微笑みながら小さな手を差し伸べて戯れる。」

海外に行くとふと足を止めて教会に入る事があります。

私は教会の信者でも無いのですが、
歴史ある大聖堂の中で聞く讃美歌にとても心を惹かれます。

木製の長椅子に座りこみ、身動きもせずに瞑想にふけると、
祈りの声がすべてを包み込んで体(Body)と魂(Soul)を癒してくれます。

悩み多き人々は、教会の中で懺悔を繰り返し、
罪深き心の穴を埋めて来たのだと,勝手に想像してしまいます。

自分の抱えている問題が、
今ここで解決するのなら祈り続けたいと思う事もあります。

しかし神は人の欲の為の悩みには手を貸してくれません。

人としてあるべき姿を守る為にのみ、慈愛に満ちた答えを出してくれるのです。

大聖堂の中で揺れるローソクの炎を見詰めていると不思議な気持になります。
同じ時間に、同じローソクの炎を、同じ状況で見詰めていても、
それぞれの受ける印象が違うのだと考えてしまいます。

激しく怒りのある人には熱き炎に見え、
優しき人には仄かな温もりの炎に見え、
永遠の誓いを立てる人には、厳粛に満ちたおごそかな炎に見えるのでしょう。

同じローソクの炎でも、見る人によって、
まったく異なる姿形になる事が奇跡のようです。

人は小さなローソクの炎となって、
謙虚に生きて行く事が出来たらどれほど素晴らしいかなと考えてしまいます。

相手に合わせて揺れ動く、

静かなるローソクの炎を見詰めながら、悠久の時を超えて静寂に浸ります。