北野武の言葉No2




(8)
いまのたった今の時点で
努力していない奴らは
死ぬときに必ず
オロオロするんじゃないのかって思う。
それまで何もやってきていないんだから。
なにひとつ
自分に満足していないんだよね。
駄目な奴は。
じゃあお前はどうだって言われると、
いったい何をしてきたんだろうか
って考えると、もう愕然としてくる。
強烈なんだ。その問いかけは。
どんなに素晴らしい人でも、
それは誰にでも当てはめて言えるわけだし、
これをしてきたって言える人間はいない。
やればやるほど、人間は抜けた部分に気づく。
だからやっぱり、
人間自分の目の前にあることを
一生懸命やるしかない。

(9)
マイホームパパだかなんだか知らないが、
いつもニコニコ笑っていて、
子供の気持ちがよくわかる、
物わかりのいい父親が理想だなんて
ことになった頃から、
どうも教育がおかしくなった。
駄目なものは駄目なんだと
父親が教えてやらなきゃいけない。
父親が子供に媚びを売ってどうする。
結局は自分が可愛いだけのことなんじゃないか。
父親は子供が最初に出会う、
人生の邪魔者でいいのだ。
子供に嫌われることを、
父親は恐れちゃいけない。

(10)
臭いものには蓋をする文化とでもいうか、
最近は世間がとにかくきれいごとの、
その場しのぎばっかりするようになった。
そんなものは、
差別用語の問題と同じ話で、
ものごとの本質には何も手を触れずに、
表面に覆いをかけて
誤魔化しているだけのことだ。

(11)
子供の教育で大切なのは、
タガのはめ方と、外し方なのだ。
タガを外しすぎれば、
桶はバラバラになってしまう。
タガをきつくはめすぎても長持ちしない。
自由に何でも好きなことをしなさい
と言われたって、
何をしていいかわからない
という子供が多いんじゃないか。
自由というのは
ある程度の枠があって初めて成立する。
なんでもやっていいよという
枠のない世界にあるのは、
自由ではなくて混沌だ。
子供に自由の尊さや、
喜びを教えたいのなら、
きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。

(12)
金のことでつべこべ言うと、
母親にこっぴどく叱られたものだ。
誰だって、金は欲しいに決まっている。
だけど、そんなものに振り回されたら、
人間はどこまでも下品になるというのが
俺の母親の考えだった。
貧乏人のやせ我慢と言ったらそれまでだが、
そういうプライドが、俺は嫌いじゃない。

(13)
作法というのは、
突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。
具体的な細かい作法をいくら知っていても、
本当の意味で、
他人を気遣う気持ちがなければ、
何の意味もない。
その反対に、作法なんかよく知らなくても、
ちゃんと人を気遣うことができれば、
大きく作法を外すことはない。
駄目な奴は、
この気遣いがまったくできていない。
人の気持ちを考えて行動するという発想を、
最初から持っていないのだ。

(14)
どんなにワインに詳しくても、
ソムリエにワインのことを語ってはいけない。
そんなことをしたら、
ソムリエは何も大切なことを教えてくれなくなる。
「このワインはどうして美味しいの?」
と、聞くべきなのだ。

(15)
お金がないことを、
そのまま「下流社会」といってしまう下品さに、
なぜ世の中の人は気づかないのだろう。
「武士は食わねど高楊枝」
という気概はどこへ消えたのか。
うちは貧乏だったけれど、
母親は商店街で
投げ売りをしているような店には、
絶対に並ばなかった。
どんなに遠い店でも、
1円のお客を大切に扱う店に通っていた。

(16)
世代が違うと話が合わない
なんて言うのは間違い。
話が合わないんじゃなくて、
話を引き出せない自分がバカなのだ。
年寄りとお茶を飲んでいて、
「おじいちゃん、この茶碗は何?」って聞けば、
何かしら答えが返ってくる。
きっかけさえ作ることができれば、
思いもよらない話が聞けることもある。
相手はいい気持ちになれるし、
こっちは知らなかったことを知る。
相手が小学生だって同じだ。

(17)
俺は怒ったり、
命令したりはしない。
まずスタッフに聞く。
「こういうふうに撮りたいんだけど駄目かな?」
「このシーンはどうやって撮ればいい?」
最終的には自分のやりたいように
やっているのだが、
もしかしたら
もっといい意見が出るかもしれないから、
まず聞くのだ。
みんな映画が好きで
この仕事をしているわけだから、
意見を求められれば、
一所懸命考えて働いてくれる。
だから手抜きなんか絶対にしない。
スタッフの能力を
最大限に引き出すには、
これが一番だと思っている。

(18)
若いのが作法を学ばないのは、
手本になる大人がいないからだ。
少なくとも男にとっての作法は、
ある種の憧れだったり、
「あのときのあの人は格好良かったな」
という記憶だ。
身近にそんな人がいたら、
強制なんかされなくたって真似したくなる。
鮨の食い方にしても、
酒の飲み方にしても、
昔はそうやって
格好いい大人の真似をして覚えたものだ。
そう考えると、
年寄りが
「いまの若いのは作法がなってない」と言うのは、
天にツバするのと同じことかもしれない。

(19)
ワールドカップを観ていて
相変わらず
「感動をありがとう」なんて
言ってるやつはもうてんで駄目なんだよ。
ほんとうの感動は、
やった奴しか分からない。

如何だったでしょうか?
今回は長文でしたが2回に分けて掲載しました。
味のある言葉(蘊蓄)は何度も読み返して咀嚼してください。