好きと愛の違い
若者たちの永遠のテーマ「好きと愛の違い」です。
私も若者たちとの対話集会で何度か質問されたことがあります。
男友達を好きになりました。何をしていても彼のことが頭から離れません。
眠るときも夢で現れてくれないかと願っています。
これは、愛ではないのですか?
母親が子供達にいつも言う言葉「母さんは子供達を愛しているよ」
の愛と何処が違うのですか?
またペットが大好きな人も多いのですが、この好きという感情は
可愛さの独占欲から出る愛という感情ですか?
ここに「好きと愛の違い」についての名言があります。
「もしあなたが花を愛しているなら、あなたは花を摘んではいけない。
なぜなら摘めば花は枯れ、それはあなたが愛するものではなくなるからです。
だからもしあなたが花を愛するなら、そのままでいさせてください。
愛は所有するものではありません。愛は感謝するものです。」
OSHO
OSHOは1970年代に一世を風靡したインドの神秘主義者で、
1960年代からインド各地で、古い風習や世間的な偽りの人生を批判し、
自由な生き方を鼓舞する講演を繰り広げて、賛否両論を巻き起こしたそうです」
彼自身は1990年に亡くなっています。本名はチャンドラ・モハン・ジャインです。
愛が花であることで彼は愛を恐れる。愛はルピーではない。
人生が不安な人間は結婚をするが、恋に落ちることはない。
結婚はルピーのようなものだが、愛はバラの花のようだからだ。
花を摘むということは愛の象徴ではなく、残酷性の象徴です。
それは権威主義的な象徴です。私たちは美しく見えるものであれば
なんでも所有したいと願うのです。その美を壊す可能性があるにも関わらず。
(中略)私たちは愛していると言っている人間に対しても、
同じような残酷性を実践します。
ブッダの「好きと愛の違い」
「花が好きだという場合、ただ花を摘むだろう。だが花を愛していれば、
毎日世話をし、毎日水をやるだろう。積めば花は枯れてしまう。
愛は所有するものではなく、“感謝すること”だと忘れちゃいけない」
「あなたが花が好きなとき、ただそれを抜きます。あなたが花を愛するとき、
あなたは大事にして水をやるでしょう。これを理解する人が人生を理解します。」
ブッダ(この言葉の出典は不詳という説もあります)
バーナード・ショー曰く、
「私は子どもを愛している。彼らは花のように美しい。
しかし私は彼らの首を切って部屋に飾りたいとは思わない。
花は開花し、雨の中、日の中、風の中踊っている。
そこでこそ彼らは生きている。
私は虐殺者ではない。私は花をその生命に源から断ち切ることはできない。
その死骸を部屋に置きたくはない」
バーナード・ショー曰く、
「それはもうたくさんだ!もし子どもが愛すべきものなら
首を切り落として束にするのか?
もし花が愛しいものならどうやってそれを摘むことができようか。
君はそんなことができるのか?
君は子どもの首を切り落として花束にもしないし、
テーブルに飾って、なんてかわいらしいなんて言うこともないだろう。
だったらなんで花を摘むんだ?」
恋は盲目と言います。愛している人から好きだと言われれば
夢中になってしまいます。
愛には自制心も無くてはなりません。
本当に好きだと思う感情が行き過ぎてしまうと
必ず相手に愛情過多で嫌われてしまいます。
好きな人を追いかけまわしてストーカー行為をすると逮捕されます。
ベランダに置いてあるサボテンへ毎日水をやると枯れてしまいます。
ペットにも餌を沢山与えるのが愛情と勘違いして糖尿病にしてしまいます。
最後に「恋は下心・愛は真心」
心の位置が恋は下につき愛は真ん中についています。
恋に夢中になっている人はお気をつけください。
「All you need is love」BEATLES
愛こそすべて
All you need is love
All you need is love
All you need is love, love
Love is all you need
君に必要なのは愛
君に必要なのは大好きだという気持ち
君に必要なのは打ち込む熱意
そう、愛こそはすべて