計算高い女

 

この様な投稿文に目が止まりました。

日常生活では、電車で席を譲ります。
困ってる人には声をかけます。
素敵なお嬢さん、と思われたいから。

学校では、人が嫌がる役割を引き受けます。
皆にありがとうと感謝されたいから。
偉いと思われたいから。

彼氏さんの前では、彼にこうしてもらいたい…という思いを抱くと、
彼がそうするように仕向けるため、様々な言動をします。

キスなんてまさにその良い例です。
明らかに私は彼にキスさせようとしています。
自分からは出来ないから。

高校2年の女子学生の投稿文です。
私は偽善者ですかということです。

本文はもう少し長い文章なのですが、
疑問の部分を読みやすくまとめています。

高校生にしては(失礼)、とてもしっかりとした文章能力をもっています。

人に好かれたい為にする行為が、計算無くしてすることは、
不可能ではないのでしょうか。

あいての求めている事に気が付き、それを行動で応える。
当然、感謝の言葉が返って来ます。

素敵なお嬢さんと思われたいから、席を譲り、声を掛ける。

そこで生まれる「ありがとう」の一言は、
周りの人達にも幸福を与えるのです。

眠ったふりをする人や、無視をする人よりも、
数百倍素晴しいと思います。

小さな子供は、ほめられる言葉を計算して、お手伝いをするのです。

その行為は偽善でも何でもありません。

人から信頼を得たい為にする行為も、計算無くしてすることは、
不可能ではないでしょうか。

みんなが嫌がる役割を喜んで引き受ける。
本当はしたくないのだが、好感を得る為には仕方がない。

しかし、それでも、その嫌な役割は終える事が出来るのです。

例えば、道端に大きな石が有るとして、それを邪魔にならないように動かすとします。
自分がやらなくても、誰かが気づけば動かしてくれるだろうという考えだと、
その間に老人や子供や身障者にとっては、とても迷惑な石だと思います。

それを、偉いと思われたいからという考えで動かしたとしても、実際に石は道の邪魔にはならなくなるのです。

異性に対してする行為も計算の中から生れて来ます。
計算なしで付き合いは出来ないものです。

転んだふりをして手を握る。
ゴミが入ったふりをして顔を近づける。
好みが同じと思われたいから、あいての好きな歌をさりげなく覚える。

偶然出会ったふりをして通学路で待ち伏せをする。
抱きしめられたいから夜の公園に行く。

すべて、計算して行うから恋は楽しいのです。

陽明学に「知行合一」という言葉があります。

知識と行動が一致しなければならないという意味です。
勿論、この言葉は学者や政治家に伝えた言葉です。

日本においても幕末から明治の若者達に受け入れられた考え方でした。

素敵なお嬢さんとか、偉いと思われたいからとか、
自分から出来ないからとかに使う言葉では無いのですが、
好かれる為の計算された知識を使って、行動が伴えばおなじです。

自分の悩みの正当性を、行動する前に考えるか。
行動した後に考えるか。
行動しながら考えるか。

それに気づく事が大切です。

私は常に行動しながら考えるタイプです。
勿論、常に強かな計算をしています。

偽善者という言葉は、善を偽って人を陥れたり、
組織を苦境に立たせるような行為をする人の事です。

現在ではフレネミーがそれに該当するのではないでしょうか。

相手には親密な友人を装い、他人には敵にまわり悪口を言う。
この様なタイプは平気で善人を装う事が出来るのです。

しかし結果は悲惨です。

誰からにも嫌われて、信頼を失くして、孤独になるのです。

投稿者の女子学生さんは、計算高い女ではないし、偽善者でも無いですよ。

可愛い思春期のお嬢さんです。