日本文明




モースからの一言
「日本間の全般的な色調は、花一輪、清雅な一幅の絵、陶器の一片、
あるいは古い青銅製置物を完璧にまで引き立てる。
同時に、高価で見事な金塗りの逸品が、これら簡素な事物の中に
宝石のように輝いている。
-しかもその場の色彩の調和が乱れることがない(モース 明治時代)」

大森貝塚の発見者として知られるエドワード・モース。
1877(明治10)年から3度にわたって日本を訪れた彼は、
日本の庶民の暮らしや心根に魅せられ、多彩な品々を「記録」として
アメリカに持ち帰っていました。
モースが感嘆した、明治の名もなき日本人の「こころ」とは何だったのか。

明治の庶民を写した写真やモース自身の日記、スケッチなども加え、
失われた明治の日常がおよそ140年の時を経てよみがえる。

「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が
払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで
幸福であるらしい。」
E.S.モース『日本その日その日』二巻(石川欣一訳)より抜粋

またアメリカの国際政治学者である「サミュエル・ハンチントン」は、
著書「文明の衝突」で、世界を次の八つの文明圏に分けている。
「西欧文明」「ラテンアメリカ文明」「アフリカ文明」「中華文明」
「ヒンドゥー文明」「東方正教会文明」「イスラム文明」と「日本文明」。

案外、日本人のなかに「日本は中国文明に入っているのではないの?」
と思う人が多いかもしれない。
そのことについて、サミュエル・ハンチントンはこう言っている。

一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しで
一括りにしているのだが、 ほとんどの学者はそうせずに、
日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦100年ないし
400年の時期にあらわれたと見ている
(文明の衝突  サミュエル・ハンチントン)

ということで世界では、ほとんどの学者は日本と中国とを
別の文明だと考えているらしい。

ちなみにこの「日本は世界の八大文明の一つ」という考えは、
明治時代に日本を訪れたシドモアというアメリカ人女性もいっている。
「世界八大文明の」一翼を担う伝統ある日本は、
今や中世的美風や東洋的画趣を惜しげなく捨て去っています
(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)

その「日本文明」には、次のような特徴がある。
世界のすべての主要な文明には、二カ国ないしそれ以上の国々が含まれている。
日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。
(文明の衝突 サミエル・ハンチントン)

「中華文明」は中国だけで成立しているわけではなくて、
隣国の韓国・ベトナム・北朝鮮、そのなかに入っている。

それにしてもなんで日本という国は、それ1国で固有の文明だと
考えられているのか?「日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して
西暦100年ないし400年の時期にあらわれたと見ている」と書いてあるけど、
それ以上に具体的な記述がない。

「西暦100年ないし400年の時期」というと、日本は弥生時代で銅鐸を
つくっていたり、卑弥呼が女王だったりしていた。
このころの日本で、中国文明から派生したような出来事ってあったのか
よく分からない。

でも、世界的な学者から見たら、日本という国にはこんな特徴があることは
覚えておいてもいい。
「ユニークなのは、日本国と日本文明が合致している」ということ。
他国から入って来た文化に影響されながらも独自の文明を築いていること。

「日本に似ている国がない理由」
学校では、日本は古代より、中国・朝鮮から文化のほとんどを
学んだように習います。それなのに、日本の文化や人の気質が、
中国や朝鮮にあまり似ていないのはなぜでしょうか?

朝鮮から稲作、青銅器、鉄器が伝わった。渡来人が日本に漢字、儒学、
仏教を伝えた聖徳太子は中国や朝鮮に学び、天皇を中心とする政治の仕組みを作った。
その他にも、朝鮮から移り住んだ渡来人が、かまどを使う文化を伝えた。
大和政権は渡来人を盛んに採用し書類の作成や財政管理など任せた。

日本から遣隋使・遣唐使を中国へ送り、
中国の進んだ制度や文化を取り入れた。
法隆寺などの建物は、主に渡来人やその子孫によって造られた。

天武天皇は中国に習った律令や都、歴史書を作るよう命じた。
奈良時代中期、天皇や貴族の服装は、唐風のものだった。
平城京は中国の都を手本に造られた。

などなど、教科書の内容を挙げても、政治、宗教、文字、生活まで、
ほぼ全てを中国・朝鮮のお世話になったかのようです。

それでも、日本が日本らしい独特の文化を
開花させていったのは不思議ではないでしょうか?

例えば、1996年に出版され世界的ベストセラーになった
『文明の衝突』という本があります。
この本では世界を9つの文明に分けていたのですが、
日本を1つの文明として定義づけていました。

世界196カ国ある中で、9つの文明はこの通り複数の国を含みますが、
1つの国で1文明を築いたのは日本だけでした。

日本だけを1つの文明として考えるのは、
この本『文明の衝突』の著者だけではありません。
その他にも、九大文明論や五大文明論などを唱えた著名な学者たちが、
日本を1つの文明と捉え、唯一無二のユニークさを認めています。

なぜ日本は、あれだけ学んだ中国・朝鮮に似ず、
ひたすらユニークな国を作れたのか・・・

日本の長い歴史の中で、皇室と天皇は日本文明の確固とした
核であり続けている。
恵まれないときもあったが、皇室は常に権力ではなく権威として、
日本国の揺るぎない基盤であり続けた。日本が危機に陥る度、
皇室が中心になって、国民をまとめ、国を守り通してきた。
明治維新のときや大東亜戦争の終戦時に
果たしたお役割が記憶に残る事例である。

皇室は、早くも聖徳太子の時代、つまり七世紀初めには貧しい人、
親のいない子供たち、身寄りのないお年寄りのための救済施設を造っていた。
それらは聖武天皇の后、光明皇后の力によって施薬院、悲田院となり、
病と貧困に苦しむ民の救済施設として定着し、やがて全国に広がった。
その善き伝統は、平成の現在も藤楓協会として連綿と続いている。

天皇と皇室が民の幸福と国家の安寧のために祈り続けて下さっている
お姿が、長い歴史を通して浮かび上がってくるのが日本であり、
このような背景が日本民族の記憶に深く刻まれているからこそ、
天皇陛下のお言葉は、国民の心にスッと沁み込んでくる。
大切にするべきはこうした伝統である。

皇室の伝統と価値観は紛れもなく日本の神話と一体化したものだ。
御代替わりの儀式は、これら神話の時代の伝統にのっとるのがよい。
昭和天皇崩御のときの「大喪の礼」では、
反皇室の人々が憲法20条3項を盾に、政教分離と称して、
儀式の簡略化や変更を求めた。

だが政教分離は宗教に対する圧迫や干渉を禁じているのであり、
政治に一切の宗教色を持たせてはならないという意味ではない。
そもそも神話の時代からの伝統を宗教だと断じて切り捨てること自体、
間違いである。200年振りの御代替わりの儀式は、大喪の礼のときよりも
まともに伝統を踏まえるべきだと考える。

これらは常識として知らなければならない「日本文明」です。
皆様はどう思われたでしょうか?