お別れの手紙




SNSでこの投稿は何回か拝見しました。
2〜3年前にはいい話だなとしか感じなかったのですが、
ここ数年たてつづけに何人もの友人知人が亡くなり、
死を実感として身近に感じています。

私は以前から高齢者の支援団体の理事をしているので、
お年寄りと接せる機会が多く死は遠い出来事ではありません。
しかし、重度な病気になり歩くことも出来ない人や、
認知症になり過去を思い出せない人を見ると胸が締め付けられます。

先日、私が会の運営に関わっている「老人と孫」で、女性講談師の
田辺鶴英さんをお呼びして「介護の話」をしていただきました。

親類、義母、夫を含めて3人の介護の経験者です。
その中で夫が認知症になりその大変さを講談口調で涙あり笑いありで
語っていただきました。
介護は真剣にやると誰でもがストレスで心を駄目にする。
だからのんびりと楽しみながらやるのが一番とお話しされました。
そのお手本を家族に示されたのです。

相手がわがままで言うことを聞かないボケ老人なのだから、
極端なことを言うと笑いの対象で遊べば気が楽になる。
夜中に騒ぐ認知症旦那に騒ぐと被り物(動物のものが多い)をして
ベッドのそばに近寄り驚かすと騒がなくなる。

後半には、この時の映像を見て全員不謹慎ですが大笑いをしました。
相手は何も覚えていないボケ老人なのだから気にすることは無い。
この鶴英さんの一言に重みを感じました。
まさにスーパーマザーくじけるという言葉は無いのです。

愛する両親だからといって悪戯に延命治療は本人に取っては
苦しくて迷惑な話である。ましてや管を胃の中までに差し込んで
胃瘻など可哀想で見てられないと言っていました。

お金がふんだんにあれば高級老人ホームに入れるのも
良いかもしれませんが、多くの高齢者は病院のベッドで
最後を迎えます。
家族が見舞いに行くと大半の人が自宅に帰りたい
畳の上で死にたいと叫ぶらしいです。
各家庭にはそれぞれ事情があると思います。
しかし本人の希望であれば自宅介護が望ましいのです。

そんなことを考えてこの文章を読むと胸が締め付けられました。

【祖母の置き手紙】

彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の
祖母と二人暮らしでした。それが反対の理由でした。

「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と、
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母にもそう言い放ったんです。
その2日後でした。彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。

仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に
座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ結婚式はせず、
すぐに籍だけをいれました。

もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。

○○へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時、私のこの先の人生は貴方の為に
使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金も何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた。
とてもとても良い子に育ってくれました。

そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。終わり

永六輔氏の本、“大往生”の中にあった言葉。
「子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの」

老人になっても死ぬ直前まで現役として働き、死ぬときは、誰の世話にも
ならず、スパッとあの世に行く、というのが理想の生き方だと言われる。
人は誰もが、生まれてから何年間かは、100%親の世話になって育つ。
10数年経って、ようやく自立して生活することができるようになり、
やがて最後は、また人の世話になって死んでゆく。

何千年、何万年と、連綿としてそれがくり返されてきた。
だからこそ、誰もが感謝で過ごせる人生でありたいと願う。
※しあわせになるレシピより

一人でも多くの人がこの文章を読んでくれることを願います。
あなたを愛してくれた人との別れは辛いものです。
その上に不幸な死に方だと未練が残ります。

先日亡くなった友人は誕生日が一緒だった
アメリカの歌手エルヴィス・プレスリーの大ファンでした。
若い頃はプレスリーに憧れてプロの歌手になったほどです。
身内だけの葬儀でしたので列席は叶いませんでしたが、
家族にプレスリーの歌で見送られたと歌手の息子さんから聞きました。

私の後悔は、
長い間家族同士のお付き合いで親しくさせていただいたのに
最後のお見舞いの約束の時間に遅れたことです。

いつも穏やかな友人が初めて遅れたことを怒ったのです。
もういつ死ぬかもわからない人間との約束を破るのかと怒鳴ったのです。
私はこの時は心から自分の非を詫びました。
あんなにお世話になった人へ、
あんなに家族との楽しい思い出を作ってくれた人に
最後の記憶が怒りだったことに悔やんでも悔やみきれません。

認知症家族の皆様が良く言われる言葉に、
あんなに優しかったお母さんが別の人になって
怒鳴り散らして騒ぎ立てるのが見ていられない。
いつも手を引いて遊んでくれたお父さんが
お邪魔しましたと言って家を出ていく姿を見るのが忍びない。

誰にもいつ介護が必要になり、いつボケが始まるか分かりません。
それまではなるべく多くの楽しい思い出を作りたいものです。
あわててお別れの手紙を書くことのないように準備も必要ですね。
恩から始まり恩で終わる。恩学より