ならぬことはならぬものです

 

会津藩士の子供は、10才になると「日新館」への入学が義務付けられるが、
その以前に、6歳頃から子供達には藩士としての心得が繰り返して教え込まれた。

それが有名な「什の掟」である。いうまでもなく、会津精神の基本だ。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ

二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

三、虚言を言うことはなりませぬ

四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

五、弱いものをいじめてはなりませぬ

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

NHK大河ドラマ「八重の桜」でも子供達がこの言葉を素読する場面が印象的でした。

会津藩には子供たち(13歳~17歳)で結成された白虎隊があった。

慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発し、
会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。

白虎隊は本来予備兵力であった。
隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。

結果総勢20名が自刃を決行し、一命を取り留めた飯沼貞吉を除く19名が死亡した。

当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、
敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ、
いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、
城が焼け落ちていないことを知りながらも飯盛山で自刃を決行したという。

13歳~17歳の少年達の決意である。

白虎隊士墓のある飯盛山には、戊辰戦争時に自刃した
武家女性や討ち死にした婦女子約200名の霊を慰める石碑の「会津藩殉難烈婦碑」がある。

上記のような事が約140年前に福島県で起こっていたのである。

子供も大人の女性までも行き恥をさらすのであれば、自害した方が良いとみずから命を絶ったのである。

会津藩の隣の藩水戸藩でも「子年のお騒ぎ」として改革派と保守派でわかれて争って来た歴史がある。
古い恩学の「忘れて成らぬ出来事」のなかで詳しく書いている。

水戸藩の中の争いが幕府も巻きこむ大騒動になり、
幕府から討伐軍を指し向けられて「賊徒」として扱われた事件で有る。

悲惨なのは賊徒の中心とみなされた家族が斬首刑に処せられる場面である。

殺されると分かっていても母親が子供に牢内で論語を教える。
母親に悲しい姿を見せたくないからと子供が母親に斬首の先を譲る。
斬首の前に出た食事に手を差し出そうとした幼子に、
武士の子は死んだあとに腹の中に物が入っていると恥ずかしいからと遮る。

ならぬことはならぬものです

今の世の中ならぬことをなるようにしてしまっていることが多くあります。
私達の先祖が経験して来たことが活かされていません。

世界に誇る日本人の毅然とした精神性が失われてしまったのです。
会津藩や水戸藩で起こっていた事実は僅か140年~180年前の出来事です。